32.魔法少女、再始動
結衣たちがブリーフィングルームに呼び出されたのは、四国に派遣されていた調査隊が帰還して一週間後のことだった。
急な召集に結衣たちが戸惑っていたかといえばそんなことは全くない。
何故ならその間、マジカル・ユニットに与えられていた任務はいつもと変わらず地上の警備と治安維持、そして何もない日は社会奉仕活動という名の掃除であったりと、連邦防衛軍における最大の戦力に与えられるには相応しくないものばかりだったからだ。
「召集……ってことは本格的に始まるのかな、四国奪還戦」
「……あ、あれは……噂だって……」
「んー、でも調査隊は帰還したっしょ? そんで、アタシらに白羽の矢が立ったってことはそれだけの案件ってことっしょ? 絵理」
美柑と絵理はあくまで噂の段階でしかなかった四国奪還戦について、互いに半信半疑といった様子だったが、結衣はそこに戦いの気配を感じ取って一人、神経を逆立てていた。
敵星体は一秒でも早く地球から全て叩き出すべきだ、というのが結衣のトラウマから来る持論だったが、軍に身を寄せるということは、組織の規律に従って動かねばならないということであり、よほどのことがない限りは、有事即応などというのは夢のような話でしかない。
マジカル・ユニットは全ての部隊から独立した権限を有してこそいるものの、司令官である諏訪部がそれを行使することはなく、四国奪還戦の調査隊にしても、彼は結衣たちの温存という選択肢を取っているのだ。
しかしそれも、無理のない話である。
結衣は理想と乖離した現実に歯噛みして、小さく固めた拳を震わせた。
そんな彼女の様子に気づいたのか、ふわりと粒子を散らしながら小首を傾げて、スティアは結衣の瞳を覗き込む。
「結衣……怒ってる? 結衣は、強い……でも、調査隊? に呼ばれなかったから、怒ってる……?」
「……スティアは、なんでもわかっちゃうんだね」
覗き込む角度によって色を変える、スティアの不可思議な瞳は自らの心を映し出す鏡のようで、結衣はその移ろう水鏡に、自分の中で捨てきれない青臭さと理想論を見透かされたように感じていた。
調査の段階でマジカル・ユニットが投入されていれば、犠牲を出すことなく制圧できたと考えるのは傲慢なのかもしれない。
それに結衣は何よりもよく知っている。
第一世代の強力な魔法少女であろうと、第三世代の非力な魔法少女であろうと、プロの軍人であろうと、何の力もない市民であろうと、戦場という地獄では分け隔てなく、死ぬ時は死んでいくのだ。
初めて魔法少女に変身して敵星体を仕留めた日に、妹の芽衣は油断していたから、トドメを刺し切れていなかった敵星体に食いちぎられて命を落とした。
結局のところ死ぬ時は死ぬ、生き延びる時は生き延びる。
例え最善を尽くしたとしても、天に運を任せる他にないという状況はいくらでも起こりうることで、それは自分たちも、「原初の七人」と呼ばれた第一世代最後の生き残りであったとしても例外ではない。
結衣の耳にも、調査隊の先遣隊として選ばれた魔法少女たちが犠牲になったというニュースは入ってきており、彼女たちを天国へと送り出す空の棺を弔いもしていた。
遺品の回収すらできなかったほど、先遣隊が挑んだダンジョンは過酷なものだったらしい。
呪術甲冑陸戦隊を率いている内藤という大男が、恨みのこもった視線で自分たちを一瞥してきたことを、結衣は今でも覚えている。
自分だって、行けるなら行きたかった。
そう反駁することはできたとしても、現実としてそうはならずに、呪術結界に守られた東京で概ね安穏とした日々を過ごしていたのは事実なのだから、彼を非難することなど、結衣にはとてもできそうにない。
「……私は、一人でも多く敵星体から人々を救いたい」
「……結衣さん……」
「……軍に戻らないと、スティア一人だって守れないのはわかってる……でも、歯痒いの」
結局、結衣がいくら強力な力を持っていたとしても、それは敵星体を殲滅するだけのもので、誰かの生存を保証するとまではいかなくとも、その確率を高めたいのであれば、より多くのプロフェッショナルが必要になってくる。
局地戦に勝利したとして、背後にある本拠地が焦土になっていたら意味はない。
