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16.魔法少女とマジカル・ユニット

 マジカル・ユニット。

 諏訪部の切り出したそれは耳に馴染みがない言葉などでは断じてなく、戦時中に結衣が所属していた魔法少女隊の通称であった。

 だが、戦後に東京地上の敵星体を駆逐して、復興を遂げた後は三人だけになってしまったマジカル・ユニットは解散、その後は生き残りである結衣、絵理、そしてもう一人の少女、三上美柑もそれぞれの道を歩むことになったはずだと記憶している。

 それが今、諏訪部の口から飛び出してきたということは、恐らく彼のやろうとしていることと結衣の考えていることは概ね一致しているという証左であったといってもいい。


「……今になって、ですか」

「今だからだよ、小日向結衣。俺はどうもまどろっこしい話が苦手でね、単刀直入に言わせてもらうが──地球はまた崖っぷちに立たされるんじゃあないかと、そう思っている」


 杞憂であるならそれでいいんだがね、と諏訪部はおどけたように言葉を付け加えてみせたが、その眼差しは刃のように研ぎ澄まされた冷たさを保ったままであり、彼の言葉はどうやら本気らしいというのは、この場にいる全員が窺えることだった。

 地球は再び崖っぷちに立たされることになる。

 結衣からしてみれば冗談ではない話だが、その予兆とでもいうべき出来事は他でもない自分が体験してきたことだ。

 現れるはずのない敵星体が、呪術結界を敷いているはずの東京に再び現れる。

 加えて以前戦ったものとは大きく様相を異にした変異体の存在も含めて、今、どこかで何かが起きようとしている予感は結衣の中にも確かに存在していたのだ。

 だが、同時に、そうであってほしくはないと望んでいる自分がいる。

 3年前──必死に戦って、戦って、戦い抜いた。

 何人もの軍人が、市民が、魔法少女が犠牲になってようやく、地球は安穏を取り戻したのかもしれないのだ。

 それがまた破られようとしているのなら、自分たちの戦いはなんだったのか。何のために死ぬ思いで、涙と鼻水と血潮に塗れながら、あの「赫星一号」を破壊したのか。

 鳴り響く雷のように、遠い耳鳴りが、犠牲になった人々の断末魔やその末期に託された遺言がいくつも絡まりあったノイズとなって、結衣の脳裏に鳴り響き続ける。

 その言葉はもう意味を果たしたはずだった。もう鳴ることはない、あの忌々しい赤い記憶の中に置いてきたはずのことだった。

 それなのに今、現実は人類に再び刃を向けようとしている──その事実とトラウマに強い吐き気が込み上げてきて、結衣は慌てて口元を押さえる。


「っ、はぁ……はーっ……」

「……やはりその様子だと、休暇を言い渡したのは正解だったか」


 魔法少女として戦う道を選んでくれたのならば、その可能性は、と、楽観的な考えを抱いていたことを恥じながら、諏訪部はばつが悪そうに頭を掻いて、眉を八の字に曲げた。

 できることならば、マジカル・ユニットの再編という目標に対して、最強の魔法少女たる小日向結衣の戦線復帰というのはプロパガンダ的にも、戦力的にも望ましい展開だったが、あの3年間で心がすっかり擦り切れてボロボロになった結衣を無理やり戦場に引っ張り出すほど、諏訪部もまた鬼ではない。

 無論、現状ではその必要がないから、という前提がつく話ではあるが。

 彼は人類生存という目標を第一に考える、そういう人間でもあった。


「結衣、さん……! 大丈夫、ですか……?」

「……ありがとう、絵理。大丈夫……ちょっと吐きそうになっただけだから……」


 絵理は結衣が丸めた背中をそっとさすりながら、その眦に涙を滲ませる。

 心というのは可変性を持っていながらも不可逆的なものだ。

 絵理の治癒魔法は限定的な時間の巻き戻しもその「治癒」という概念の中に内包しているものの、ストレスであるとかトラウマであるとか、そういった、いわば魂が負った傷までは再生することができない。

 それを歯痒く思うところは幾度もあった。

 損傷した肉体を治療しても、悪夢に苛まれる傷病人はいくらでもいたし、感謝どころか罵倒されたり、恐怖を抱かれるといったことも、絵理の日常には珍しくないことだった。

 それでも、こうして自分が魔法少女として立っているのは、後方任務であるとはいえまだ連邦軍を離れていないのは、絶望の底で沈んでいた自分を救ってくれた結衣がいたからに他ならないのだ。

