2.魔法少女、謎の少女を拾う
地球連邦軍極東管区総司令部を後にした結衣は、指定された住所に向けてスーツケースを引きずっていた。
用意された一軒家は、主である結衣以外を待ってはいない。
両親は自分が「星の悲鳴」を聞いて魔法少女となる前、「敵星体」に食い尽くされて無惨な死を遂げていれば、「星の悲鳴」を同じく聞いたはずの妹は、魔法少女になりながらも慢心が、油断が元であっさりと死を遂げた。
タイプ・クッキー以上の個体が有する「爪」を飛ばしてくる攻撃は、魔力障壁を集中させていなければ防ぐことはままならない。
妹は、芽衣は勝利に浮かれて、両親の仇を討つことに浮き足立って、結果として、トドメを刺し切っていなかった敵星体の攻撃で呆気なく命を落としてしまったのだ。
それからだった。結衣が戦場においてある種の冷徹さと諦観を持って臨むようになったのは。
ともすれば、今の今まで生き残れたのはそういう「幸運」があったからかもしれないと考えて、結衣は自らの思考に吐き気を催す。
両親が、妹が死んだことのどこが幸運なのか。
(……ダメ、だよ……結衣……ちゃ……私、たち……地球を……パパ……マ、マ……)
かつて親友だった少女の末期の声は、今も雷のような耳鳴りとなって鼓膜の裏に染み付いていた。
むしろ自分も、生き残るべきではなかったのではないかとさえ、結衣はそう思っている。
赫星戦役の折、瓦礫に埋め尽くされていたはずの東京は3年という月日を経ることで見事な復興を遂げていたものの、結衣にはそれが何か感慨を帯びるというよりも、どこか空々しく感じられてならなかった。
摩天楼のように空へと伸びるビルやマンションに住むことができるのは、軍人や官僚、そして一部の特権が認められた上流階級だけで、下層市民は未だにあの狭苦しい地下都市で、息を潜めて暮らすことしか許されていない。
守り通した3年間がこれか、と、吐き捨てたくなる気持ちを堪えてコンクリートで覆われた地面を歩いていれば、陰鬱な気持ちは紛れるどころか、むしろ余計に重々しく感じられる。
上を向いて歩こうと誰かが歌っていたが、空を見上げても思い起こされるのは天から降り注いだ災厄の記憶ばかりで、涙はどこを向いていようと零れ落ちるばかりだ。
表向きの復興を遂げた地上都市、それも東京一帯のみを辛うじて存続させることが精一杯なのにもかかわらず、上流階級の連中と来れば、戦争が終わったかのように車を走らせ、呑気に談笑を交わしているのだからどうしようもない。
世界を救った英雄だと讃えられても、救世の乙女だと人々から呼ばれても、結衣の心にあるのは荒れた東京と燃える火の手、そして目の前で命を落としていった愛しい人々の幻影ばかりで、今こうして青空の下を歩いていることさえ、どこか他人事のように思えて仕方がなかった。
いっそ、あの車の前に躍り出てみればいいのだろうかと、結衣は諦めじみた考えを抱いたが、そうしたところで死ぬのは車の方だ。
魔法少女には自決が許されていない。
あの時聞いた「星の悲鳴」は魔法少女を生かすために、この地球を生かすために最善の選択を取り続ける。
それは即ち、変身できるものに害を及ぼそうとした者がいた時、自動で魔力障壁を展開して「ドレス・アップ」を行うというシステムが構築されているということであり、例えば結衣が生身で車の前に躍り出れば、展開された魔力障壁によって吹き飛ばされるのは自分ではなく車の方だ、ということだ。
もちろん、拳銃で自決を図れば銃弾は弾き飛ばされるし、刃物でそうすることを選べば刃は折れて、首を括ろうとすればロープが千切れる。
どこまでも合理的に、地球という星に従属させるシステムとして、魔法少女という機構は実によくできていた。
もっとも、この魔力障壁──変身の解号が守り通してくれるのは精々タイプ・クッキーまでであり、それ以上の個体に遭遇すれば、生身の時点で死を迎えるのだが、現状の地球において、タイプ・ショコラータに匹敵する個体は確認されていない。
それがどうしてなのかを気にできるほど、結衣の心に安穏の二文字は残されていなかった。
擦り切れ、傷付き、ただ無気力に体を引きずった先に、とりあえずは帰る家がある。
