44.魔法少女、安らぎのひととき
叙勲式を終えて、制服の胸に勲章を飾ることになった結衣たちだったが、その日常が大きく変わることはなかった。
東山大佐が何を考えて気を回してくれたのかはわからない。
だが、四国奪還という悲願を果たした栄誉は、魔法少女だけでなく戦った兵士たち全員で果たしたものだ。
少なくとも、結衣はそう考えていた。
政治的な都合であるとか、派閥の違いであるだとか、そういう場から魔法少女は遠ざけられている。
ただ、それでも東山大佐のように、政府の中で魔法少女の扱いを見直そうとする動きがある、というのは、何か裏があるかどうかはともかくとして、そう悪い話ではないということも、結衣は理解していた。
ビュッフェ形式でメニューが並べられている極東管区総司令部の朝食は、そのほとんどが合成食や再生食の類であるとはいえ、豪華なものであるといえる。
地上で暮らしていた頃は相応の値段を払わなければ手に入らなかった缶飯が並べられているというだけでも贅沢──とまで言い切るのはどうかと思うが、それでも恵まれていることは確かだろう。
だが、何より結衣が楽しみにしているものは、平積みされている中から兵士や官僚たちがこぞって持っていく缶飯ではない。
それは今日の日替わりメニューとしてトレイの上に並べられている、合成揚げパンだった。
人類の食事情は、赫星戦役の頃と比べれば圧倒的に豊かなものとなっているが、それでもこの地球に住んでいる人間が天然食を当たり前のように口にしていた、それ以前の時代と比べればまだまだ、復興の途上であることは間違いない。
だが、結衣にとっては思い出の中にある天然食の揚げパンよりは、どこか本物と比べれば殺伐とした食感が懐かしいこの合成揚げパンの方に思い入れがあった。
但し書きにお一人様三つまで、と書かれているのを確認すると、結衣はかちかちとトングを鳴らしながらトレイの上に鎮座する揚げパンを二つ食器の上に並べると、おかずのコーナーに向かって歩き出す。
「好きなんですの、それ?」
サラダは何を食べようかと思案していた結衣は、突然声をかけられたことに驚きつつ背後を振り返れば、そこにあったものは揚げパンに視線を向けながら小首を傾げるアンジェリカの姿だった。
「……びっくりした。うん、好き、かな」
「驚かせてしまったのならごめんあそばせ、ただ、二つも揚げパンを並べているのが気になったもので」
アンジェリカは結衣に詫びを入れると、特に迷うこともなく合成魚肉のムニエルを皿に並べて、サラダから主食の合成フランスパンやコンソメスープまで、一通りバランスよく整えられたプレートを完成させる。
魔法少女も軍人も身体が資本だとはよく言われてきたことだったが、アンジェリカのプレートを見れば、彼女が朝食の栄養に相当気を使っているのは、すぐにわかることだった。
その辺り、結衣は全くといっていいほど頓着してこなかったわけではないにしろ、朝から合成肉のステーキをプレートに並べたり、食べたいものを食べる、という発想で動いていたことは確かなことだ。
ビュッフェ形式である以上、それを咎める権利は誰にもないにしろ、そんな他人の「自分だけの一皿」を見ると、その人らしさとでも呼ぶべきものが滲み出ているのだから、不思議なものだと、そう思う。
結衣もアンジェリカに続いてレタスときゅうりとトマトが入っている標準的なサラダを皿の上に並べて、備え付けの和風ドレッシングをかける。
そしてその隣に並べたものは、やはりというべきか合成肉のステーキだった。
「朝から食べるものじゃないよね」
「別に他の方のメニューに文句をつける権利などわたくしにはありませんわ」
「……ありがとう。私、合成魚肉苦手だから」
魚肉と銘打たれているものの実際は何からできているのかわかったものじゃない、ただ、食べた時に白身魚のような味と、名状しがたい匂いと食感がする合成魚肉は魔法少女たちや兵士たちの間でも賛否両論だった。
逆に合成肉はタレの味で誤魔化せる部分が多いということもあって、朝からステーキを食べるという人間は結衣に限らず、珍しいものではない。
好き嫌いは良くないとわかっていても、贅沢を言っていられない時代だとわかっていても、食べられないものは食べられない。
「そうでしたの、無理にとは言いませんけれど、慣れると気にならないものでしてよ」
そんな結衣の子供っぽい一面に、アンジェリカはどこか愛らしさのようなものを覚えながら、しずしずと席へ向かっていく。
慣れると気にならないということは、あの合成魚肉の食感や匂いにアンジェリカも最初は辟易していたのだろうか。
そんなことを考えながら、結衣も朝食のプレートを完成させて、席に着こうとした時だった。
「結衣は……揚げパンが好き。スティアは、覚えた」
「スティア?」
