不審者二人(4)
大阪駅地下のハンバーガー店で食事をしたとき、今回の構想が浮かびました。美味しかったです。
お近くの方は是非!
(上から串の刺さった巨大なチーズバーガー食べませんか?)
それが美波さんのお誘いの言葉だ。(上から串)ってところが、初めはチンプンカンプンだった。店の前で、お勧めメニューの写真を見て、(ああ、そう言うことか)と納得した次第。
どのメニューも、大きすぎるバンズやパティを纏めるために上から串が刺さっているのだ。私なら、(アメリカの大統領が好きそうなハンバーガー)って表現をするだろう。
ハンバーガー専門店。マ〇クやロッ〇リアのようなジャンクフードと言った類ではなく、ここまでに至ると立派な肉料理の一ジャンルだ。お値段もバーガー単品一個が千円札一枚では食べられないのだ。
今は土曜日の19時半過ぎ。昨晩の練習後、美波さんに先の言葉を掛けられ、つい15分前に最寄り駅で落ち合い、2人でこのハンバーガー専門店に入ったのだ。
テーブルをはさんで向かい合って座ろうとした私に、(横に並びましょう)と美波さん。従って、4人掛けテーブルの向こう側は、いま無人である。
一人の男性店員さんが、2人分の冷たいおしぼりと水の入った透明のグラスを運んできた。
グラスには丸く大きな氷が、ごろりと浮かんでいる。
「お二方でのご来店でしょうか?」
4人掛けのテーブルの片側だけに座っている私達の配置から、店員さんはそんな質問をしたのだろう。
「もしかしたら、あと一人くらい来るかも」
それが美波さんの返事だったが、他の人が来るかも知れないなんて、私は全く聞かされていない。
注文に関しての美波さんの決断は早かった。
注文した品は、『ホットチリ・チーズバーガー・グランデ・セット』。そのお値段は二千円オーバー。普段の優柔不断な私なら、(同じものを)と口にするところだが、あまりにもボリューミーで、とても食べきれるとは思えない代物だったので、一番写真写りが小さかった『チーズバーガー・スタンダード・セット』を注文したのだ。それでも値段は1500円だった。
二人ともアイスコーヒーにしたセットのソフトドリンクはすぐに運ばれてきた。一方で、ハンバーガーはなかなか出てこない。週末の夜であるが、お客の数はほどほどだ。決して注文が殺到しているという雰囲気ではない。テーブルにはすでにフォークとナイフが並んでいる。ここで食べるハンバーガーとは、すなわちそんな料理なのだろう。
しばらくして清潔感のある白いブラウス姿の若い女性店員さんが、バーガーを運んでくれた。メニューに掲載されている写真って、(何だ、意外と小さいじゃん)ってことも多いのだが、この店はそうではなかった。看板に偽りなし。目の前にあるバーガーはやっぱり巨大だった。
バーガーの大きさに意識が向いていた私は、その男の入店にまるで気付かなかった。
日中の酷暑は、少し影を潜めてはいたが、外気温はおそらく30℃を僅かに下回った程度だろう。それでもこの男は、黒いスーツ姿できっちりとネクタイまで結んでいた。
ただでも細身の男の体を、黒いスーツがさらに引き締めて見せる。
短い髪は後ろ方向に流され、狭い額が露わになっている。その額に汗は全く浮いていない。彼は真っすぐに私たちの座っているテーブルに歩んできた。ゆっくりでもなければ、急いでいる素振りもない。ごくごく自然な歩調であり、油断が感じられない。佇まいが静かだ。その静けさの中に、刃物のような鋭さが見えたり隠れたりする。
「お待たせしたでしょうか?」
大き過ぎず、小さ過ぎない声量。言葉自体は丁寧であったが、愛想と言った類のものがまるで感じられない。笑わない。一体この男はいつから笑っていないのだろうかと考えてしまうほど、この男が笑みを浮かべる様子を想像できない。
(怖い)
この男を一言で表現するとこれだ。
よくビジネスの世界でプレッシャースーツなんて呼ばれ方をするが、濃い色のスーツは相手に威圧感を与える性質があるらしい。思えば、初対面がスーツ姿だったワタルさんの第一印象も、(やや怖い感じの人)だった。それでもこの男の纏う怖さは、ワタルさんのそれとは、少し質が違う。より具体的な暴力の匂いが漂っているのだ。体全体に変な磁力を帯びているかのようだ。引き付ける側の磁力ではない。自ずと人を遠ざける方の力だ。
(そこそこ有名な空手の選手だった)
ワタルさんの言葉を私は思い出す。この男の名は高木。柔心会の練習に、ほぼ毎日のように現れては美波さんに声掛ける、格闘技の興行に携わっているらしい人だ。
人を傷付ける術を身に付けている人間は、皆こんな凄みのような空気を纏うのだろうかとも考えたが、例えば普段の美波さんには、そんな人を威圧するような風情はない。やっぱり、この威圧感は、この高木という男独特のものなのだろう。
「お菊ちゃん、食べましょうよ。美味しそうですよ」
高木への返事ではなく、美波さんの言葉は、そう私を促すものだった。
高木の来店を確認し、水とおしぼりを運んできた女性店員の眼に、困惑が浮かんでいる。
それはそうだろう。美波さんの高木に対するつっけんどんな態度。到底に待ち合わせた者同士の雰囲気とは思えないのだから。
「私にも、それと同じものをお願いできますか?」
顎で私の前にあるバーガーを指して、高木が店員にオーダした。態度は横柄。言葉は丁寧。そしてとても怖い。店員がオーダを確認し、テーブルを離れていく。
椅子を片手で持ち上げ、床を引きずらないようにこれを引く。そして座する。
美波さんはナイフとフォークを使い、巨大なバーガーを切り分けている。この食べ方が正しいのかどうか、私には分からない。
「それにしても、柔心会主席師範のご指定がハンバーガー店とは、あまり似合わない」
高木のそんな言葉にも、美波さんの扱うフォークとナイフは動きを止めない。
高木は真っすぐにそんな美波さんの動きを見つめている。視線に敵意は感じられない。それでも自ずと人を威圧するか怖さが宿っているのは変わりない。
美波さんが頃のよい大きさに刻まれたハンバーガーの一片を口に運んだ。柔らかい肉が使われているのか、まるで噛むことなく飲み込んだように思えた。
アイスコーヒーをごくりと一度だけ音を立てて飲んだ美波さんの右手には、いまもフォークが握られている。一片のバーガーをまたも突き刺し、口に運ぼうとする動きが宙で止まった。
「なぜ父を巻き込んだ?」
ずっと怖いと思っていた高木よりも、その美波さんの一言が私には怖いと感じた。




