37.魔法少女と迷宮仮説
深部に至るほど、迷宮に根差す紫水晶はその「侵食」を深めて、結衣たちが最下層と見られる敵星体の反応が一際大きな階層へと辿り着いた頃には、既に78式呪術甲冑の探照灯を必要としないほどにその明かりははっきりとしたものになっていた。
水晶の巣窟とでも呼ぶべきこの階層は、それが人類にとって不倶戴天の敵である連中の巣でなければ観光スポットにでもなりそうなものだったが、現実は違っている。
敵の変化についても、階層を追えば追うごとに多様化が見られた、というのは恐らく「ラボラトリィ」の研究員たちとってはいいデータになるのだろう。
複数のタイプ・キャンディが寄り集まってできたキメラのような、三つ首の個体がフロアを徘徊していたこともある。
かと思えば、タイプ・クッキーの有するパワーをスピードに振ったような猟犬にも似た個体──「猟犬級」と呼称するのが適当な個体とも遭遇して、結衣にはここが迷宮というより、敵星体の実験場なのではないかとさえ感じられた。
「……何を実験してるかは知らないけど」
「実験、ですの?」
ふと口をついて出た独り言を、アンジェリカは聞き逃していなかったらしい。
それは結衣が何の根拠も持たずに呟いたことではあったが、いい加減敵星体と水晶だらけの光景にも飽きてきたのであろう彼女にとっては、気を引くいい話題だったのだろう。
「なんていうか……変異体の数が多すぎるから。ここだけで変異体の新種が何個発見されてるかわからないし、それこそ何か実験でもしてるんじゃないかって」
敵対する存在を排除すること以外の知性を持たないとされる敵星体が、地球を根城にして何かの実験に血道を上げているなど、他人に話せば笑い飛ばされそうなものだった。
だが、アンジェリカも、密かにその会話に聞き耳を立てていた内藤も、結衣の言葉を笑い飛ばすような真似はせず、むしろ肯定するかのように顎へと指を這わせて一様に首を傾げる。
それを何故「実験」と感じたのかについて、結衣はあまり考えを巡らせることはなかった、いってしまえば口をついて出てきた言葉に過ぎなかったのだが、アンジェリカはそれを言い得て妙だと思っていた。
人類を絶滅させることが敵星体の目的であるのなら、従来の形から変化を遂げる必要性はさほど感じられない。
ただしそれは、3年前までの話だ。
敵星体と戦えるのは魔法少女というごく限られた戦力だけで、正規軍はそのバックアップに徹することしかできないという歪な戦力バランスの下で結衣たちは戦い続けてきたが、今は違う。
「ってぇと、俺たちか?」
内藤は狭苦しいコックピットの中で首を傾げながら、結衣の立てた仮説に対して、根拠となりそうな考えを一つ、口に出していた。
3年前と今の決定的な違いがあるとするならば、それは正規軍の兵士であっても通常のタイプ・クッキーと一対一でも互角に渡り合うことができる人型機動兵器、78式呪術甲冑の配備がそれに当たるのは確かなことだ。
その配備が敵星体に知れ渡ったからこそ、危機感を強めた彼らが自らの種を分化させることで、人類の殺戮という目的に最適な形を探っている──荒唐無稽な話ではあるが、ありえないと断言できないわけではない。
だが、その仮説を真実とするのには、いくつもの穴がある。
例えば、何故佐渡ヶ島奪還戦の段階で、軍内部でもごく少数の人間しか呪術甲冑の配備状況を知らない時点でダンジョンの痕跡らしきものが生まれようとしていたのかということがそうだ。
可能性としては敵星体の内通者が軍の内部に潜んでいる、ということが考えられる。
だが、対話もできない相手がどうやって内通者を送り込むのか、また、送り込んだとしても呪術甲冑の配備を知ることができる重要なポストに配置されるのかという点を立証するのがほぼ不可能である辺り、その説の信憑性は皆無に等しい。
「……可能性はあると思うけど、わからない」
「だろうな、何せ言葉が通じねぇんだ、通じたとしたって律儀に教えてくれるとは限らんがな」
ただ、何の目的もなく敵星体が進化とも呼べる種の分化を遂げているとは考えづらい。
