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23.魔法少女、その願いの在り処

 スティアには記憶がない。

 それは自分を証明するための手段、スティアがスティアとしての存在を確立するために必要な前提条件が抜け落ちているということであり、行動や単語、意味を持つ言葉がその欠落を埋めてくれることもまた、ないのだ。

 だからこそ、唯一スティアが保持している、自分に関わる記憶──あの日、理由もわからず行き倒れていたところを結衣に拾ってもらったというのは、大事という言葉でも足りない宝物のようなものだった。

 スティアにとって、結衣は一つの世界だ。

 意味のある言葉を運んできてくれるのも、話し相手として今の「スティア」の存在を補強してくれているのも、返しきれない恩だと思っている。

 そんな結衣が東京湾で巨大敵星体を撃破して、家に帰ってくるなり切り出した話は、スティアにとっては唐突すぎることだったし、理解が及ばないことだった。


「結衣……軍に、戻る? スティアには、わからない……結衣は、クビになったからお家があるのに……?」

「……うん。でも、前にお客さんが来たでしょ? あの時、あの人が……諏訪部大佐が残していった資料は、まだ軍が私を必要としてくれてるってことだから」


 結衣にとっては悩み抜いて決めたことであったとしても、それは自分の中で完結している決断に過ぎない。

 スティアが困惑しているのは、クビを切られたはずの結衣がどうして軍に戻れるのか、という純粋な疑問に加えて、どうして軍に戻る必要があるのか、という理由への問いかけが混線しているからなのだろう。

 小首を傾げ、肩に乗った髪からふわりと粒子を漂わせながら、スティアは眉を八の字に曲げて、すっかり困った様子をみせる。

 本当ならば、スティアに相談してから決めるのが最善だったのかもしれない、と、今になって結衣は後悔するが、あの時はああでも言わなければ、罪悪感に押し潰されてしまいそうだったし、何よりもう、絵理に言質を取られているのだ。

 諏訪部という男はどこまでも現実主義的で、隙のないような人物だというのが、3年間彼と接していて結衣が感じたことではあったが、切れる手札がないわけではない。

 軍に戻るという選択は、自分の力に対して責任を負うということでもあった。

 だが、なによりもまず、これからのスティアにとっても必要なことだと、結衣はそう確信している。

 ただ、それをスティアに納得してもらえるかどうかは別な話だった。


「……軍、戦うために集まった組織……結衣は、戦いたい……?」


 真っ直ぐに無垢な瞳を向けて、スティアは結衣へとそう問いかける。

 彼女の認識は全て正しいというわけではなかったが、軍隊の存在意義だとか発足の理由だとか、そういう話をしているのではないことぐらいは結衣にもわかる。

 要は結衣自身がどう願っているか、どう思っているかについて、その本音を打ち明けてほしいからこそ、尋ねているのだ。

 本音を嘘偽りなく答えてしまうのであれば、その答えはノーになるのだろう。

 鉄火場で命のやり取りをするのは、3年前の地獄で嫌というほど、それこそ一生分味わわされたし、かといって戦いそのものを好めるほど、結衣の心は振り切れていない。


「……それは、結衣の本当の願い? スティアは……軍のこと、結衣のこと、スティアのことも、何もわからない……でも、結衣が今、辛くて苦しい顔をしてるのは、わかる……」

「……そうかな」

「……うん、結衣は……そういう顔、してる」


 覗き込む角度によってその色彩を変える不可思議なスティアの瞳には、人の心を覗き込む力でも備わっているのだろうか。

 すっかりお手上げだといった様子で、結衣は満身創痍の心を庇い立てるように引きつった、愛想笑いの出来損ないを浮かべてみせるが、そういう表情が既に、無理をしていることの証なのだろう。

