19.魔法少女、立ち上がる
街頭ビジョンで華々しく宣伝されていた佐渡ヶ島奪還戦の様子を見送って、結衣はスティアが待っている自宅へと帰っていった。
帰った時に誰かが待っていてくれるというのは、どんな形であれ久しぶりで、ひび割れた心が癒されていくような感覚と、同時に思い出す過去の幻影に足を掴まれるような感覚が同居する複雑な思いが、結衣に吐き気を覚えさせる。
忘れていない。忘れはしない。
両親のこと、同僚として戦線に立った魔法少女のこと、そして、自分のせいで失わせてしまった命のこと。
全てを背負って生きていかなければいけないという覚悟が、結衣を雁字搦めに縛り付けて、離すことをしないのだ。
本当ならば、背負わなくてもいいことまで背負い続けるその律儀さは美徳だといえるのかもしれないが、それは同時に自壊の引き金でもある。
わかっている。わかっていても、どうしようもなければ、結衣にはそれ以上の最善など見つけられないから、こうして今も泥沼の中でもがき続けているのだ。
そんな吐き気を堪えながら鍵穴に差し込んだ鍵を回して、家の扉を開けば、自動で点灯してくれた照明が、待っていてくれたスティアに結衣の帰宅を告げる。
「結衣……!」
スティアはぱあっと、光の花が綻ぶような笑顔を浮かべて、揺れる髪の毛から粒子を零しながら、顔を青くしている結衣に抱きついた。
その三十六度の温もりは、壊れかけて凍えている心にはあまりにもあたたかくて、つい涙を零してしまいそうになるが、ただでさえ記憶を失っている彼女にこれ以上負担をかけるのは良くないだろうと、結衣は涙を堪えて、スティア細い背中に手を回す。
抱き合う温もりというのも久しく忘れていたことだ。
伝説の英雄であることを、戦後に上映されたプロパガンダ映画の中の「魔法少女小日向結衣」であることをどこかで期待されている学校よりも、何も知らずにいてくれる、今の擦り切れて壊れかけている自分を肯定してくれるスティアの隣の方が、やはり居心地がいい。
そんな衝動をぶちまけたくなる気持ちを堪えて、結衣はスティアとしばらく抱き合っていた。
「結衣……結衣は、悲しい?」
「……どうして、スティア?」
「だって結衣は……泣きそうな顔をしてる、何か嫌なこと、あった?」
覗き込む角度によって色を変える不可思議な瞳は、自分の底までも覗き込んでいるようで、結衣はスティアのそんな底知れなさに少しばかり背筋が粟立つのを感じながらも、同時にどこか救われたような気持ちを抱く。
こうでもしなければ自分は多分、負った傷のことや背負っているもののことについて語ることはしないだろう。
諏訪部のように打算や妥協の垣間見える大人たちを心の底まで信頼することができないのなら、スティアがいなければ結衣はそれを墓まで一人で持っていったことだろう。
そんな無邪気で無垢な問いかけにどんな言葉で返そうかと思案するが、浅い言葉で返したところでスティアの星に、その光に照らされてしまうだけだとはわかっていた。
それでも、記憶を失った彼女に余計な心配はかけさせまいと、引きつった笑顔の出来損ないを口元に浮かべながら、結衣はそこに真実を端折った事実を述べる。
「ん……学校より家の方がいいなって、そう思っただけ。だって、安心できるから」
大人のやり口だな、と、諏訪部のことを思い返しながら結衣はスティアへとそう言った。
本音を話しながらもその全てを打ち明けることはしないという小狡さは、自覚こそしていても少しだけの罪悪感をもたらすものだ。
ただ、スティアはそれをわかっているのかわかっていないのか、大して気にした様子もなく、小首を傾げて結衣へと問いを返していた。
「学校……色んな人が勉強をする場所……スティアには、わからない……でも、スティアは結衣がいないと、寂しい……」
「……そっか、ごめんね」
待っている側にも待っている側の辛さがある。それをよく知っているはずなのに、結衣はスティアを待たせてしまっていることに何の疑問も抱かなかった自分を恥じて、小さく頭を下げながら耳元で謝罪の言葉を囁く。
今も軍に身を置いていたなら、スティアを学校に送り込むことぐらいはなんとでもなりそうなものだったが、生憎今の結衣は除隊した民間人にすぎない。
そんな民間人、ただ魔法少女としての力を持っているだけの少女が、記憶もなければ戸籍もないという状態のスティアを学校に連れていくのは、到底無理な話だった。
「……スティアは、どう? 学校に行ってみたい?」
「学校……スティアには、わからない……だけど、結衣がいるなら、行ってみたい……」
「そっか、ありがとう」
どんな形であれ、自分が必要とされているという事実は結衣にとっては嬉しいものだったし、それがスティアから向けられるとなれば、胸の中があたたかい綿で優しく締め付けられているような感覚を抱いてしまうのも、また道理だ。
