不審者二人(6)
この度一作品文字数の記録更新です。
一口バーガーに噛みつき、(美味い)と柄にもないと思われる言葉を女性店員に発した後、高木は静かに語り始めた。スーツ姿と相まって、静かに語るその姿は、それなりに紳士っぽい。
「私も以前は格闘技の選手でしてね。もちろん主席師範ほどのレベルじゃない。空手の全日本大会で2位。それが私のキャリアハイです」
「日本で2番。大したものじゃない」
変わらずぶっきら棒な語り口調であったが、美波さんがそう相槌を打った。
「2位といっても体重別の試合でね。中量級での2位ですよ。誰も私が日本で2番目に強い空手選手だなんて思っちゃくれない」
「ふ~~ん」
「重量級の方が強い選手がいると世間は考えるだろうし、多分にそれは事実です。さらに空手の日本チャンピオンなんて、400人以上、当時は存在した。それくらい団体が乱立していた頃です。主席師範ところの柔心会のように、しっかりとした一枚岩の組織なんて、空手の世界には存在しない。今もくっついたり離れたりを繰り返している。それが日本の空手団体の実態ですよ」
「あまり興味のない話だけど、まだ続ける?」
高木がふと笑った気がした。笑った気がしたが、私達の考える笑顔ってものとはかけ離れている。口角がほんの僅かに動きたこと。それが笑ったように見えた理由だ。やはりこの男は、笑ってはいないのだろう。
「それじゃあ、主席師範が多少なりとも興味のある話に変えましょうか。小山順一氏の話です」
「へぇ」
抑揚のない短い言葉にまるで感情が滲んでこない。ごくりと一口、アイスコーヒーで喉を鳴らした美波さんの表情は、変わらず冷たい。
「先般も申し上げたが、うちのリングに立ちたいと言ったのは小山氏自身だ。これは嘘じゃない。なんなら本人に確認してもらっても構わない」
「そんなつもりはない。もう父は柔心会の人間じゃない」
「実のお父さんに対して、なかなか冷たい仰り様だ。だったら小山氏をリングに上げようとしている我々が、主席師範に非難されるのも、全くのお門違いってことになる」
やっぱりこの高木という男、頭がいい。これまでの会話の中に、論理的矛盾が一つも存在しない。それが分かるのか、美波さんもいま言葉を発しない。
「自分が何者であったのかを確認したい。小山氏が出場を希望した理由が、そんな言葉でした。(何者なのか)ではなく、(何者であったのか)。現在の話ではなく、過去形であることも、私には何となく、その理由がわかる様な気がします」
「私には全く分からない」
いまも変わらずつっけんどんな美波さんの言葉と態度。
「それはまだ主席師範が、お若いからですよ。私は主席師範より10才以上年上で、小山氏より10才以上若輩だ。中学時代に興味を持った格闘技とは永い付き合いだし、それにしがみ付くように今の仕事についている。他に取り柄もなかったですしね。今の自分に、これと言った不満がある訳でもない。それでも人生も後半戦に差し掛かったいま、考えることもあるんですよ」
「何を?」
美波さんの言葉は極めて短い。そして率直だ。
「つまり自分の人生が何だったのか、自分とは何者だったのかという自分への問いです。要は小山氏が言った事と同じことを、私も考え始める年齢になったと言うことでしょうか」
この時、私の脳裏に浮かんだのは、今は亡き吉野社長の言葉。ワタルさんの前の吉野洋服店の社長だ。病室で聞いた氏の言葉はどんなだっただろう。確か・・・
(自分は一流の洋服屋だったという自負がある。でも一流の中に入れば、果たして自分はどうだったのだろう。そんなことを、こんな体になって考えることが多くなった)
そんな言葉だったような気がする。小山氏、つまり美波さんのお父さんの言葉と通じるものがある。いや、通じるどころじゃない。言葉の選択は違えと、その本質はまるで一緒とさえ言えそうだ。
「某マイナー空手団体の中量級2位。日本全体で言えば、強さランキング1000位以内かも知れないし、何万何千番台でもまるで不思議じゃない。その事が分ったからと言って、誰の興味を引くわけじゃない。所詮は自分自身の納得の問題だ。それでも、それを知りたいって思いは、たぶん人間誰しも持つ願望だ」
「それで?」
「柄にもないと思われる事を承知で口にするとですね、自分が何者であったを知り、その事を受け入れて死ぬこと。それがすなわち人生のゴールなんじゃないか」
高木の語り口調は変わらず静かだ。しかし変化がない訳ではない気がする。何だろう、そう、ずっとこの男が纏っていた暴力の匂いというか、切れるような怖さと言うか、そう言う類のものが、いまの高木からは、あまり伝わってこないのだ。
すでにこの男と同席してから20分以上の時間が経過している。私がこの男の発する圧力のようなものに慣れてきたことはあるのだろうが、10才以上年下だと言う美波さんに対して、何かを伝えようとする健気さすら感じさせる。普通に考えれば、私の思い違いなのだろうけど。
「まあ、私が日本ランキング1000位だろうが3万位だろうが、そんなのどうだっていい。ただの自己満足の領域であり、自分だけが納得できればいいって話だ。でも・・・」
「でも、なに?」
「1000番だろうが3万番だろうが、それは他人からすればどうでもいい。しかし、これが1番なのか2番なのかとなると、これは全く別の話になる」
「まるで私には話が見えないね」
美波さんの返事と同じく、私にも高木の語る内容が理解できている訳じゃない。それを理解するには、まだ私も若輩過ぎるということなのだろうか。
「どんな分野でも、1番か2番かも知れない達、捻りのない表現をすれば、神に選ばれた人達ってのは、1000番目や3万番目の人間とは、運命も責任も、全く違うはずなんです。私は神なんて存在を信じている人間じゃない。それでも極めて少数の人間に、持たざる者からすれば、あまりにも理不尽な、とてつもない才能が、与えられる事があることは知っている。これは神の悪戯だ。そうとでも思わなければ、世の凡人は、到底納得することのできない天と地ほどの才能の違いだ」
美波さんは神に選ばれた人間。他の誰でもない美波さん自身が、自身の柔気道の才能を、そんな風に表現したことがある。同時に、父親である小山順一氏に、その才能がなかったことも美波さんは語ってくれた。そのとき美波さんは、なぜかとても悲しそうだった。
「そんな才能を持って生まれてしまった人間には、その才能がどこまで輝くのか、どれほどまでの高みに達するのか、それを世に開示しなければいけない義務があると、私は思うんですよ。持たざる者として生まれた、他の大多数の人間の為にも」
すぐに美波さんは言葉を返さない。言葉を返す代わりに、切り刻まれているハンバーガをフォークで刺して口に運んだ。二塊。そしてアイスコーヒーの入ったグラスを持ち上げる。
小さく喉を一回鳴らした後、美波さんが何か言葉を発しようとしたその時だった。
高木のスーツの胸ポケットで、携帯が震えたのだ。
少し目を細めて小さな液晶を確認した後、手を挙げて美波さんの発言を遮った。
「ちょっと失礼」
小さくそう言って高木は席を立った。




