15.魔法少女、来訪者
インターフォンが鳴らされる音を聞いたのは、結衣がスティアとの他愛もない会話を終えて、一頻り微笑んだ後だった。
「音……お客さんが来る、結衣? スティアはそう理解してる……」
「うん、合ってる」
スティアが言った通りに、インターフォンが押される状況は小学生の悪戯とかでもなければ来客があったという証である。
結衣にはその心当たりはなかったものの、魔法少女として暴れ回った都合上、軍だとか政府だとかそういう連中が関わってくるという懸念はあった。
微かな後悔が今更、胸中をよぎるものの、スティアを守るという選択肢を取ったことについては何一つ悔やむようなことはない。
ならば、堂々と来客に応じればいいだけの話だ。
覚悟を決めると結衣は、いつでも変身できるように、最悪事を構えるのを想定しながら玄関口へと気配を殺して歩いていく。
魔法少女のお仕事は、敵星体と戦うことだけではなかった。
悪夢のような「赫星戦役」が終わった後に残された「戦後の戦争」で結衣たちが矢面に立たされることは少なかったものの、人間と人間の闘争というものは確かに存在し、地上がある程度の復興を遂げるまでは連邦政府の官僚を狙ったテロが地下都市内で横行したこともあり、そういったとき、鎮圧に駆り出されたのが魔法少女だった、という事実はある。
資源も何もかもが不足している中での逼迫は、人心を荒廃させるのには十分すぎたし、今でも地下都市で暮らさざるをえない人々がいるのに、魔法少女もまた特権階級だとなじられれば、それを否定することは結衣にはできなかった。
いくら結衣が戦いの矢面に立って心に癒えない傷を負おうが、「赫星一号」を破壊して世界を救おうが、戦いによる痛みは前線に立つ者もそうでない者も等しく負っているものだ。
絶滅戦争とは、種の生き残りを懸けての戦いというのは、生き残った後にもそんな虚しさしか生み出すことはない。
ぬるりと影の中から這い出てきた過去の亡霊に足を掴まれたような感覚に陥りながらも、結衣は重い足取りで玄関先に向かうと、果たしてモニターに映っていた来客のシルエットは、見覚えがあるものだった。
「……諏訪部少佐? 絵理?」
『残念ながら今は大佐だよ、小日向結衣』
『……こ、こんにちは……っ……! お久しぶり、です……っ……結衣、さん……!』
その内一人は先日結衣に除隊を言い渡した張本人である諏訪部であったし、その隣には何故かあの戦いを生き抜いた「原初の七人」の一人である水瀬絵理が控えめに佇んでいる。
どうでもいいが、二階級特進を果たしたらしい諏訪部はともかくとして、絵理まで同席しているというのはどういう風の吹き回しなのかと結衣は困惑するが、もしも事を構えるような事態になれば厄介だな、というのが正直なところだった。
諏訪部が単に先日暴れ回っていた件を咎めにきたのであれば、そのお説教は甘んじて受け入れるつもりだったが、もしも身元不明のスティアを連邦政府に引き渡せと言われれば、それについては全力で断るつもりだ。
結衣は今の連邦政府を覆したいと思っているわけではないが、心の底から信頼しているわけでもない。
彼らの腐敗の象徴として、特権階級の専横が起きていることは事実であり、政治家や官僚、軍人の家族から優先的に地上への移住が進められているのはその極致だろう。
だが、この壊れた世界の舵を取るには巨大な権力が必要で、その航路から逸脱しないために、地球連邦政府という深い仕組みが必要であることもまた確かなのだ。
最悪、政府と魔法少女──その中でも結衣が最も手強いと感じている、絵理と事を構えなければならないと想像して、胃の辺りがきりきりと締め付けられるような痛みを感じながらも、結衣は平静を装ってドアのロックを解除する。
「開けました、何もないですけど、とりあえずどうぞ」
「生活に必要なものは一式揃えているはずだが……」
「……謙遜ですよ」
妙に生真面目な諏訪部が首を傾げて、ズレた言葉を返してくるのに肩を竦めながら、結衣は彼と絵理を、支給された自宅の中へと招き入れた。
リビングルームにはまだスティアがいるが、ここで下手に隠れていて、と指示を出してしまえば、後々面倒なことになると考えて、彼女には何も伝えていない。