自分はこの少女に相当入れ込んでいるのだと、そんな情けなさと危うさを自覚してこそいても、スティアの無邪気に輝く笑顔や、親を求めて縋り付いてくるような雛鳥にも似た仕草には、渇いた心が潤っていくのを感じずにはいられない。
きっとそれは、彼女がスティアだからなのだろう。
結衣はその不可思議な髪と瞳をかき抱くように、しかし、壊してしまわないようにと優しく背中に回した腕に力を込めて、粒子を纏った、金色とも銀色ともつかない色合いの髪に顔を埋めた。
使っているのは同じシャンプーとリンスのはずなのに、まるで別物のようにふわりと立ち上った微かな香りが、結衣の鼻先を柔らかくくすぐって、すぅっと消えていく。
「結衣、くすぐったい……スティアは、むずむずする……」
「あ、ごめん……なんだかスティアと一緒にいると、安心できる気がして」
「ううん、大丈夫……スティアは、ちょっとくすぐったかっただけ……結衣は、こうしていたい?」
俯いていた視線を上げて、どことなく悪戯っぽい笑みを浮かべたスティアがそう問いかける。
いつまでもこうしていたいし、なんならそのまま眠りに落ちてしまいたいというのが結衣の本音ではあったものの、家に帰ってきた以上、夕飯の支度や風呂掃除など、やらなければならないことは色々あった。
流石にそこから目を逸らすのは年頃の女子としてどうなのだと苦笑を浮かべながら、結衣が抱擁を解いたその瞬間だった。
結衣はきぃぃん、と、耳鳴りのような甲高い音が鼓膜の裏で反響したような錯覚を抱く。
最初はそれこそ耳鳴りかと思って夕食──と、いっても配給品の缶飯やレーションの類を温めに行こうかと考えたが、スティアが蹲っているのを見て、その考えは即座に棄却された。
ショッピングモールでの一件が走馬灯のように結衣の脳裏をよぎる。
まさか、またなのか。
スティアが震える唇から言葉を紡いだのは、恐る恐るといった調子で結衣が手を差し伸べながら屈み込んだ時だった。
「来る……! スティアは、怖い……とても大きな……大きな何かが、来る……!」
「大きな、何か……」
スティアの直感とでもいうべきものに間違いがないというのは、先日の一件から理解しているつもりだった。
そんなスティアがショッピングモールの時以上に怯えを抱くような何かが来る、というのは取りも直さず、この前よりも遥かに強力な危険が迫っているということだろう。
どうして、彼女がそんな直感を持ち合わせているのかはわからない。
リビングルームの机に置きっぱなしのまま放置しているマジカル・ユニットへの編入のために必要な書類を思い返しながら、結衣は怯えるスティアを抱き締めて、考えを巡らせる。
自分は最早ただの民間人で、それだけ大きな脅威が迫っているということは連邦防衛軍が動かざるを得ないということだ。
スティアを怯えさせる敵星体がどこから来ているかについては、己の内側に宿っている「星の悲鳴」を辿ればすぐにわかる。
そして何食わぬ顔で地下都市への避難を果たせば、事態はそれで済むのかもしれない。
佐渡ヶ島奪還戦の後、オケアノス級航宙戦艦をはじめとする連邦防衛軍の精鋭部隊が何をしているのかはわからないが、これだけの危機を無視することなどできないはずだと、結衣はどこか現実逃避のようにそんなことを考えてしまっていた。
だが。
気付けば結衣は立ち上がり、その手には魔力が具現化させた魔法星装──「ロンゴミニアスタ」が握られている。
「……結衣、行くの……?」
スティアが向けてきた問いかけに対して、すぐさま明確な返事ができるほど結衣の心は癒えておらず、今もまだ迷いの中で反射的に身体が動いていたといった方が状況的には近かった。
確かに連邦防衛軍が動くのを待てば、それで済むかもしれない。
だが、軍が動くまでの時間でどれだけの市民が犠牲になるのかを考えれば、今最も自由に動ける最大戦力は自分だという事実から目を背けるわけにはいかなくなる。
そんな怯えを感じ取ったのか、自身の手を握りしめてくるスティアのそれも微かに震えていて、やはり怖いものは怖いのだと、内側から滲み、這い出てくる恐怖に足元を掴まれながらも、それを振り払うように結衣は一歩を踏み出す。
「ごめん、スティア……私は」
「ううん、いいの……でも、スティアは、心配……結衣は、戻ってくる……?」
「……ええ、絶対。絶対に、戻ってくるわ」
誰かがそれをやらなければいけないのなら、期待の人が自分でなかったとしても、目の前に迫る脅威をなんとかできるだけの力があるのなら、やるしかないのだ。
「ドレス・アップ!」
解号を唱えれば、すぐさま結衣の身体は光の繭に包まれて、その服装は指定の制服から、フリルがふんだんにあしらわれたゴシックロリータのドレスへと変わっていく。
この3年間に守ってきたものに価値があると示すためにも、人々の命をこれ以上敵星体に奪わせないためにも、結衣は擦り切れた心を引きずりながら、スティアと抱擁を交わすと、脇目も振らずに家から飛び出していくのだった。