ケンちゃん、お相撲さんを目指す(2)
一話が短いもので、連続投稿です。
「まあ、やるだけやってみましょうか」
自信満々って感じでもなければ、迷惑がっている素振りもない。
ケンちゃんの身長について相談した際の、美波さんの言葉と様子がこれだ。
お相撲さんになるための新弟子検査ってやつが行われるのは、年明けの2月。まだ3カ月以上も先の話だ。そこで私とケンちゃんのご両親とで練り上げた作戦は、すなわちこうだ。
まず一度、ケンちゃんに美波さんの施術を受けてもらう。そして本当に身長が伸びるか試してみる。思惑通り2センチ以上、一時的でも身長が伸びるようなら、新弟子検査の前日か当日の朝に、もう一度、美波さんに施術をお願いする。
新弟子検査なるものが、どこで行われるか知らない。場合によっては出張施術みたいな対応を、美波さんにお願いすることとなるかも知れない。
お試し施術の場所に美波さんが指定したのは、意外にも整体シバヤマの店の方ではなく、柔心会の本部道場だった。
日曜日。秋らしい晴天の朝。
待ち合わせの場所に私が選んだJRの最寄り駅で、ケンちゃんと再会した。実に7年振りに見たケンちゃんは、立派な体躯の青年になっていた。目が合うなり、深々とお辞儀をしたその姿も、実に礼儀正しい印象だった。
「ご無沙汰しています。この度はご面倒をお掛けします」
大きな体を小さく丸めて、2度も3度も短く刈り込まれた角刈り頭を下げる。むかし陰口を叩きまくっていた近所の奥様方も、いまのケンちゃんの姿を見れば、きっと目を疑うことだろう。
「大きくなったね、ケンちゃん。それにいい青年になった」
思わず口から出た言葉は、実におばちゃんチックな感じになった。いい青年と言われて、ケンちゃんの眼が少し左右に泳ぐ。なんだ、体に似合わず意外とシャイなのか。はにかんだその四角い顔には、間違いなく子供の頃の面影があった。
それにしても大きな体だ。身長は私より数センチ高いだけだけど、その厚みが物凄い。それはそうだろう。だってお相撲さんを目指す体なのだから。
それじゃあ、ぼちぼち行きますか。
「今日はケンちゃん一人?」
2人で並び、歩き始めて数分経った頃、私はケンちゃんに問うた。
「はい、自分ももう自立しないといけない年齢ですから」
立派な心掛けだ。私が16の頃なんて、自立なんてワード、頭の片隅にもなかった。少し緊張しているのだろうか、それとも若者なりの決意なのだろうか、ケンちゃんの言葉と態度がやや固い。そう言えば、今日どこに行くなんて話も、はっきりとは伝えていないはずだ。施術で一時的に背を伸ばしてくれる整骨院みたいな場所に行く。そんな程度の認識だろう。ケンちゃんが左手に持つボストンバッグには、たぶん柔道着が入っていることだろう。
(少し運動できる服装でお越し下さい。柔道の経験があるのであれば、柔道着で問題ありません)
整体シバヤマではなく、柔心会本部道場に来るように言ったあと、美波さんはそう続けたのだ。
「今から行くのは、柔心会って武術の道場でね、私も偶に通ってるの。ケンちゃんから見れば、もうおばさんだから。体力維持と健康のために・・・ね」
今も固い表情のままのケンちゃんの緊張を、少しでも和らげようと私は言葉を掛ける。
それ以上の意味も考えも、全く含んでいない言葉だった。
「えっ、柔心会って、あの柔気道の柔心会ですか?」
ケンちゃんの声が裏返った。相当の驚きであったらしい。へぇ、やっぱり有名なんだ、柔心会。
「うん、その柔心会。そこの主席師範の芝山さんに今日会う予定。その人なら、もしかしたらケンちゃんの身長を伸ばしてくれるかも知れない」
私のこの言葉に、ケンちゃんの足が急に止まった。なに、どうした?
意図せずケンちゃんの数歩前に立つことになった私は、思わず振り返る。ケンちゃんの顔が、何だか紅潮している。
「柔心会の主席師範って・・・まさか、あの芝山先生のことですか?」
眼を丸くするってのは、飽くまで比喩的表現だと思っていた。そうじゃなかった。
一歩も足が前に出なくなったケンちゃんの眼は、本当にまん丸に見開かれていた。




