20.魔法少女、立ち向かう
「お台場近郊に敵星体反応! これは……タイプ・ショコラータ……? いえ、もっと大きな反応です!」
結衣が家を飛び出したその時、地球連邦防衛軍極東管区総司令部では、突如として現れた巨大な敵星体反応にオペレーターたちが慌てふためき、それを眺める軍人たちの間にも動揺が走っていた。
またもか、と、誰かが零したのを皮切りに、呪術結界への不信を呟く声が上がり始めたのも、無理はないといえるだろう。
外部からの侵入に関してはタイプ・ショコラータクラスの相手であっても防ぎ得る大きさの呪術回路に核融合炉と地脈からのエネルギーを注ぎ込むことで、東京に張り巡らされた呪術結界は相当な強度を確保しているはずだったが、内部に直接侵入されたのであっては、その守りが意味を成すことはない。
しかし、どんな絡繰でこれほどの質量を結界内部に転移させてきたのか、あるいは──考え込む諏訪部の意識を現実へと引き戻すように、軍務局長の叱咤が司令部へと響き渡る。
「ええい、何を惚けている! オケアノス級を向かわせられんのか!?」
「オケアノス級をはじめとした主力部隊は現在佐渡ヶ島の掃討戦と実地調査に入っています、呼び戻すとしても時間が……!」
「くっ……こうも裏目に出るか!」
オペレーターの必死な返答に、無理にでも呼び戻せと答えない辺りはまだ、タカ派の筆頭である彼にも善性が残っている証左であったのかもしれない。
だが、事実として今、佐渡ヶ島に派遣されているオケアノス級を一隻呼び戻すにしても、それまでの時間で東京湾からゆっくりと歩を進める、化け物じみた巨体を持つ、怪獣としか表現できないような敵星体が本土に上陸するのは避けられないだろう。
本土防衛のために残している呪術甲冑の数は、数が心許ない。
その装備は一応試験を終えた、対星装備と呼ばれる、佐渡ヶ島に投入されたものと同じアーマメントも施されているが、何せ残された数と、乗り手が戦闘機からの機種転換訓練を受けている最中のパイロットしかいないのだ。
そんな状況であの巨大な敵星体を、街への被害を出すことなく軍の力だけをもって押さえ込むのは、無理難題を通り越して事実上不可能だといえた。
「軍務局長、ここはマジカル・ユニットの投入を進言します」
「う、む……だが、今からでは……」
「今からでもやるんです、端折れる手続きは端折って、一人でも多くの市民を救うことが軍人としての責務であると、小官は存じております」
諏訪部はすぐさまマジカル・ユニットの緊急投入を軍務局長へと宣言するが、それでも多少の犠牲を容認するのには変わらない。
平和に慣れきった代償として、魔法少女を過ぎたる力だと首輪をつけていたツケが回ってきたといわれればそれまでの話なのだろう。
だが、それを鑑みても現状は異常な状況であることに変わりはない。
諏訪部は軍務局長を真っ直ぐに見据えながら、彼がその上司である防衛長官へと指示を仰ぐのを催促するかのように目つきを鋭くする。
ここまで来れば、面子がどうのこうのといっている暇などない。
人類に課された至上命題は、3年前から何一つ変わってなどいなかったのだ。
ただ、生き残れ。どんな代償を支払うことになったとしても、多くの命を守り、救い通し、種としての人類を存続させろ。
突如として発生した巨大敵星体の襲撃は、喉元を通り過ぎたことで忘れ去っていた人類の危機感を喚起するのには十分であった。
「マジカル・ユニットの出撃要請議決に入る、それまでは──」
「はっ! 呪術甲冑を向かわせます、何としてでも時間を稼ぎ、タイプ・ショコラータ、その変異体の東京湾上陸をなんとしても阻止いたします!」
こんな時にも書類とハンコが必要になるのか、と、防衛長官が返してきた紋切り型の回答に忸怩たる思いを抱きながらも、諏訪部はそれを表に出すことなく、現状で打てる最善の策を提案する。
最悪は、退役艦扱いになっている「山城」を引っ張り出して、地上におけるタキオン粒子砲の発射という禁忌を犯す覚悟で、彼は東京に残されているマジカル・ユニット、その中でも最強である「原初の七人」の一人たる水瀬絵理及び、第二世代魔法少女たちの出撃要請議決案を、手元のコンソールを操作する形で提出した。
