表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

89/130

不審者二人(3)

登場人物が一人歩きを始めると名作が生まれると言うが・・・制御不能!


満面の笑みを携えて、美波さんがダブチにかぶりついている。

満面の笑みを浮かべて、私の新しい名刺を受け取ってくれた。


「マネージャー様になると、お仕事の内容とか変わってきたりするのでしょうか?」


「やっぱり管理業務の比重が高くなってくると思います。自分がやるのでなく、人を使わなければいけない状況ってのが、これから多くなっていくかと」


最初に名刺を受け取って欲しかった人に、私は新しい名刺を渡すことができた。

私も出来る限りの笑みを浮かべてはいる。それでも引っ掛かっている。迷っている。

その小さなしこりが、私の笑みに不自然な影を落としたりしないだろうかと不安になる。

普通の人には気付かないであろう微かな影。そして、それに気付いてしまうのが美波さんなのだ。


言うまでもなく、私が引っ掛かっているのは、ほんの15分程前に会った男性の事。そして受け取った名刺を美波さんに渡すかどうかという迷いだ。


「わざわざ休日に出向いて頂かなくとも、電話でよかったのに。それに朝ごはんまで頂いちゃって、こっちが恐縮してしまいます」


無邪気と呼んでいいほどの美波さんの明るい声。私の心の引っ掛かりを、今のところ上手く隠せているようだ。

その後、柔気道の昇級審査に話題は飛んだ。あのとき私が発したおかしな奇声を多少いじられた後、技を出すときどうして声を出すのかという話になった。


「わざわざ声を出すことはないですが、呼吸方法としては、息を吐きながら技を出すのが正解です。息を吸いながらではそもそも力が出ませんし、息を止めて技を出し続けると、呼吸が乱れて、すぐに疲れてしまいます」


すなわち美波さんが言うには、息を吐きながら技を出すと、力が入ったときに、自然と声が漏れてしまうものなのだそうだ。それでも息を止めて技を出すよりは、はるかにそちらの方がいいらしい。初心者が号令に合わせて掛け声を出すのも、この息を吐きながら技を出すための訓練なのだそうだ。経験を積み、余分な力みが無くなってくると、自然と声も小さくなっていき、やがては声など不要になるとのことだった。


(ミミミ~~)だの(オイサホ~)だの奇妙な掛け声を連発し、道場内を爆笑の渦に巻き込んだ私なのだが、意外にもその奇妙な掛け声を美波さんは褒めてくれた。


「特に(ホ~)って掛け声はいいです。“イ”とか“ウ”に比べて力みません。そこが掛け声としていい理由です」


そんな呼吸の仕方や掛け声の話は10分以上におよび、私が入店してから数えると半時間近くの時が経過していた。この頃には、ある程度私の腹は固まり始めていた。

受け取るか受け取らないか、捨てるか捨てないかは、美波さんが決めることなのだ。

そして切り出す。


「実はビルの入り口で、少し年配の男性に声を掛けられました」


「はあ、そうですか。まあ、お菊ちゃんは年配の方にモテそうですからね。本部道場でもお菊ちゃんのファンが、何人か年配の方にいると聞いてますよ」


それは初めて聞いた。できれば同世代の男性にモテたいものだと思うが、いまはそんな話じゃない。


「名刺を1枚、預かってます。芝山美波に渡してくれって。要らないなら捨てて貰って構わないって」


敢えて美波さんのお父さんだと聞いた話はしなかった。そしてできるだけ平静を装った。

美波さんの口からそれを聞いた時に、(お父さんだったんですか)って、私は驚く振りをすればいいだけのことだ。

男性の名刺を手渡す。平静を装って。

この名刺を見て、美波さんがどんな反応をするのか、まるで考えなかった訳じゃない。でもその反応を予想することを、私はしなかった。

驚こうが笑おうが、怒ろうが悲しもうが、それは美波さんの問題であって、私なんかが関与すべきではないと考えたからだ。


受け取った名刺に視線を向けている時間が長かった。10秒、30秒。美波さんの表情に変化がない。僅かな笑みを浮かべて、呼吸や掛け声に関しての会話をしていたときの顔のままだ。まるで違ったのは、美波さんが沈黙してしまったこと。きょう私が整体シバヤマを訪れてから、一番長い沈黙だった。


「こちらの方は、いまどちらに?」


いつも通りと言えば、いつもと変わらない声色のように思える。明らかに違うじゃないと言われれば、そうかも知れない。美波さんの変化はそんなレベルのものだった。


「ビルの表玄関で名刺を渡されました。今もいらっしゃるかどうかは分かりません」


「その男性、他に何か話しましたか?」


自分が芝山美波の父親だと告白した後、不要なら捨ててくれればいいと、その男性は言った。

そして、その次に・・・


「今度試合に出ると言っていました。元柔心会の人間として伝えておいた方がいいと。え~と、確か・・・高木さんの所がどうこうって言っていました」


「高木・・・」


ぼそりとその名を口にした美波さんが考え込んでいる。長い時間ではなかった。すぐに立ち上がり、ハンガーに掛かっていた薄手のジャケットから財布を取り出す。タイ旅行でも使っていた赤い長財布だ。財布の中は、なにやらレシートらしきものが乱雑に入っている。それらの中から、美波さんは一枚の名刺を探り当てた。赤と青を指し色に使ったビジネスシーンで使うにはカラフル過ぎる名刺。


【R-ORアール・オア 興行部 高木 振一郎】


(名刺を渡された。名前はたしか高木だった)


数週間前か、もしくは一か月以上前か、以前に聞いた美波さんの言葉を、私は思い出す。

私にとっての不審者二人が、こんな風に繋がった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 高木さんと、美波先生のパパ…一体どうなってしまうのでしょう…親子対決に持ち込まれるのでしょうか…? 今回のお菊ちゃんの態度、きっと美波先生は見抜いていたのかもしれませんね…でもあえて何を言い…
2022/08/04 00:36 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