17.魔法少女と蠢く思惑
「虎の子の呪術甲冑を一機、パイロットを一人失って除隊した魔法少女に助けられる……これが何を意味しているか、わからないはずもあるまい!」
握った拳で机を叩き、そのカイゼル髭が目立つ厳しい顔つきをより険しいものに変えて、軍務局長は諏訪部を詰問していた。
魔法少女に世論の支持が集まるということ自体は、3年前なら問題はなかったものの、今現在、地球が復興を遂げているのだという事実を喧伝するためにはその旗振り役は連邦政府であらねばならず、また、属人化した力というのは制御が難しく、局地的なものでしかない以上、より大きなものを拠り所にしたいという軍務局長の思惑が間違っているわけではない。
小日向結衣の行いが間違っていなかったことは世間に周知されているが、諏訪部が早めに手を回してマスコミに呪術甲冑の存在を伏せて報道するように圧力をかけていたため、軍務局長の懸念は、今のところ表沙汰にはなっていなかった。
あくまで、今のところ、と前置きがつく話なのだが。
それをわかっているからこそ、彼はこうして、顔を真っ赤に染め上げ、頭から湯気でも噴き出しそうな勢いで自分に怒りをぶつけているのだろうが──諏訪部は直立不動で軍務局長からの叱責を受け止めつつ、思考の片隅でそんなことを思っていた。
あくまでもマスコミに圧力をかけただけで、生存者たちが呪術甲冑を目撃している以上、人の口には戸が立てられないということわざに倣って、彼が懸念している通り「魔法少女に匹敵する兵器」として鳴り物入りで開発された呪術甲冑への不信感は、必然的に高まることになるだろう。
とはいえそれは、遅かれ早かれ表沙汰になる問題なのだということは軍務局長も、諏訪部も理解はしている。
呪術回路が生み出す魔力が可変性を持たない都合上、そして市街地から局地戦まで、残存する敵星体の大きさを考慮して、五メートル程度に押さえ込まれたその体躯から生み出される出力には限界があり、だからこそバックアップとして、佐渡ヶ島奪還作戦にも魔法少女が何人か投入されているのだ。
「お言葉ですが局長、あそこで呪術甲冑を出撃させていなければ市民への被害は更に甚大なものとなっておりました。懸念される事項についても蓋はさせてもらっています、ですから」
「そんなことはわかっている! だがな、これは人類の威信をかけた問題なのだよ!」
軍務局長は聞く耳すら持たないといった様子で再び机を殴り付けるが、彼を支えているものが保身や野心ではなく、あくまでも秩序の安寧という課せられた己の職務に忠実であるからこそ、否、忠実すぎるからこそ、自身が叱責を受けているのだということは諏訪部もまた理解していたが、納得はいかないものだった。
人類の秩序と安寧を取り戻すというのは、間違いなく義侠心や正義に従っての行動なのだろうが、それが行きすぎてしまえばろくなことにならないのは、人がいつの時代も繰り返してきた愚行であるのは周知の事実だ。
事実、軍務局長が口にしている言葉はそのような意図がなかったとしても、あの場で呪術甲冑を出撃させずに市民を犠牲にしろと、やたらと長いプロセスを踏む必要がある魔法少女の出撃まで待てと言っているようなものだった。
とんだ失言だな、と諏訪部は内心でそう感じていたが、ポストの頭に収まっているタカ派の筆頭である彼を引き摺り下ろすための対向勢力が連邦政府内にいない以上、カメラの向いていないところで多少過激な言動をしたところで、誰かが何かを咎めるわけではない。
「小官もそれは理解しております、ですから、魔法少女の出撃プロセスを再び簡略化する必要があると、マジカル・ユニットの再編が必要であると具申させていただいているのです」
「む……」
「呪術甲冑とオケアノス級航宙戦艦は連邦の、復興のシンボルとして相応しい存在です、数が揃えば地球上に残った敵星体を叩き出すことも十分に可能でしょう、ですが、魔法少女という戦力を遊ばせておくのは勿体ない」
あくまで自然に、魔法少女ではなく、連邦防衛軍の戦果だけを喧伝すればいいのだと、諏訪部がそう進言したことで、軍務局長の額に浮かぶ青筋が引いてくれたことは幸いな話だった。