「お話、聞いてた……だから、スティアも揚げパンを食べる。結衣が好きなものだから」
どうやらアンジェリカとの会話に聞き耳を立てていたらしいスティアは得意げに食事プレートへと揚げパンを三つ並べただけの一皿を結衣へと提示して、豊かな胸を反らす。
他人の一皿に文句をつける権利はない、とはアンジェリカの言で、結衣もそれに同意するところはあったものの、いくらなんでもスティアのそれは殺風景がすぎる。
「他には食べなくていいの? 色々あるけど」
「他にも食べる……栄養補給のバランス? 欠けている? スティアは、わからない……」
「……まあ、自由だからいいんだけど」
極論缶飯の鳥飯と味噌汁にメインディッシュの何かだけでも朝食としては成り立つわけで、そういう選択をしている兵士たちもいれば、食が細いのかスティアと似たり寄ったりなメニューをチョイスしている官僚も珍しくない。
身体を壊すことにさえならなければ最終的にはなんでもいい、とまで言い切ってしまうのは乱暴だとしても、ビュッフェ形式なのだから朝食に何を選ぼうが選ぶまいが、それは他人の自由なのだ。
例えば、結衣がスティアと言葉を交わしている様子を見てどこか慌てたような調子で駆け寄ってくる絵理のように。
「お、おはようございます……結衣、さん……!」
ぱたぱたと駆け寄ってくる彼女のプレートもまた、栄養バランスこそ整っていたが、その量は少なく、結衣であれば絵理二人分は食べられそうなものだった。
「おはよう、絵理」
「……は、はい……おはよう、ございます……その……」
「席、一緒に座る?」
絵理が何となく自分を慕ってくれているというのは結衣にもわかっている。
同時に、シャイな彼女にとって朝食の席で隣合おうと誘うのはハードルが高いというのも同じことだつまた。
何か言いたげに上目遣いで瞳を覗き込んでくる絵理へとそう持ちかけると、結衣はスティアを連れて空いていそうな席へと視線を向ける。
「……は、はい……その……ありがとう、ございます……」
スティアも一緒だというのは、彼女を嫌っているわけではないにしても、絵理にとっては複雑なことだった。
だが、結衣と同席できると考えれば悪いことではなかったし、スティアが悪人でないということもまた、この一ヶ月で絵理はわかっている。
その誘いに乗った絵理たちは、結衣を真ん中に挟む形で食卓につく。
いただきます、と呟いたあと、口元に運んだ揚げパンの食感は殺伐としていたものの、振りかけられた砂糖やきな粉の風味がそれを上塗りして強引に誤魔化したような感覚は、嫌いなものではなかった。
「揚げパン……パンを揚げて砂糖をまぶしたもの……もそもそしてる……?」
「一緒に水とか牛乳とか飲むといいよ、スティア」
「牛乳……牛から絞った乳を指すもの……持ってた」
初めて食べるのであろう合成揚げパンの食感に首を傾げながらも、スティアは結衣に言われた通り、パック詰めされた牛乳を啜って、口の中に張り付くような揚げパンの後味を濯ぐ。
質こそ上がっていても、素直に美味しいと言い切ることができない合成揚げパンだったが、結衣はそれも含めて嫌いではなかった。
「……ゆ、結衣さんは……」
「なに、絵理?」
「……え、えっと、その……その、変わらないな、って思って……えへへ」
何か言葉を伏せたのはわかっていたものの、それ以上を聞くことはせず、同じく合成揚げパンを啄んでいる絵理に、結衣はそっか、と相槌を返しながら、スティアと同じように牛乳を啜って、口の中に張り付くような後味を濯いだ。
変わらない。
きっとそれは、絵理が何かの本音を隠した苦し紛れの言葉だったのかもしれないが、こうして好きな揚げパンをまた食べられる日が来たのは、戦いの日を生き残ったからに他ならない。
「うん、そうだね……変わらない。だから、これからもこんな日が続けばなって……そう思うんだ」
「……そう、ですね」
皆で笑って、他愛もない言葉を交わして。
いつしかこの星から敵星体が消え去った後のことを、人が夢や理想と呼ぶものを脳裏に浮かべながら、結衣と絵理は視線を合わせて、小さく微笑む。
しかし、まだ、結衣の笑みは引きつっていた。
それはその安らぎが遥か遠い場所にある証なのかもしれないが、少なくとも自分たちは前に進んでいるのだと、そういう証明のために東山大佐は勲章をくれたのかもしれない。
そんなことを頭の片隅に浮かべながら、結衣は初めて食べるのであろう合成揚げパンの食感に小首を傾げるスティアと、控えめに牛乳を飲んでいる絵理へと交互に視線を向ける。
そして、そこにある小さく、か細い種火のような、いつかは灯る炎となる微かな安らぎを抱くように、結衣もまた、合成揚げパンを齧るのだった。
これにて第二章完結となります。更新の励みとなりますので、レビュー、ブックマーク、評価、感想等は随時お待ちしています。