14.魔法少女、涙を零す
ショッピングモールで敵星体出現の報せを聞いてから数日、結衣の日常は概ね変わりなく、そして滞りなく進んでいた。
諏訪部が用意した手筈通りに学校に編入して勉学をこなす傍ら、家に帰れば待っていてくれるスティアと他愛もない会話に興じたりする生活は、戦いに渇ききった結衣を潤すのには寄与していたといえる。
だが、まだそれも完全ではない。
マネキン買いしてきたコーディネートに身を包んでくるりとその場で回って、無垢な笑顔を浮かべるスティアを一瞥して、その無邪気な振る舞いに口角を吊り上げながらも、それがまだまだ引きつっていることは結衣自身がわかっていた。
「どう、結衣……? スティアには、この服装が似合ってるか、わからない……結衣なら、わかる……?」
「うん、似合ってるよ。スティア」
ファストファッションのブランドであったとしても、スティアという一流の素材があれば引き立てられるのは服の方だ。
要するに彼女が概ねどんな服を着ても似合う容姿を持って生まれてきたということは確かで、くるりと回る度にふわりと舞う粒子が漂うの見送りながら、結衣は茫洋とそんなことを考える。
スティア、という名前から察するに、彼女は海外で生まれたのだろう。透き通るような、陶磁器のように白い肌は、かなり色白な部類に入る結衣よりも尚純白に近く、目鼻立ちがくっきりとしているのも、日本人的な特徴からは大分離れている。
学校で渡された課題にがりがりとシャープペンシルで答えを書き込む傍らで、結衣はスティアがどこから来たのか、そして自分たちがどこに行くのかをただ、考えていた。
スティアを守るためであったとはいえ、自分が不本意に魔法少女としての力を振るったことは、知りたがりのマスメディアにとっては格好の特ダネだったらしく、ワイドショーでは「原初の七人」の一人が再び東京を救ってくれたと喧伝して回っている。
今もテレビをつければそのニュースをやっていて、ニュースキャスターが魔法少女という絶対の希望が存在することを囃し立てる傍らで、コメンテーターは突如として街中に敵星体が現れたのは何かの前触れではないかと危惧するような姿勢を見せていた。
それは一種の政治闘争のようなものだと結衣は理解していたが、どちらかに肩入れするのならばやはり自分はコメンテーターの側に立つのだろうな、と、茫洋と画面を見送りながら、課題をこなす傍らで結衣は考える。
何故、東京に再び敵星体が現れたのか。
いくら考えてもその理由はわからない。ならば、当面は出てきたら潰していく他に手段はないだろう。
軍属でなくなった自分が魔法少女としての力を振るうのが危ういことであると理解していながらも、無垢に微笑み、世界についての問いを投げかけてくるスティアが敵星体の犠牲になるよりは何百倍も、何千倍も、何万倍もマシだと、結衣はそう思っていた。
かつてのご同輩たちの、魔法少女や兵士たちの断末魔は耳鳴りのように今も脳裏に刻み込まれて離れることはない。
その一部にスティアが加わったら、と考えるとそれはぞっとする他にないことだ。
無論、スティアだけではない。
3年。多くの問題を未だ内外に孕んでいるものの、人類はそれでも地獄の底から這いずり上がって、ここまでの復興を遂げてきた。
その生活が、その命の営みが再びあの敵星体によって破壊されるというのは、あってはならないことなのだ。
ぐしゃり、と音を立てて、結衣が無意識に握り締めていたシャープペンシルが砕け散る。
「結衣……? 結衣はペンを壊している、スティアは、わからない……推測する、怒ってる?」
「……怒ってるんじゃないわ」
「怒り……それ以外のことが、スティアには見つからない、でも、結衣はそれに触れてほしくない?」
文字通り粉々になったそれの代わりに鉛筆を取り出して再び課題のプリントへと答えを書き込んでいく形で、スティアから目を逸らしながら、結衣は自分の中に幼さが残っていると突きつけられたような面持ちで、微かに唇を噛んだ。
「……悔しいの」
「悔しい、後悔……それは、どうして?」
「……魔法少女になっても、昔テレビで見てたアニメみたいに、皆を守れるわけじゃない……守れなかったものがいっぱいあって、それはもしかしたら私が判断を間違えなければ、助けられた命だったんじゃないかって、そう思うの」
