不審者二人(1.5)
ある読者様のお陰でけっこうな大作となりました。力入ってます。
「皆技を掛ける時、力が入り過ぎてます。特に上半身。姿勢よく立つこと、そして体の力を抜くこと。この二つが出来るようになったら、それは中級者の仲間入りを意味すると言って過言ではありません。よく見ておいて下さい。じゃあ、お菊ちゃん、ちょっと・・・」
「あっ、はい!」
なんと最近では美波さんの模範技の受けを、私が担当することが多くなったのだ。本部道場生全員の視線を受けて。まあ私が偉くなった訳ではなく、ほとんどの道場生がガタイのいい男性なので、身長が156~7センチの美波さんが技を披露する際、私の体格がちょうど頃合いがいいということなのだ。
誤解の無いように付け加えると、例え相手が2メートルであっても150キロでも、美波さんの神技にとっては、それは大した問題ではない。飽くまで一般的な道場生のために、体格の差がない者同士の技の見本として披露しているのだ。
颯爽と道場の中央に出ていく私。茶帯を締めた凛々しい私。しかも、あの芝山美波に(お菊ちゃん)なんて呼ばれている。
(カッコいい~~~)・・・とは誰も思っちゃいないだろうが、(羨まし~~~)なんて思ってる美波ファンは絶対にいるはずだ。
さてさて、4月に行われた初級幹部社員選考試験で、社会人になってから初めて人と戦った。もちろん戦うと言っても殴り合いをした訳ではなく、言葉による討論である。これまでも何度かは会社の人達とやり合ったことはある。しかし、それはお互いに対する文句と言うか、責任の擦り付け合いというか、まあ不毛な口喧嘩の域だった。議論や討論と言ったレベルのものは、これが私には初めての経験だったかも知れない。
そして5月。またまた私は戦うこととなった。こちらは討論ではなく、ホントの肉体を使った殴り合い(?)である。それは柔心会5級昇級試験の場。
「投げ技3種類。好きな技でいいので見せて下さい」
号令を取っているのは、もちろん美波さんである。
男性会員を相手に3種類の技を披露した。投げ技は3種類しか知らない。4種類と言われていれば、途方に暮れたところだ。
技と呼べるレベルかどうかは大いに疑わしいが、それでも受けを務めてくれた黒帯の男性は、実に上手に投げられてくれた。
「じゃあ、次は固め技を2種類見せて下さい。技は何でもいいです」
これまた別の黒帯男性会員が、あたかも私の技が決まったが如く、床に伏せてくれた。ご丁寧に畳を叩いて、(マイッタ)のジェスチャーをするという演出まで付け加えてくれた。
「はい、それじゃあ、10分休憩してから、自由乱取りに移りましょうか。受験生みんな面ガードを着けて下さい」
自由乱取りと聞いて、私は一気に緊張する。日頃の稽古でも乱取りはする。私なんかより遥かに実力も体力もある男性道場生が、大抵は適当に受けてくれる。
しかし、これは昇級試験だ。普段の練習時の乱取りとは全く意味が違う。
私の懸念した通り、受験生同士の乱取りは激しかった。面ガードという顔を守る防具がなければ、多くの受験者が鼻や口から血を流す光景になっただろう。
面ガードなるものを始めて私は着けたのだが、透明の強化プラスチック越しの風景に違和感がある。耳の部分は開いてはいるが、それでも何だか音が聞き取り辛い。足元がふらふらしているように感じるのは、単純に私が緊張しているだけなのだろう。
(落ち着け、私)なんて感じで、鼻から息を吸って、ゆっくり口から吐く。
「それじゃあ、牧野さん、菊元さん、中央へ・・・」
えぇ、牧野さんと自由乱取りですか?一番やりたくない相手なのに。
向き合った牧野さんの眼が、面ガード越しでも怖い。女の子同士なんですから、適当にやりませんか?って、そうはいきませんよね。
「始め!」
「イヤ~~~~!!」
両脚を肩幅に前後させて構えた牧野さんの奇声。マジですか?本気ですか??
「ヤッ、ヤ~~!」
(ヤッ)のところでトンと右手を突き出した牧野さん。この手業は何とか躱したのだが、次の(ヤ~~)のところでお腹を蹴られた。お腹蹴った?お腹蹴られた??もし私が妊婦だったら大惨事ですよ。事件ですよ、これ。
「カナちゃん、真っすぐ下がらない。付け込まれるよ」
辛うじて聞こえた声の主はワタルさん。ワタルさんも実はこの本部道場の生徒で、黒帯の二段なのだ。社長さんになってから、圧倒的に道場に顔を出す頻度は減ってしまったようなのだが、私の晴れ(?)の昇級試験のために、今日は時間を調整してくれたのである。
「ヤッ、ヤ~~!」
奇声に合わせて牧野さんの手足が私の体に降りかかってくる。え~~と、真っすぐ下がるのは良くないんでしたね。さて、どうしよう・・・なんて考えてたら、道着の袖を牧野さんに掴まれた。
「ヤ~~!!」
さらに甲高くなった牧野さんの気合。袖を掴んで私の体を力任せに振り回わそうとする。
(おわっ、ととっと・・・わぶぶっ!!)
