不審者二人(7)
不審者編完結です。次はお相撲さん編です。
高木は、すぐには戻ってこなかった。いちど店の外に出たらしい。約20分後に戻ってきた。その間に、私は大きなチーズバーガーを半分程度まで食べていた。
普段は大食漢と呼んでいい美波さんであるが、さすがに気分じゃないのか、いまも3分の一程度のバーガーが、白い皿の上に残っている。
「大変お待たせしました。仕事の連絡です。あまり喜ばしくない連絡でした」
「私達に関係ない話なら聞いても意味がない」
(う~~ん)という仕草で高木が腕を組み、首を傾げる。その動作に少し愛嬌があるように思えた。そのことに、私はひどく驚く。
「微妙なところですね。あると言えばある。ないと言えばない。ところで、私が席を外すまで、どんな会話をしていましたっけ?」
とぼけたこの質問を、どこまで本気で捕えればいいのだろう。この男、まるで掴みどころがない。そしてやっぱり油断できない。
「才能を持って生まれた人間には義務があるだのないだの、そんな話だった」
(ああ、そうでしたね)
と会話を繋げた高木は、椅子に腰を下ろし、真っすぐに美波さんに視線を向けた。
「無理を言ってお時間を頂戴した手前、もう少し主席師範とお話したいのは山々なんですが、これでも私はビジネスマンでしてね。無駄というものを好まない」
「言ってる意味が分からないね」
「つまり、私が上から与えられていたミッションは、柔心会主席師範の芝山美波を、R-ORのリングに上げること。これが最終目標だったわけです。そのための交渉が、今ではあまり意味をなさなくなったということです」
「まだ分からない。無駄が嫌いと言ってる割には、回りくどい話し方をするじゃない」
(これは失礼)
まさにそんな表情を高木は作った。ほんの一瞬、このとき高木が笑ったように、私には思えた。
「それでは、シンプルに話しましょう。新型コロナの影響ですよ。行政から要請が入ったらしい。大会場での観客動員を伴う催し物の自主制限の要請だそうです。つまり、私が主席師範を仮に口説けたところで、芝山美波の上がるリングがなくなったと、まあそんな話です」
席を立つまでの間、少しずつハンバーガーにかじりついていた高木が、その発言を機に、口を大きく開き、喉に押し込むようにして食べ始めた。一かじりごとに、大きくハンバーガーがその体積を減らしていく。
「少しゆっくり食べて、主席師範を口説く時間を稼ぐつもりだったのですが、その必要が無くなってしまった。菊元さん、こういうアメリカンな食い物は、ちまちま食うよりも、ダイナミックに食った方が美味いですよ。ああ、本当に、ここのハンバーガーは美味い。いい肉を使っているようだ」
高木の視線が、またも私の顔を真正面から突き刺したが、震えるような怖さは、さほど感じなかった。
「父はどうなるの?」
この日初めて美波さんの方から話題の方向を変えた。高木の視線が美波さんの方に移る。
「そこなんですよ。私が気になっているのは。もし今回の興行が延期になった場合、私達以上にそれを残念がるのは、じつは小山氏なんじゃないかと思いまして。これは私の只の勘ですがね、今回、小山氏に上がるリングが無くなれば・・・」
「無くなれば?」
「おそらく、小山氏が再びリングを目指すことは、もうない」
「なんでそんなことが分かるの?」
「だから、私の只の勘だと申し上げた」
その言葉を言い終えたのと時を同じくして、高木の持っていたバーガーが、彼の口の中に全て消えた。
「最後の決断をするのは、私なんかよりもっと上の人間です。なにも大きな会場に大勢の観客を入れるばかりが興行じゃない。今の時代、無観客で試合を行って、ネット配信するというビジネスモデルもある。一番費用の掛かる会場の確保が安上がりですからね。収支のバランスの問題であって、このやり方は十分にあり得る」
高木の持つたっぷりと水滴の付いたグラスの中身が、ほとんど氷だけになっている。
「さっき私を口説く意味がなくなったって言ったばかりじゃない」
「柔心会芝山美波が、そのベールを脱ぐ。その場所が無観客って訳にもいきますまい。それじゃあ、我々が武術の神に叱られる」
立ち上がった高木が、一度も脱ぐことをしなかったジャケットの内ポケットから黒いサイフを取り出しながら言った。1万円札を静かにテーブル中央に置く。
「私はこれで失礼するが、お二人はゆっくりと食事を続けて下さい。私なんかが居ない方が、くつろげるでしょう。それでは」
あれ程までに執拗だった高木の去り際は、清々しいまでに潔かった。去り行く足取りに、一切の迷いが無かった。そのまま出口のドアを開くかと思った高木が、(ああ)と言って立ち止まったのは、何かを演出するための動作には思えなかった。本当に、いま何かを思い出したか、何かを思いついたのか、そんな挙動だった。高木が私たちの方に振り返り、数歩戻ってくる。
「一緒にハンバーガーを食べたよしみで、少しだけ。一度、小山氏と連絡を取ってみてはいかがでしょうか。氏のやっている奈良の道場を一度見にいきましたが、3~4人で慎ましく練習されていました。小山氏の練習相手が務まりそうな人間も見当たらなかった。氏がリングの上で戦う可能性は、まだゼロって訳じゃない。少なくとも柔心会本部なら、練習相手には事欠かないかと思いましてね。僭越ながら」
美波さんは、この高木の言葉に対し、何の反応も示さない。それに構わず高木が続ける。
「自分の最期ってのは、子に見て貰いたいと思うのが親でしょうし、親の最期を看取れなかった子の方も、いつか後悔するものです。それでは、また」
今度こそ、高木は一度も振り返らず、店を出て行った。




