第1話 プロローグ
「ええっと・・・次のセリフは・・・」
・・・これは、夢なのだろうか。それとも、現実なのだろうか。
「リンドー! 時間だ。」
「わ、わかった!」
煉瓦造りの回廊。ランプの灯った薄暗がりの道を歩き、突き当たりの螺旋階段を、女騎士と共に登っていく。螺旋階段の先は・・・。
「リンドー・・・女王陛下は気難しいお方だ。くれぐれも粗相のないように。」
「・・・。」
回廊に響く音が、私の心に波紋を広げている。
この波紋は、決めたはずの覚悟を揺るがせていく。
この後の展開は、何が待っているのだろうか。
胸の中にある伸縮が激しさを増していく。
物語は、私に何を演じさせたいのだろうか。
でも、私にはそれを演じるしかない。
この世界で生きていくために。
「・・・其方がリンドーと申す者か。」
一拍、間を取りながら静かに頷く。
胸には右手を当てる。跪きながら、さらに体を沈ませていく。
「面を上げよ、リンドー。其方の面構え、妾に見せてみよ。」
ここで、すぐに顔を上げてはいけない。
次のセリフが待っているのだ。
「失礼ながら、私目のような下賎な流れ者が、女王陛下の御坐す玉座の足元にさえ、卑しい視線を向けるなど、あってはならないことでございます。」
女王は気難しい。セリフの一つ一つが、演者を試す罠である。
「ほほぅ・・・。」
眼光がこちらへと差し込む。相手を直視していないのに、それだけは鮮明に感じ取れる。
群を抜く圧倒的な存在感を前にして、私はすべての試練を越えなければならない。
越えなければ・・・。
「・・・では、妾が今其方に落としている視線も、その下賎な流れ者に向けて良いものではないと、そういうことであるな。どうしてくれよう、下賎な者へ視線を向けてしもうたわ。卑しい分際を目に入れてしもうた。」
女王の長ゼリフは、こちらへの興味の印である。
深々と低くした身を、より一層縮こませながら・・・私は、再び沈黙を続ける。
私の番は、まだ回ってきていないのだ。
「・・・もう良い、その卑しい流れ者をつまみ出せ。目障りだ。」
「仰せのままに。」
近衛兵の二人が、その甲冑の音を立てながらこちらへと近づいてくる。
二人は私の両腕を抱えた。その状態で、私は次の演者の言葉を待っている。
「・・・女王陛下!」
女騎士、マグノリアだ。
「僭越ながら、申し上げます。何卒、この者の話に傾聴していただきたいのです。」
「・・・マグノリア。この者は下賎な者だ。妾の目に入れては、妾の目がいつ腐るともわかるまい。其方は、妾の目が腐り落ちても良いというのか?」
「・・・確かに、女王陛下の仰せの通り、この者はどこから来たかも知れぬ流れ者にございます。口を開けばすぐに妄言を吐く、奇妙な者にございます。ですが、この者の妄言・・・捨て置くにはあまりにも、我が邦の不利益にございます。」
マグノリアは女王に懇願している。
私の番は、まだここではない。でも・・・。
「我が邦の不利益・・・とな? マグノリアともあろう者が、下賎な流れ者の妄言とやらを真に受けるとは。」
「・・・この者をご覧になって、御目が腐るとおっしゃるならば、どうか、我が目を持って御覧じてください。」
「其方の目を? ほほう・・・奇怪なことを申すではないか。では、其方の目をもらおうではないか。今、この場でな。」
「・・・仰せのままに。」
このままいけば、マグノリアは両目を失ってしまう・・・。
どうすれば良いのだろう。
あの“台本”の通りに進めば、きっと私は・・・元の世界に帰れるに違いない。
けれど、私の心は・・・良心は・・・目の前の悲劇を放ってはいられない。
マグノリアは短刀を取りだしている。鞘から引き抜く音を聞くだけで、その迷いの無さを伺える。
マグノリアがここまで私を信じてくれているのはとても嬉しく思う。でも、ここまで信じさせてしまったのは私だ。私の“妄言”のせいだ。
「・・・それでは、女王陛下、我が目を献上いたします。どうか、あの者の言葉に耳を傾けてください。」
この場に緊張が走る。張り詰めた空気は、私だけではない、ここにいる全ての人間が感じているだろう。私の両腕を取る近衛兵の二人の力に緩みさえ感じさせるほど、マグノリアの気迫は深々と身に沁みて伝わってくる。
このまま、マグノリアが目を差し出して、その後に私が立ち去ろうとする。
マグノリアの信頼を裏切ることで、女王の関心を買うことができる。
いくつかのセリフの後で、私は預言者として城に迎え入れられ、“虹”の討伐に出向くことができる。その先に、私のいた世界が待っているはずだ。
でも、その代償として・・・マグノリアは永遠の闇に閉ざされる・・・。
「待って・・・!」
その静寂を切り裂いたのは、私の良心だ。心の叫びだ。
そんなことはありえない。自分のためだけに、誰かが犠牲を払わなければならないなど、あってはならないことだ。
無言のまま、ほんの数秒が無限に感じられた。
この時、あの“台本”にはなかった展開が生まれる。
演技ではない、本当の私が、この舞台で本物の主人公にならなければならない。
この物語の主人公は、いったい、ここでなんと言えばいいのだろう。
この先で言わなければならないセリフを、私は知らない。