ただ、それだけの話だ。
携帯端末が示す住所に向けて、結衣が肩を落としたまま歩き続けていたその時だった。
「わ……っ……!?」
「……っ……!?」
何かに引っかかったような感覚と共に、結衣は前へとつんのめり、転びかけたところを無理やりに踏ん張って、結衣は転倒を免れたものの、足を引っ掛けてしまった相手はそうもいかなかったようだ。
「痛い……?」
「すみません、大丈夫ですか?」
「大丈夫……? うん、痛い……でも、身体を動かすのに支障はない……だから、大丈夫……?」
自分の状態を機械的に把握するかのように、しかしながら、唇から何か歌を紡ぎ出すような透明な響きをもって、結衣が足を引っ掛けてしまった相手──白いワンピースを身に纏っている少女は、きょとんと小首を傾げながらゆっくりと身を起こした。
ふわり、と、銀色とも金色ともつかない不可思議な色合いをした髪の毛から、粒子が舞ったように、結衣には捉えられたが、それが錯覚なのか現実なのかは判然としない。
だが、ただ一つわかるのは、この不思議な髪と、覗き込む角度によって色を変える瞳を持つ少女は、何故か地上区画で行き倒れていた、ということだけだ。
「貴女、名前は?」
「名前……人を見分けるもの? そう……なら、わたしは、スティア……スティアは、スティア。多分、そう……」
結衣からの質問に、きょとんとした表情を浮かべたまま、スティアと名乗った少女は相変わらず、風が吹き抜ける音を伴奏にして歌声を紡ぎあげるかのような口調でそう答える。
多分そう、というのがどういう意味なのかは結衣には図りかねることだったし、スティアの言葉は自分の発言を逐一検証しながら発せられているようで、そこに奇妙な違和感を覚えてもいた。
この特権階級しか住むことが許されていない地上区画で行き倒れていたのもどういう経緯なのか、まるでわかったものではない。
ただ、足を引っ掛けてしまった責というものが結衣にはあって、尚且つ行き倒れを放っておくというのも気が咎める。
「スティアだったっけ、貴女、どこに住んでいるの?」
「住んでいる……? わからない、スティアにはスティアって名前しか、わからない……」
「……記憶喪失?」
自分の名前以外覚えていない、という言葉を素直に信頼できるほど、結衣の心は無垢なものではなかったが、どうしてかスティアの言葉にはそういう無垢なるものが、人が人として生きるごとに抜け落ちていくものが感じられて、結衣は思わず反射的に問いかけていた。
戦傷やトラウマによって記憶喪失を患ったり、幼児退行を起こす人間は珍しいものの、存在しないわけではない。
それにしてはスティアの身なりは小綺麗で、およそ戦いという気配からは無縁そうなものであったが、どうしてかその言葉を素直に信じてしまうのは、存在が持つ力とでもいうものがそこにあるからなのだろうか。
本来であれば、自分がすべきことは連邦政府に彼女の身柄を差し出して、保護者を探すべきなのだろうが、結衣はもう軍属ではない。
「帰る場所がないの?」
「帰る場所……ない、スティアには……なにも、ない……」
「……なら、私と来る?」
おかしくなったのかと、結衣は一瞬そう思った。
言葉だけが先に走って、神経を張り詰めさせたような気分が、結衣の胸を満たして脊髄を指先でなぞられたかのように、ぞわりと背筋が粟立つ。
それは背徳であり、背信のようなものであったとしても、自らもまた特権階級なのだからと自嘲して、結衣はスティアと名乗る少女が困惑と共に差し出した手を取った。
「来る……どこ……?」
「……私の家。私、クビになったから」
「クビ……?」
「そう、でも家はある。貴女には家がない。合理的な選択だと思うけど」
「そう……スティアは、クビがわからない……でも、家が、おうちが、帰りたい場所なのはわかる……だから……」
「結衣。小日向結衣。好きに呼んでくれていいよ」
「わかった……結衣、よろしく、ね?」
これで合ってるのかを確かめるように、辿々しく言葉を紡ぎながら、スティアは気まぐれに差し伸べられた結衣の手を取って、ふたりぼっちの家路を歩むのだった。