反面、こんなプロパガンダに加担している自分が、あの日世界を救ってくれた魔法少女たちを邪険にしているのと同じ行いをしている嫌悪が諏訪部の脊髄を伝って、ぬかるんだ泥に塗れた手でぬるりと脳髄をなぞる。
阿漕なことをしている。冷徹に現実を見据えようとしても、そんな自分への嫌悪が捨てきれない辺り、どこまでも自分は甘い男なのだと、自嘲することしか諏訪部にはできなかった。
(政治だな、こういうのは)
上の顔色を伺って、そのお題目を否定するのではなくその隙間に自らの要求を少しずつ差し込んでいく。
それが仕組みや悪癖そのものの破壊に至らずとも、今自分にできる最善の手だと確信しているからこそ、諏訪部はそういうことに向いていないと、平然とした顔で阿漕なことをやり切れない器だと自覚していながらも、魔法少女を統括する部署の責任者であることを選んだのだ。
ならばそれが地獄であろうと、やりきる他にないのだろう。
そんな彼の覚悟はいざ知らず、軍務局長は彼からの提案である魔法少女出撃プロセスの簡略化という提案と、マジカル・ユニットの再編という提案の二つを持って帰ってくれていた。
それは幸いなことだったと、敬礼をしながらも内心で諏訪部は、しめたものだと静かにほくそ笑むのだった。
◇◆◇
学校に再び通えるというのは結衣にとって喜ばしいことであるはずなのに、受けている授業も、食べている給食も、全てがどこか他人事のように思えてならない。
上流階級の子息たちが集う学校を背にしながら、今日も一人で結衣はスティアが待っている家への道をぽつりと歩んでいた。
もしスティアと出会っていなければ、自分はとっくに限界を迎えていたのではないかと、時折夕焼けを眺めて訳もなく涙が出そうになる度に、結衣はそう思うのだ。
あの家は、一人で暮らすのには広すぎる。
世界を救った魔法少女という肩書きは、一般社会で暮らしていくのにはどうにも大きく、重すぎるもので、クラスメイトからもどこか遠巻きにされていることを、結衣は自覚していた。
結局のところ、守るべき者を守るために必要だと思っていた力は安寧の中では排斥されるべきもので、自分の居場所はあの戦いの魔境、その中にしかないのかと思えば悲しみの一つも零れ落ちてくる。
世界を救った英雄。最強の魔法少女。
その肩書きに偽りはなくとも、その肩書を背負って生きるために、結衣の心はあまりにも脆く、危ういものだったのだ。
訳もなく溢れてきた涙を拭いながら、交差点の向こう側に見える街頭ビジョンへと目を向ければ、そこには地球連邦防衛軍が佐渡ヶ島奪還作戦に打って出た、というニュースと、その華々しい戦果が映し出されていた。
あのオケアノス級航宙戦艦に搭載された呪術回路搭載式の主砲による火力支援と、結衣が変身した時に見たものよりも重武装化している新型兵器──78式呪術甲冑に身を包んだ兵士たちが、次々と敵星体を打ち倒していく映像が流れる度に、足を止めた通行人たちが歓喜の声を上げる。
この分なら、国土の奪還は近いのではないか。
人類の勝利は間違いない。
熱狂する人々の波を避けるように歩きながら、結衣は熱病に浮かされたような人々からは遠く距離を離すように、大回りで家路へとつく。
このまま彼らが敵星体を地球から叩き出してくれるのなら、それでも結衣は構わなかった。
だが、普通に考えれば戦線に投入されているはずの魔法少女の活躍が喧伝されていないのは、そういうことだろう。
自分たちは捨てられたのだ、とやるせない思いを抱きながらとぼとぼと歩く中で、結衣の胸中に、突如として昨日諏訪部から持ちかけられた提案が零れて落ちる。
──マジカル・ユニットの再編。
それは今の軍部の主導的な意見とは相反するものだと、今の映像を見れば理解はできた。
ならば、潮流に逆らってでも再編が必要になる根拠とはなんなのかと、それを考えれば背筋が粟立つのも無理はない。
「……私は、どうしたいの?」
スティアなら、なんと答えてくれるだろうか。
過去から這い出てくる恐怖と、今、そこにしかきっと居場所はないのだろうという確信の間で板挟みになりながら、結衣はぽつりと、枯れ葉のように頼りない言葉を呟くのだった。