その決断が吉と出るか凶と出るかはまだ結衣にはわからなかったものの、少なくとも諏訪部進という男が信頼できるかできないかで分類するのであれば、できる方に入るという直感は持ち合わせていたし、身構えていれば死神がその鎌を不意に首元へと突きつけてくることはない──戦場でまことしやかに囁かれる摂理に従って、結衣はその選択肢を取ったのである。
「……こ、ここが……結衣さんのお家、なんですね……」
「……変に緊張しなくてもいいよ、絵理」
「……い、いえ……その、大丈夫……です……!」
結衣と諏訪部の間へと密かに張り詰めていた糸を断ち切るかのように、絵理はきょろきょろと頻りに家の中を見つめて、どこか呑気に聞こえるような言葉を控えめな声で出力していた。
緊張するような場所でもないと、今のところの家主である結衣自身もそう思っているのに、こうもわかりやすく緊張しているのは絵理らしいといえば絵理らしい。
気弱で、控えめで、あがり症で──しかし、「原初の七人」の中では誰よりも心優しく繊細だった彼女にとって、自分が持っている特別な意味など理解しないままに、結衣は小さく口元を引きつらせる。
どうしてか、上手く笑えない。愛想笑いであったとしても、それが苦笑であったとしても。
そんな彼女を密かに一瞥していた諏訪部は、戦傷から癒えるには時間が必要だという己の判断がそう間違ったものではないという確信を抱くが、それでも結衣は魔法少女として力を振るった──その心がどうあれ、戦場に戻ってきたという事実は覆しがたい。
「おいおい、水瀬絵理。彼女の言う通りだ。なんなら軍からの支給品なんだし、自宅だと思ってくつろいでくれてもいいんだぜ?」
「一応、名義上は私の家なんですけど」
「まあ、そいつはそうだがな」
そんな剣呑な雰囲気を冗談と愛想笑いの仮面の下に押し込めると、諏訪部と絵理は結衣に招かれるまま、案内されたリビングルームのソファへと腰を下ろした。
お茶の一つも本来ならば用意すべきなのだろうが、記憶を失ったスティアに給仕を頼むのは気が引けたし、何よりも諏訪部が訪ねてきたということは喫緊の案件だろうと判断して、結衣は話を切り出すことを決める。
「それで、私はどんな件で咎められるんですか」
「手厳しいな。そう警戒してくれなくてもいいもんだが……まあ、そうだな。咎められることについては少なくとも俺の仕事だよ。呪術甲冑……あの時パワードスーツのようなものを見ただろう? あれが華々しく活躍できなかったってんで、軍務局長殿はお冠なのさ」
最悪はこうだな、と、まずは緊張をほぐすことから始めようとばかりに、諏訪部は自重するような身の上話を切り出して、自らの首を平手で跳ねるようなジェスチャーをとってみせる。
「……じゃあ」
「結衣?」
隠し通せるとも思っていなかったし、最初から隠すつもりもまたなかったものの、どこか神経を逆立てているような結衣へと駆け寄って、スティアは小さく首を傾げた。
少なくとも、スティアの件で何かを言われるのであれば相応の用意があるとばかりに、体内で魔力を練り上げながら、結衣は諏訪部の瞳を真っ直ぐに見据えて身構える。
「……そうだな、君に同居人がいるという事実は俺も知らなかったし、それなりに問題だが……まあ、ここに来た件かと言われればそうでもない。水瀬絵理」
「……は、はい……っ……」
諏訪部は絵理が豊かな胸元に抱えていた資料を取るように促すと、受け取ったそれをテーブルの上に並べて、軍人としての厳しい目つきを一旦、少しだけ緩めた。
「まずは感謝状だな、君がいなければあの時陸戦隊は全滅だったし、貴重な呪術甲冑も失われていた。そのことに関しては礼を言う」
「……あれは……無我夢中でやったことです」
「だとしても、だよ。魔法少女に俺たちは何度も助けられて、今度もそうだった。そういう話なのさ」
「……なら、本題は?」
社交辞令のように感謝状を受け取った結衣は、結論を急かすかのように諏訪部と、おどおどとスティアを見つめながら佇んでいる絵理へと交互に視線を向けた。
「マジカル・ユニット」
諏訪部もまた、隠し事は無意味だと悟ったのかそうでないのか、結衣の問いかけに対して、ここに来た本来の要件を躊躇いなく口にする。
マジカル・ユニット。その言葉が何を意味するのかは、結衣も理解しているとわかっている──そういう確信を持って、再び諏訪部の目つきは軍人としての鋭さを取り戻していくのだった。