それ故に、結衣は軍に戻る道を選んだのだが、戻れば戻ったでこういった組織のしがらみが足枷を嵌めてくるのだから、ままならない。
かつかつと踵でリノリウムの床を打ちつけながら、結衣は眉根に深くシワを刻んだまま、ブリーフィングルームへと歩いていく。
「……結衣、ホントに大丈夫なん?」
「……大丈夫よ、美柑」
「結衣が言って聞かない性格なのはわかってる。それに、結衣が望んで戻ってきたのもね。絵理だって……スティアちゃんだってきっと同じだよ。だから、生き急ぐような真似はやめて」
美柑は、彼女にしては珍しく強い口調で唇を尖らせると、虚を宿す結衣の、光が消えた瞳を真っ直ぐに見据え、聞き分けの悪い子供にお説教をするかのように人差し指を立てて言った。
「……スティアも、結衣がいなくなるのは、怖い……だから、望まない……結衣」
「……わ、わたしも、です……!」
結衣に信頼を寄せている絵理とスティアは、どこか死に急ごうとしている結衣の両手を引いて胸に抱きながら、その温もりで空になった心を満たそうと試みる。
そんな仲間同士の絆とでもいうべきものを、どこか冷めた瞳で見つめていたのが、マジカル・ユニットの中で唯一の第二世代である魔法少女こと、アンジェリカ・A・西園寺だった。
ふわふわとウェーブがかかった焦茶の長髪を揺らしながら、アンジェリカは死に急ごうとしている結衣にも、そしてそれを引き留めようとしているスティアと絵理にも関心を示した様子は見せず、しずしずとその後ろを歩いている。
「アンジェリカは、何か言わないの?」
「ええ、当人がそう望むのならば好きにさせてあげるのが一番幸せかと存じますので」
美柑からの問いかけにそう返すアンジェリカの瞳に滾っているものは、奇しくも結衣と同じく敵星体への憎悪と、そして。
左目が青、右目が赤というオッドアイを持って生まれてきたアンジェリカにとって、極東管区における第二世代最強の魔法少女という肩書きは特別な意味合いを持っていた。
力こそが、屠ってきた敵星体の数こそが己を証明する手段であるのなら、自分はやりたいように敵星体を鏖殺する。
だから、最強の魔法少女だろうが、類稀なる直感を持つ人間だろうが、「原初の七人」の生き残りであろうが、各々のやりたいようにやればいいというのが、アンジェリカにとっての考えだった。
死にたければ死ねばいい。生きたければ、全力を尽くしてその天運を掴み取ればいい。
──死力を尽くせば、いつだって結果はそこに伴う。
そんなアンジェリカにとっての哲学は、強者にとってのみ都合のいい、歪んだものだった。
だが、歪んでいない魔法少女などいるだろうか。
戦いを生き残った中で擦り切れていない魔法少女など、存在するだろうか。
その答えは否である。
気さくに打ち解けているように見える美柑だって少なからずこの絶望的な戦況に対する諦念を抱いているし、絵理も後方勤務で、治癒魔法の特異性を目の当たりにした市民から化け物を見るような目で見られたこともある。
その度に脆い彼女の心は傷つき続けていたし、今も悪夢に苛まれることもあった。
だが、結衣という支えがあるから生きていける絵理と違って、今の結衣にはスティアの存在以外支えがない。
「戦いになって同じこと言ったら、怒るかんね」
「無論、戦うとなれば全員での生還が第一目標ですわ。わたくしたちは、地球のためにも倒れるわけにはいきませんもの」
明日の地球についてすら考える余裕を失った世界で、アンジェリカのようにその未来を見据えている人間は稀だ。
しかしそれは、裏を返せば何かしら彼女には明日の地球を、未来を見なければならないという使命があるからということでもある。
美柑は、あえて深く問いかけることはしなかった。
その会話を小耳に挟んでいた結衣もまた同じだった。
抱えている哲学が噛み合わなくても、戦いに支障をきたさなければそれでいい。
少なくとも、それだけはマジカル・ユニットの魔法少女たちに共通した考えだった。
そして、ぷしゅう、と空気が抜ける音を立てて、いつの間にか辿り着いていたブリーフィングルームのドアが開く。
指定の部屋に集結したマジカル・ユニットの面々は、モニターの前に立つ諏訪部へと敬礼をすると、それぞれに思惑を抱えたまま、来るべき戦いに備えて、席に着くのだった。