42.魔法少女と「研究室」の主
四国奪還戦は成功に終わり、結衣たちは「オケアノス」に揺られながら東京への帰還を果たしていた。
短い間ではあったものの、貴賓艦としての役割も帯びている「オケアノス」に常備されているレトルトの食品類は質の高いものばかりで、艦長である東山の歓待も、結衣たちの荒んだ心を癒すのに一役買っていたところもある。
贅沢をいってしまうのであれば、揚げパンが食べたかったところはあるのだが、流石に各管区の要人をもてなすのにそんなジャンクフードは出せないだろうというのはわかり切ったことで、缶飯の白米とレトルトのビーフシチューを別れの晩餐として、結衣たちは地球連邦軍極東管区総司令部に戻っていた。
「そういやダンジョンの中ってどうなってたん?」
ひとまずはマジカル・ユニットを統括している諏訪部の元に報告を届けるべく、廊下を歩いていた中で、軍服をラフに着こなした美柑が小首を傾げながら、結衣へとそう問いかける。
「どうって……まあ、凄かったよ、色んな意味で」
「嫌というほど現れる新種の変異体に、極め付けはワイバーン……お伽話の世界に迷い込んだかと思いましたわ」
「……わ、ワイバーン……その……大変だった、んですね……」
実物を見ていないから、美柑と絵理は確かなことは言えなかったが、外と比べればそれだけで、相当な混沌があのダンジョンには広がっていたのであろうことは推測がつく。
考えないようにはしていたものの、敵星体がこれだけの短期間であれだけの変異体を生み出す、つまりは多様性を獲得するというのは明らかに異常なことだ。
その原因は、今は容器の中で厳重に密封されている、迷宮の最奥部で発見した弱々しくも赤く輝く物体にあるのかもしれないが、「ラボラトリィ」に回して解析結果を待たない限りはそれも不確かな推測でしかない。
「ワイバーン……お伽話の世界に出てくる、竜」
「……スティアは、何か知ってるの?」
「わからない……でも、きっと怖いことは、わかる……」
古に歌われた唄を諳んじるかのように呟いたスティアの口振りは、何かを知っていそうな含みを持って結衣には聞こえたものの、本人は小首を傾げてそう語るだけだった。
記憶喪失というのはそういうもので、ふとしたきっかけで記憶が戻ることもあれば、戻らないままのこともあるという。
ならば、ふわりとその髪から粒子を漂わせて、頭上にクエスチョンマークを浮かべている彼女に、これ以上を問いかけても仕方がない。
そんな結衣とスティアを見つめる絵理の視線がどことなくじとっとした湿気を帯びているように思えたのも、きっと気のせいだろう。
そういうことに決めて結衣は、他愛もない言葉を美柑たちと交わしている内に、いつしか諏訪部が待っている司令室へと辿り着いていた。
オートロックの扉は開かれていて、結衣たちがセンサーの視認できる範囲に立つと、ぷしゅう、と空気が抜ける音を立てて、自動ドアが両開きになる。
そうして露わになった司令室の椅子にはいつも通りに諏訪部が腰掛けていたものの、その隣には、絵理たちにとっては見慣れない──結衣はよく知っている赤毛の女性、宮路真宵が何やら意味ありげな笑みを浮かべて控えていた。
「今回の任務、ご苦労だった。細かいことは東山大佐から聞いているが……四国が敵星体から解放されたとなれば、それは人類にとって大きな一歩だ。君たちの敢闘に感謝する」
敬礼をして司令室へと足を踏み入れた結衣たちに諏訪部は立ち上がり、頭を下げてそう語ると、収まりが悪そうに再び高そうな椅子へと腰を落ち着ける。
厳密には敵星体の巣になっているダンジョンを潰しただけで、「はぐれ」の個体はまだ四国に徘徊しているのかもしれないが、そうした残り物の掃討戦だけならば結衣たちがわざわざ出向く必要もないのだろう。
人類がその生存圏を拡大するのはある種の悲願であり、今も地下都市で暮らすことを強いられている下層市民たちが、地上に一日でも早く戻ってこれるように願うところは諏訪部も、結衣たちも同じことだった。
それでも、そのために犠牲となった死者には勲章と二階級特進が与えられるだけで、空の棺を飾るそれに何の意味があるのかと、結衣はまた暗く沈んだ表情を浮かべる。
だが、それについて諏訪部を責めたところでどうにかなるわけではないというのもまた、わかりきったことだった。
「今回の件については概ね把握しているが、宮路少佐に仔細を伝えてもらいたい。『ラボラトリィ』はデータを欲しがってるんでな」
「ま、そういうことになるのかな。結衣ちゃんが抱えてるそれについてもある程度わかってきたし、こっから先は僭越ながら不肖あたし、宮路真宵が引き継ぐってことで」
