24.魔法少女、復隊の条件
スティアに事のあらましを打ち明けた翌日、結衣は書類に混ざっていたメモ書きに記された電話番号を呼び出して、諏訪部とのコンタクトを取っていた。
待ち合わせ場所として訪れたのは以前にスティアと服を買いに行った池袋のショッピングモールであり、そこに併設されている喫茶店だったが、これといった理由があるわけではない。
単に駅から行ける範囲で真っ先に思い当たったのがそこだったというだけで、諏訪部の側から新宿がいいだとか渋谷がいいだとか指定されたら、それに合わせるつもりではいたものの、意外にもすんなりと結衣の要求は通されて、こうして待ち合わせを行っているのだった。
到着までしばらく時間がかかる、という連絡を、諏訪部がショートメッセージを通じて送ってきたのを確認すると、結衣は、行儀が悪いことを自覚しつつも二人席の向かい側に自分の荷物を置くことで席を確保する。
そして、しばらく頼んだアイスコーヒーにコーヒーフレッシュと大量のガムシロップを投入しながら、マドラーで茫洋とコップをかき混ぜていた。
苦いものが苦手なのに、わざわざアイスコーヒーを頼んだ理由なんてものは一つしかない。
この喫茶がなんてことはないチェーン店であったとしても、客層が地上で暮らせる上流階級に絞られている限り、一番安いアイスコーヒーが一杯でも千円札一枚を対価として要求してくる始末だからだ。
結衣は別段、金銭に困っているわけではない。
むしろ、第一世代魔法少女、「原初の七人」として赫星戦役を戦い抜いてきた分の給料であったり手当てであったりは相応の額が口座に突っ込まれているぐらいだ。
それでも何故一番安いアイスコーヒーを頼んでいるのかといえば、生来の気質がそうさせるとしか答えることはできない。
自分は上流階級なのだと開き直って散財ができるほど、結衣の精神は強靭なものでもなければ、飲食といった行為にも以前より関心が薄れているという切迫した事情も抱えている。
その結果が、溢れそうになるまでガムシロップが注がれている、最早アイスコーヒーとも呼べない何かだった。
結衣は無感情にストローの包み紙を破ってグラスにそっと突き立てて啜ると、やはりとでもいうべきか、案の定コーヒーとしての風味が多少残った甘ったるい砂糖水とでもいうべき味が舌先に乗っかって、その味わいに眉をひそめる。
こんなことなら高いとわかっていてもアイスココアでも頼んでおくべきだったかと、それでも流石に飲み物へ千円以上の金を払うのはどうなのかと、湧き起こる二つの感情の間で板挟みになりながら、結衣は小さく溜息をついた。
ただ、こんな砂糖水であっても、そのまま飲むよりはマシだな、と思うところはあった。
なんということはない。ただ、結衣はこだわりのほとんどを失っていながらも、苦いものが苦手なのだ。
子供じみた味覚であることは自覚しているし、実際ちょっと前までは支給品のレーションで生活をしていたのだから、贅沢などいっていられないご時世なのは確かだが、それでも苦手なものは苦手なのだから仕方ない。
諏訪部が店を訪れたのは、あとで店員には謝っておくべきだろうかと思いつつ、そのアイスコーヒーなんだか砂糖水なんだか区別がつかない物体を、しかめっ面でしばらく啜っていた時だった。
「すまない、待たせたな」
「……大丈夫です、席は取ってありますから」
「助かるよ」
遅れてきて、座る席がないでは格好がつかないからね、と相変わらずどこまでが本気でどこまでが冗談なのか、区別がつかない言葉を口ずさみながら、諏訪部は結衣が撤去した荷物の置いてあった席に腰かける。
そして、電子化されたメニュー表から結衣と同じく一番安いアイスコーヒーをタップして注文すると、三分ほどで店員が運んできたそれを、ガムシロップやコーヒーフレッシュの一つも入れることなく一息に煽った。
「すまないね、品がなかったか」
「喉、渇いてたんですか?」
「ん……それなりにな? 割と走ってきた」
それでも言い訳としてはいいものではないと、品に欠ける仕草でコーヒーを煽ったことを結衣にわざわざ詫びる辺り、変なところで諏訪部は律儀な男だった。
仮にこれが軍の偉い人や、政治家の前であったなら諏訪部の昇進は絶望的になるのだろうが、目の前にいるのは復隊しようと目論んでいるとはいえ、一度は除隊扱いで事実上クビになった、何の権力もない魔法少女でしかない。
前線から遠ざかると身体が鈍るものだな、と冗談交じりに肩を竦める諏訪部の仕草はどこまでが本気で、どこまでが冗談なのか、相も変わらず結衣にはわからないが、そうでもしなければ海千山千の古狸たちを相手に、戦時の都合もあるとはいえ、若くして頂くことになった大佐という階級を維持することは難しいのだろう。
「……本題に入っても?」
「ああ、こちらとしては構わんさ」
そんな怪物と今から腹芸をやり合おうというのだ、という事実に少しばかり胃袋が締め上げられたような痛みを覚えるが、結衣はそれを誤魔化すようにコーヒー風の砂糖水で舌先と喉を湿らせて、単刀直入に話を切り出す。