 だからこそ、些細なことでもいいから結衣の力になりたいと、その一身で絵理は結衣の背中をさすり続ける。

 戦うことが怖いわけではない。

 結衣は絵理から差し伸べられる温もりに縋りながら、無我夢中で飛び出していった先日のことを思い返す。

 それは死なないという絶対の自信があるからなどでは断じてなく、ただ戦いの中で生きてきた中でそう感じる心が鈍麻しているからに他ならないのだが、より正確に言葉で表すとするのなら、戦って自分が死ぬことよりも、背負っている命が失われることの方が怖いからだった。

 戦えば人は死ぬかもしれない。戦わなければもっと死ぬ確率が跳ね上がるかもしれない。

 だから自分が矢面に立って、少しでも多くの命を救いたいというのが魔法少女として結衣が願っていたことだったが、その願いを背負うのに、結衣の背骨は脆すぎて、その掌はあまりにも小さすぎた。


「……結衣、泣いてる……結衣は、悲しい。スティアにもわかる……でもどうして? お客さんは、どうして結衣を泣かせたの?」


 それまで部屋の片隅に立って、結衣たちのやり取りに黙って耳を傾けていたはずのスティアが、諏訪部をどこか非難するような目で見据えて、そう問いかける。

 その、覗き込む角度によって何色にも見える不可思議な瞳を訝りながらも、諏訪部は真っ直ぐに突きつけられた無垢な疑問に、ばつを悪くした。

 その感性の鋭さと、現実に対する冷徹さを買われて軍部での昇進を果たした諏訪部にとって、無垢な疑問や感情が先走った問いかけというのはどうにも苦手なもので、だからこそ、それ故に薬指から指輪を外すような事態になったのだと自嘲する。


「泣かせるつもりはなかったんだ、ええと」

「スティアは、スティア……それ以上は、スティアにもわからない……」

「スティアでいいのかな、知っての通り今の地球は崖っぷちでね、藁にも縋りたい気持ちだったし、小日向結衣が戦いに戻ってくれるならと、勝手な期待を抱いていたところはあった。それは謝るよ。すまなかった」


 すまなかった、と、軍帽を外す仕草を交えて諏訪部はスティアと結衣に頭を下げる。それは彼にとってもまた、浮き足立って子供じみた期待を抱いてしまっていたことに対する内省であったし、自罰のようなものであった。

 軍部はどうにも呪術甲冑やオケアノス級、そして呪術回路を組み込んで生まれ変わった航宙艦を当てにしている節があるものの、もし、自身が想定しているような最悪の事態があった場合、頼りになるのは魔法少女をおいて他にない。

 だからこそ、諏訪部にとってのマジカル・ユニットの再編は急務であるといえたし、水面下では着々とその動きは進んでいる。

 元より一回でどうにかなるとは考えていない。自身が結衣の元を訪れたのはいわば楔を打つためだ。

 一方で頭を下げながらも、マジカル・ユニットについての資料を差し出すという官僚的な芸当を見せる諏訪部を、スティアは本能的に好きではないと、そう感じていた。


「どちらにしても君たちをどうこうしようという話ではない、礼を言いにきたのと、話を持ちかけたいだけだ。君の傷が癒えてからでいいから、検討してくれるとありがたい」

「……考えておきます」

「感謝するよ、小日向結衣。それじゃあ俺は、上層部に絞られに帰るとするか……水瀬絵理、君はどうする?」


 おどけて両肩を上げてみせながら、諏訪部はおもむろに立ち上がると、同行していた絵理へとそう問いかける。

 絵理としては結衣の近くにいてあげたい、できることならその生活の何もかもを支えてあげたいと願っていたものの、生憎後方任務から外れていない都合上、それは叶わないことだ。


「わたしは……戻ります、まだ……任務がありますから……」

「そうか、感謝するよ」


 いつの間にか現れていた同居人であるスティアに、ぷるぷると震える小動物のように威嚇の視線を送りながら、絵理もまた諏訪部と共に本部へと戻ることを選択した。

 吐き気を堪えながら立ち上がって、結衣は玄関先から絵理と諏訪部の背中を見送っていたが、その胸中は決して穏やかなものではない。

 絵理ともう一度会えたという嬉しさはある。諏訪部の言っていることが、現実を見据えた堅実な選択肢であることもわかっている。

 マジカル・ユニット。また再び地獄に赴くための、その時が来たときに必要な切符を手にしたまま、心配そうに頬を寄せるスティアの温もりと、髪から散りばめられる粒子に身を委ねるように、結衣は微かな溜息をつくのだった。

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