諏訪部から背後に配置されているスクリーンのコントローラーを受け取ると、真宵は結衣たちの抱えている疑問を解決すべく、まずは「ラボラトリィ」が手段を問わずに集めた情報、その中でも似たような物体がフレームに収められている写真を画面に浮かべてみせる。
「わたくしたちが持ち帰ったものと似ていますわね、少佐。何ですの、これは?」
「んー、それについてはキミたちの推測通りだと思うよ、あのダンジョンの核になっていた存在……『星遺物』ってあたしたちは呼んでるけど、まあ簡単に言っちゃえば、『赫星一号』の破片が変質した存在だね」
アンジェリカの問いに、真宵はすらすらとそう答えた。
従来、地球に残存する敵星体は落下してきた「赫星一号」の破片から生み出されている、というのが定説だったが、この「星遺物」の存在はそれを裏付ける証拠といっても過言ではないだろう。
何故それが迷宮を生み出したのかについては目下調査中であるものの、少なくともダンジョンアタックに成功した部隊が皆あの赤くほのかに輝く物体を持ち帰っていることから考えれば、ダンジョンを生み出しているのが「星遺物」であるということは断定できる。
研究室──「ラボラトリィ」の主である真宵は知的好奇心が抑えきれないといった笑みを浮かべながら、今度は内藤を経由して東山へと渡り、そして諏訪部の元に届けられた結衣たちの交戦記録をスクリーンに浮かべてみせる。
そこに記録されていた変異体のデータは、真宵にとっては非常に魅力的で興味深いものだった。
同時に他の各管区から合法非合法を問わずに入手したダンジョンアタックの記録と、遭遇した敵星体、その中でも変異体のデータを強調して、真宵は少し興奮したように息を荒らげ、結衣へと質問を投げかける。
「結衣ちゃん、ぶっちゃけフィーリングでいいんだけど、ダンジョンに潜って変異体と戦ってた時、何か思ったことはなかった?」
それは事実上、真宵が考えていることと、結衣が考えていることの符号を意味している問いかけだった。
死者への想いや死線を潜った戦いについてではなく、あくまでも直感的に状況を俯瞰して思ったこと──それは、敵星体の多様化と呼べる変異体の出現についてだろう。
「……実験室みたいだ、って」
「んふふ、ありがとね結衣ちゃん。そう、あくまでまだ仮説だから断定はできないけど、敵星体が多様化とも取れる変異体を生み出してる、あの迷宮は迷宮というより実験室なんじゃないかって結衣ちゃんの直感は、そう間違ったものじゃないってあたしも考えてるとこ」
何のためにそんなことをしてるのかについては目下研究中だけどね、と付け加えて両肩を竦めると、真宵は各管区から集められた変異体のデータを次々とスクリーンに表示してみせる。
その変異は管区ごとに異なるものもあれば、結衣たちが見てきたのと同じものも存在していて、最早敵星体の分類が、今までのそれには収まらないことを示していた。
「だが、おかげでダンジョンアタックについての有益なデータを集められたことは確かだ。君たちには勲章の授与も検討されている」
しかし、あくまでも人類の目的は変わらない。敵星体をこの地球から叩き出して国土を取り戻す、という意味で考えれば、敵星体の実験とやらもあのフラスコのような迷宮ごとご破算にしてしまえばいいだけの話だ。
諏訪部は仮説が脳裏を駆け巡って興奮を抑えきれない真宵を宥めるように話を取り継ぐと、今回の任務にあたっての実益を結衣たちへと率直に伝えた。
正直にいってしまえば、今更勲章といわれても、というのが結衣たちの本音だったが、あの東山大佐から何か働きかけがあったのかもしれない。
「勲章かぁ、結衣たちはともかくアタシたち、いつも通りにやってただけで大したことはしてないんだけどね」
「外に陣取っていた敵星体を殲滅したというのは大きな戦果さ、三上美柑。むしろ今まで勲章もほとんど出せなかったおれたちが不甲斐ないだけの話でね、これは」
78式呪術甲冑が完成したとはいえ、運用した中でその課題は浮き彫りとなり、未だに人類が魔法少女に戦力としての働きを依存しているのは、間違いない事実だった。
苦笑する美柑に苦笑で返しながら、諏訪部はその政治的な事情で動いている自分たちを嘲るかのようにそう答える。
しかし、死んだ時に貰えるそれの価値と、生きている時に貰えるそれの価値はどこに違いがあるのだろう。
東山大佐からの推薦があった手前、叙勲を辞退するわけにはいかないと結衣たちは渋々その旨を受諾すると、踵を返して、未だに真宵が目を輝かせている司令部を後にするのだった。