 戦わないという選択肢を、今までと同じように、スティアに危害が及びそうになった時だけ、魔法少女としての力を振るうという選択を取ることも、不可能ではない。

 だが、それは全て、現れる敵が結衣一人に対処できる範囲である、という前提条件がつく。

 その上、敵星体が本当に進化を遂げているなら、自分が思いもよらない敵が現れることも想定できる。

 つまり、どこまでも都合のいい偶然が連鎖してくれない限り、今までのような日々を慎ましく送っていくのは難しいのだ。

 それに、戦う力のある自分が戦わなければ、その分だけ犠牲は積み重なっていく。

 結衣は、世界中の人々を自分一人で助けられると思っているほど傲慢ではない。

 だが、どうしても、目の前で救えなかった命のことが、自分が手を下さないことで失われていく命の断末魔が、雷にも似た耳鳴りのように鼓膜の裏に張り付いて離れないのだ。

 辛くて、苦しい顔をしている。

 スティアの言葉を脳裏で反芻しながら、結衣はぐにぐにと自分の頬を捏ね回した。

 薄く乗せた化粧以外は普段と変わらない、愛想というものが抜け落ちた顔。

 スティアの瞳に映る自分は、ひどくげっそりとしているのだろう。


「スティアは、心配してる……戦うのは、怖い……結衣が戦うのも、怖い……戦って、帰ってこれなくなったら、人はいなくなっちゃう……結衣も、いなくなる……?」


 スティアが心配する通り、戦うという道を選んでも、そこに待ち受けているのは鉄風雷火が吹き荒ぶ地獄でしかない。

 その恐ろしさを、振り返る前は命として形を持っていたものが跡形もなく、無惨に引き裂かれていくことの恐怖を、結衣は魂に刻み込まれたかのようによく知っている。

 自分を贄にして誰かが助かるのであれば、スティアが助かるのであればそれでいい。

 スティアにとって、結衣の主張はそう言っているようにしか聞こえないのだ。

 命を丼勘定することを嫌いながらも、自分の命だけはその例外として扱う結衣の危うさは、記憶をなくして何もかもわからないスティアにさえ伝わってくる。

 それがもし、本心から結衣の望むことであったのなら、スティアは何も言うことはなかっただろう。

 だが、今の結衣は、仕方なくその道を選んでいるようにしか見えないのだ。

 死者たちに駆り立てられて、生者たちに押し潰されて、小日向結衣という一人の少女の心は破綻する寸前にまで追い込まれている。

 記憶はなくともわかるその残酷さにスティアは一粒の涙を零す。

 原初の魔法少女がどうだと、英雄だなんだと持て囃されても、結衣はまだ年端もいかない少女でしかない。

 そんな彼女が背負うのに、その二択はあまりにも酷だった。


「……私は、いなくならないよ」

「結衣……?」

「私ね、スティアと会って……救われた気がするんだ」


 だが、その残酷さも全て己の中に取り込むように、その全ての責任が自分にあるとばかりに結衣は一瞬悲壮な笑みを浮かべたが、それを迸る一つの感情で覆して、口元を綻ばせる。


「スティアと……? スティアは、何もしてない……よ……?」

「ううん、なんていうか……スティアがいてくれるだけで、話し相手になってくれるだけで、自分が戦うために生まれてきたんじゃなくて、ちゃんと人間なんだって、そう思えるようになったから。だから……私は、スティアに救われたんだよ」


 だから、何を差し置いてでも、スティアには生き残ってほしい。

 綿毛を宿した花のように、儚く崩れ去りそうな笑顔で、結衣は自分の中に探り当てた答えを噛み締めるように、スティアへと言葉を送っていた。

 戦うのは怖いし、本当なら戦いたくなんてないけれど、もしも自分の中に「本当の願い」があるとしたら、それはその一言に尽きるのかもしれない。

 結衣は、そんな自分の青臭さに少し辟易しながらも、見つけ出した答えには嘘偽りはないと胸を張る。

 それがたとえ虚勢であっても、強がりであっても、誰かに急き立てられたものだとしても、導き出した答えは他でもない、結衣だけのものだ。


「だから、これが私の本当の願い。スティアの居場所を保証してもらって、スティアに生きてほしいから……私は戦う。軍に戻る。でも、いなくならない」


 そんな保証はどこにもないと知っていながら、結衣は神にでも誓うかのようにはっきりと、スティアの瞳を真っ直ぐに見据えてそう宣言する。


「それが……結衣の願い? 結衣は、いなくならない……?」

「約束する。スティアがいてくれるなら……私は絶対に、いなくならないよ」


 それは言霊のようなものでもあった。

 はっきりと口に出すことで、その言葉には力が宿るという古い考えで、オカルトじみているが、魔法が存在する世の中なのだから言霊の一つや二つ、あっておかしくはないはずだと、結衣は開き直って断言する。


「そっか……なら、スティアは……スティアは、結衣を応援する……結衣は、スティアにとって、大切……だから、帰ってこれるように、応援する」

「……ありがとう、スティア」


 ──私は、それだけで頑張れるよ。

 結衣はそう呟くと、ソファの隣に腰掛けていたスティアの存在を確かめるように、しかし、壊してしまわないようにその細い身体を抱きしめた。

 数秒の間を置いて、控えめに返されてきた抱擁からはスティアの熱と願いが伝わってくるようで、結衣の瞳から一筋の涙が零れ落ちる。

 きっとそれは、幸せなことなのだろう。

 帰る場所がある。帰りを待ってくれている誰かがいる。

 久しく忘れていた感覚を手放してしまわないようにと、結衣はしっかりとスティアをその細腕に抱いて、流れるままに涙を零し続けるのだった。

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