こういう手合いに対して、結衣のような素朴な人間は、周りくどいことをするよりも直球で話をぶつけた方が効果的なのだ。
せめてそう信じるくらいはしておきたいと願いつつ、結衣は鞄の中からマジカル・ユニットへの復隊を願い出るために書類を一式取り出して、諏訪部へと提示してみせる。
「ん……その様子だと、マジカル・ユニットに参加してくれると考えていいのか?」
「……ええ、基本的には」
「基本的には?」
書類に直筆の署名と印鑑が捺印されていることを確認しながら、諏訪部は訝るように首を傾げて、結衣が呟いた言葉を復唱した。
なんらかの取引を持ちかけようとしている意図を察せないほど、諏訪部という男は鈍感ではなかったものの、果たして何を交換条件にしてくるのかについては心当たりがない。
僅かに表情を強張らせた諏訪部の目を真っ直ぐに見据えながら、結衣もまた強かな光をその瞳に宿して、言葉を続ける。
「大佐、私と取引をしてくれませんか?」
「取引、ね……それこそ、基本的には構わないが、事と次第によるぞ?」
軍に戻ったら、毎日スウィート・クラスを用意してくれなんて言われた日には、おれの首が飛びかねないからな、と冗談を交えて諏訪部は肩を竦めるが、それは、裏を返してみればいかに相手が人類の英雄である結衣であっても容赦しない、ということでもあった。
「……私が復隊する条件として、スティアの身柄を保証してほしい。それが私から出す条件です」
「……スティア、ねえ。君の同居人だったか」
あの後、諏訪部は抜かることなくスティアについての身辺調査を行っていたが、身元不明で戸籍もない人間だということしかわからないのは、いかにこの3年間で連邦が混乱しているとはいえ、疑わしいことに違いはない。
とはいえ、身元不明人の存在は「赫星戦役」以降珍しいものではなく、スティアもその一部だと考えれば、辻褄は合う。
結衣が一体何を考えているのか、と、測りかねた様子で諏訪部が首を傾げると、結衣はその間隙を突くかのように、続く言葉を舌先に乗せて紡ぎ出す。
「……無茶を言ってるのはわかってます、でも……スティアがいなければ、私は二度も敵星体の出現に立ち会うことができませんでした」
「ほう……?」
「スティアには奇妙な直感があります、敵星体の襲来を言い当てられる……それだけで軍に置いてくれ、というのは無茶だとわかっています、でも……!」
結衣は必死に頭を下げて、なんとかスティアの身柄を軍に、特に信頼のおける男である諏訪部に保護してもらおうと試みるが、その直感が根拠としては無謀なものであるとわかっている。
だからこそ、交換条件として、天秤の皿へと自身の復隊を乗せたのだ。
自分には、まだ利用価値がある。
結衣はそう確信していた。
そうでもなければ、わざわざあの時諏訪部はマジカル・ユニットへの編入に必要な資料を届けに来なかったのだろうし、それは逆説的に結衣という人物が軍部においてまだ価値を持っていることの証明でもある。
「なるほど、そういうことか……しかし小日向結衣、君は戦えるのか? おれがあの資料を持って行ったのは、上から持たされただけだからかもしれないぜ?」
「……戦います。スティアの身柄を保証していただけるなら。私の力じゃ、マジカル・ユニットには不足ですか」
諏訪部から目を逸らすことなく、結衣はそう断言した。退路を断ち、逃げ場を塞ぐ背水の陣であることはわかっていたものの、スティアの安全を保証するのなら、結局のところ連邦防衛軍という大きな後ろ盾と、信頼できる権力者の存在は不可欠なのだ。
その代償として捧げるものが、あの地獄に舞い戻ることであったとしても構わないと、結衣は言葉ではなくその瞳に燃え盛る意志を宿して、諏訪部を真っ直ぐに見据えていた。
「……はは、まあ……そうだな。今回はおれの負けだ。だがな、小日向結衣? スティアの身辺調査はさせてもらうし、おれの力ではどうにもならないことだってある。それだけは覚えていてほしい」
「……ありがとうございます」
その時は自分が何を差し置いてでもなんとかする、とでも言いたげな結衣の眼差しに込められた危うさと紙一重の情熱に、諏訪部は若さと、そして彼女の中に占めるスティアという存在の大きさを感じ取る。
どの道、マジカル・ユニットを能動的に運用するのならば結衣には復隊を願うことになっていただろうし、その代償が身元不明人一人の引き受けであれば、安いものだ。
その上眉唾物とはいえ、敵の襲来を予知できる直感をスティアが持ち合わせているなら、それは利用できる価値になる。
無論、全てが都合よく行くわけではないことはお互いにわかっていても、この取引は結衣にとっても諏訪部にとっても、双方に利益があるものには違いない。
契約成立だ、とばかりに差し伸べられた諏訪部の手を結衣は強く握り締めるのだった。