恐らくはこの奥に答えがあるのかと、フロアを徘徊する敵性体の反応がなく、ただ一点に防備が集中された「気配」を辿りながら、結衣は茫洋と頭の中でそんなことを考える。
もしもここが敵星体の実験場で、そして、変異体のほとんどは非現実的な存在でこそあるものの、従来型のような異形ではなく、わかりやすく地球の生物を模していることに意味があるとすれば。
──それは、ひどくおぞましいことなのではないだろうか。
結衣は自らが導き出した仮説が伝える悪寒に思わず背筋をぞくりと震わせるが、そんなものは現状、証明する手段がない以上は杞憂に過ぎない。
しかし、常に最悪を想定して行動しろ、と、3年前に魔法少女として教え込まれたその固定観念が、本能に警告として訴えかける。
迷宮のような構造から、この「巣」はダンジョンと名付けられていたが、侵入者を惑わせる迷路は時間稼ぎのためで、本来は何か違う目的があるとするのなら。
現状、答えは不明だが、その仮定が全て正しかったのなら、自分たちは敵星体という存在について大きく思い違いをしていることになる。
そうでないことを祈りながら、結衣と、そしてアンジェリカも慎重に、敵の大群が待ち構えているフロアへと歩を進めていく。
踏み砕いた紫水晶の欠片が立てるぱきり、という音は何かの前触れであるかのように不気味な響きを持ってフロアの中に反響するが、そのことに反応した敵星体が出てくる様子は今のところない。
そうなれば、今までの階層とは違って、この深層に配置された敵はあくまでも何かを守るため、一塊になっているのだろう。
最悪は、メタモルブーストを切らされることになるだろうか。
歩みを進めるごとに強まっていく「星の悲鳴」がけたたましく脳裏で響き渡るのに煩わしさを感じながらも、結衣は歩くのをやめることはない。
自分の魂にどれだけの「猶予」が残っているのか──前島亜美や翠川美琴のように、その魂を極限まで燃焼させ尽くした魔法少女は、高次元に接続していた代償として、流星のように燃え尽きて灰になる運命を辿る。
それがわかるのは、本人の感覚だけだという魔法少女という名のシステム、その不便さに結衣は歯噛みしながらも覚悟を決めて決戦へと臨もうとしていた。
アンジェリカもまた、それは同じだった。
むしろ、第二世代である分、自分の方がメタモルブーストを切らされるリスクは高い。
一度燃え尽きてしまえば、魂は治癒魔法をかけたとしても、元に戻ることはない。
その不可逆性故に、常に揺らぎ続ける不確定性故に、魂はあらゆる可能性を内包した高次元へと繋がる扉としての役割を持つのだから。
魔法少女に定められた滅びのことを頭から振り払って、結衣は思考誘導弾を展開、フロアに突入した瞬間、狙いも付けずに、今までの部屋よりも一際巨大な空間へと陣取っている敵星体へと撃ち放つ。
「援護いたしますわ!」
結衣が放った思考誘導弾を、アンジェリカの強化魔法がブーストアップすることによって、粗雑に撃ち放たれた一撃は、範囲で多くの敵を巻き込む爆撃へと姿を変える。
「ありがとう、アンジェリカ!」
「魔法少女の嬢ちゃんたちが派手にやってるんだ、野郎共、俺たちも乗り遅れんじゃねえぞ!」
『了解!』
「おぉらああああッ!!!」
先陣を切る結衣の勇気に応えるかのように、内藤は部下たちへと檄を飛ばして咆哮した。
そして、広範囲爆撃へと姿を変えた結衣の一撃が撃ち漏らした敵を、扇状に陣形を展開した呪術甲冑隊の構えるアサルトライフルが撃ち落としていく。
敵の大半を占めるタイプ・キャンディの中には三つ首の変異体も混ざっていた。
だが、飽和爆撃と呪術回路が生み出す魔力に裏打ちされた弾幕砲火の前には無力であり、七面鳥撃ちのように星屑たちは撃ち落とされる。
「……やっとお出ましってわけね」
杖から展開した光の刃で変異体も、通常個体の区別もなくタイプ・クッキーを薙ぎ払いながら進んでいた結衣が、空間全体を激しく揺らす地響きに、唇を湿らせながらそう呟く。
そして、一際強い「星の悲鳴」が怯えていた正体──その胎に大量の敵星体を格納するワーム、タイプ・ショコラータの母艦級が、結衣たちの前にその姿を現すのだった。