それがいかに傲慢で浅はかな考えであるか、結衣は嫌というほど知らされてきた。
確かに魔法少女という存在は人智を超えた、戦略級兵器にも匹敵するような存在だといわれている。
それでも、自分たちが人間であることに変わりはなくて、人間一人に守り通せるものには限界があって。
わかっていたとしても、実感を伴って理解していたとしても、掲げた理想と突きつけられた現実とのギャップに、結衣はただ心の中で悶え、苦しみ、のたうち回ることしかできない。
小日向結衣はかつて世界を救ったと讃えられる最強の魔法少女である、という事実に異論を唱える者は、市民はおろか軍人にも少ないのは確かなことで、事実、結衣はあの「赫星一号」を破壊して、地球への落着を防ぐことには成功している。
だが、それまでに払ってきた犠牲と、助けられてきた人間を数で数えて秤に載せれば、結衣だけの問題ではなく、人類全体の問題として、犠牲の側に天秤が大きく傾くのは必然だといえた。
その犠牲に報いる何かをしなければならない。
命を数で勘定するのではなく、一人一人を助けられるような魔法少女であらなければならない。
あの地獄を生き抜いて、そういう固定観念が結衣の中に植え付けられたのは確かなことで、それが再び魔法少女として力を振るったことで沸騰している──なんということはなく、感情に振り回されていると理解しているからこそ、結衣は自嘲するのだ。
「ごめんなさい、結衣……スティアには、わからない……スティアには、力になれない……?」
記憶を失っているスティアにそんなことを話したところで、重荷を押し付けるようなものだとわかっていても、彼女の無垢な問いかけに強がりではなく本音を零してしまうのは、きっと何も知らないからだ。
何も知らないから、スティアにはありのままの本音を打ち明けられる。
何かを知っている人間に打ち明ければきっと平手打ちが飛んでくることを承知しているから、心の傷から漏れ出す血液を拭うためにその無垢を利用しているのだと考えると、結衣は途端に自分が最低な人間であるように思えてならなかった。
「……ごめんね、スティアにこんな話して。スティアだって、記憶を失って……辛いはずなのに」
赫星戦役の被害者は自分だけではない。
なのに自分のことばかりを喋ってしまう己を恥じて、眦に涙を滲ませながら、結衣は宿題に答えを書き込んでいた手を止めて、静かにそう懺悔する。
「ううん、スティアは大丈夫……話を聞いてあげることしか、スティアにはできない……でも、結衣の役に立てるなら、スティアは嬉しい」
落ち込んだ時、辛くて苦しくて仕方がない時、どうしようもなく行き場をなくした感情を受け止めてくれるというだけで、それは十分すぎるほどの救いだった。
だからこそ、スティアの行いは善だ。
無垢なるが故に、何も知らないが故に、結衣の傷を、もはや自分では抱えていくことすら困難になったその痛みを受け止めてくれる器として自らを規定しているのに等しい危うさを持ち合わせていることはわかっていても、結衣には差し伸べられた手に縋る他に選択肢は残されていなかったのだから。
はらはらと涙を零す結衣をそっと抱きしめるスティアの柔らかな感触と体温に溺れながら、結衣は少しずつ、失っていったものを、道を歩く過程で取り落としてしまったものを拾い集めるかのように、その温もりへとしがみつく。
「ふふ……結衣は、可愛い。スティアは……熱を帯びている? とっても、顔が赤い……」
「……それは、恥じらってるのよ」
「そっか、恥ずかしい……スティアはちょっと、格好つけすぎていたから……?」
「……ふふ」
「結衣?」
「……スティアにも、そういうところがあるんだって思うと、何だか嬉しいような、ほっとするような……そんな感じがするの」
理由はわからないけど、と付け加えて、自らの行いを省みて微かに頬を赤らめているスティアを見遣り、結衣は小さく笑う。
それはきっと、スティアが人間に他ならない証拠だから、そして何より、それこそが、自分があの戦いで傷付きながらも守り通したものに、違いないから。
平和や自由、そして正しさよりも、そんな不合理に縋りたくなる時もある。
それがきっと、結衣にとっては今だったという、それだけの話だ。
だからこそ、結衣は今度こそ出来損ないの引きつったそれではなく、花弁が蕾から綻ぶような笑顔を、口元にそっと浮かべるのだった。