オケアノス級三番艦「オラシオン」にも東京へと反転するように軍務局長は指示を下しているため、「山城」を引っ張り出すような事態にはならないだろうと考えつつも、常に最悪を考えて動くのが諏訪部という男だった。
マジカル・ユニットによる殲滅も不可能であったのなら、「オラシオン」の艦首に搭載されている二連装タキオン粒子砲をあの怪物にぶち込む以外に、勝利の道は残されていない。
例えそれが地上で二発ものタキオン粒子砲を同時発射するという禁忌を超えた禁忌を犯すことになったとしてもだ。
人類は生き残らねばならない。
それは諏訪部に限らず、連邦防衛軍全体が共有している認識であったし、そのために動いてくれているというのは幸いであったが、染み付いた官僚主義的な悪癖から来る枷が外れないのは、どうにももどかしい。
だが、今が平時であればその判断は間違っていないのだから、どうにもならないものだと諏訪部は俯きながら、静かに唇を噛み、固く握った拳を震わせた。
「待ってください、魔力反応が一つ、お台場まで向かっています!」
「衛星からの映像を出せ!」
「は、はい!」
だが、この絶望的な状況でもただ一人動ける存在がいる。それを諏訪部は忘れていたわけではない。
オペレーターの報告を聞くなり、すぐさまその様子を映し出すように伝えた彼の視界に映ったものは、ノイズ状に揺らいでいる映像を補正することでくっきりと浮かび上がった、そのただ一人──今は除隊したことで民間人となっている「原初の七人」が一人、小日向結衣の姿に間違いはなかった。
だが、戦えるのか。
あのスティアという謎の少女との同居生活は結衣の心に良い影響をもたらしているのは確かなようだったが、未だに結衣の心は擦り切れ、傷つき果てた状態であることに変わりはないのだから。
「長官、これは……」
「うむ……議決の採択までは時間がかかる、彼女が誰かはわからないが、時間を稼いで貰う他になかろう」
「ええ、全くです。正体不明の存在に我々の命運を託すことになるのは屈辱ですが──死に絶えるよりは万倍良い」
要は、誰かわからないが協力者がいてくれたものの、その仔細について調べることはしないという話だ。
すっとぼけた、官僚的なやり取りを交わす形で、防衛長官は結衣の単独先行を黙認する。
この状況においては、連邦政府に国民の信頼の全てを寄せたいと目論んでいる軍務局長も言葉を挟む余地もなく、ただ聞かなかったフリをして、マジカル・ユニット出撃までの議決を眺めているようなポーズをとっていた。
諏訪部はそんな彼へと少しばかりの皮肉がこもった視線を向けると、瞬く間にお台場へと急行していく結衣の姿へ望みを託すかのように、ゆっくりと目を伏せるのだった。
◇◆◇
戦いは終わってなどいなかった。
魔力によって音速を超えたフライトを敢行しながら、結衣は改めて突きつけられたその事実に吐き気を堪える。
どんな理由で、何が原因で全ての敵星体を殲滅したはずの東京にあれだけの質量を持った敵星体が突如として現れたのかはわからない。
仮に考えるのが結衣ではなく専門の研究家であったとしても、その問いに対して正確な答えを出せる者はいないと断言できるだろう。
ならば、重要なのは事実の方だ。
高層ビルにも匹敵する巨体を持った敵星体が、東京湾から本土を目指して侵攻している。
それを食い止めなければ、多大な犠牲を払うことになるのは目に見えている。ならば、結衣が今為すべきことは一つしかない。
幸いなのは敵がこの前のように陸地ではなく海に現れてくれたことだ。
海上であれば、多少大掛かりな魔法を使っても、市街地に影響が及ぶ心配はない。
逆にいえばあの敵星体──タイプ・ショコラータの変異体が地上に上陸してしまえば、それだけで一巻の終わりであるということだ。
自分の魔力量であれば、どうにかなる、どうにでもできるはずだと鼓舞するように結衣は己にそう言い聞かせながら、思考誘導弾を周囲に展開して、巨大敵星体が待ち受ける東京湾へと到達するのだった。