床に転がることは何とか回避した私であるが、次の瞬間、袖を掴んでるのとは反対の手が、私の顔面を直撃したのだ。
「はい、今の上段突き、取りま~す。技あり!」
審判兼審査員長の美波さんの声。いま顔叩かれたよね。私。生まれて初めて人に顔ぶたれた。
この齢になっても、初めての事があるって何だか新鮮だけど。それでも、お腹蹴られて、振り回されて、顔ぶたれた。なんか自分が可哀そうになってきた。でもって、だんだん腹も立ってきた。
「続行!」
「ヤッ、ヤ、ヤヤ~~!!」
牧野さんの波状攻撃。確か入門したての頃、(興奮すると両手両足を振り回すタイプと、相手に掴みかかるタイプと、人は大きく2タイプに分かれます)なんて話を美波さんから聞いたことがある。牧野さんは前者だな。間違いなく。
それにしても、意外に私、冷静じゃないか。初めは泡喰ったけど、何だか牧野さんの動きがよく見えてる。すんごく肩に力が入っていることも分かる。だからと言って、私に余裕がある訳でもない。何たって、生まれて初めて人に殴り掛かられているのだ。尋常な精神状態じゃない。うわっ!
牧野さんの右手が、またも私の面ガードを掠った。まさにその瞬間、道場生の間から、奇妙な声援が聞こえた。
「ミミミミ~~~!!!」
そしてやや手ごたえは軽かったが、私の平手打ちが、牧野さんの側頭部を捕えたのだ。
「浅い!続行!!」
美波さんの張りのある声が、道場内に響く。
「ヤヤ~~~!!」
牧野さんの奇声に合わせたお腹へのキック。まるで痛くなかった。痛くなかったってことは、何とか躱したのだろう。真っすぐ後ろに逃げてなかったので、自らのキックの勢いで体勢を崩した牧野さんとの距離は近かった。反撃のチャンス!
「ウケケケ~~~」
またも道場生の声に合わせた私のパンチ数発。牧野さんが下がる。
それにしても誰だ?さっきから私の攻撃に合わせておかしな掛け声を出しているのは。
どっち方向から聞こえてるんだ?このユーモラスな奇声。意外と近くだ。極めて近くだぞ。
「ヤ~~」
「オイサホ~~」
牧野さんのキックと私のパンチもどきが交錯する。
牧野さんのキックは私の脇腹辺りに当たった。私の右手も牧野さんの顔に届いた。
何だか私達の乱取りを見ている道場生が騒めいている気配。
それにしても見事に私の攻撃に同調して、奇妙な声援というか、掛け声が起こる。
いまの(オイサホ~~)なんて、耳元で声を掛けられた感じだ。少なくとも面ガードの内側から聞こえた。面ガードの内側?内側に存在するのは私の顔だけだぞ。えっ、もしかして、自分の声???
(ミミミ~~)だの(ウケケ~~)だのって掛け声は、もしかして私の発した奇声?
(ガシッ!)
余計な思考が巡った一瞬の隙を、牧野さんに付け込まれた。襟と袖を、しっかりと捕獲されてしまったのだ。入門してしばらくは、牧野さんの投げ技の受け専門だった私には分かる。
その体勢から繰り出させるのは、牧野さん必殺の“入り身腰投げ”だ。
技に入られてしまっては、もう私には為す術がない牧野さんの得意技だ。完全に自分の体の上下が、牧野さんの腰の上で入れ替わるのだ。恐ろしい技なのだ。
投げられる恐怖に反応し、私の膝が崩れた。崩れながらも、意識はおへその下辺りに置くことを忘れなかった。同時に、牧野さんの体勢も(ガクンッ)と崩れた。激しく戦いながらも、やっぱり仲良しなようだ。私たち。
低くなった牧野さんの顔面が、私の左肩のすぐ前にある。でもどうすればいいの?この状態。誰か教えて。
「どっすこ~~~い!!」
私の中の誰かの奇声に合わせて、私は思い切り左肩を牧野さんの顔面にぶつけていた。
勢いよく後ろに倒れ込む牧野さん。えっ、吹っ飛んだ。牧野さん、大丈夫?
「はい、いまの砕肩、取ります。技あり~~。そこまで~~」
美波さんが乱取りを止めた。私は“技あり”を取った。背中から床に落ちた牧野さんが立ち上がろうとするが、ふらふらとよろめいている。
「無理して立たなくていいです。軽い脳震盪を起こしてるでしょうから」
「いえ、大丈夫です」
足元が覚束ないまま、牧野さんは立ち上がった。
「はい、技あり一本ずつの引き分け。お互いに礼」
私にとって人生初の殴り合いの結末は、こんな感じで終わった。
「やられました~~。いまも頭がふらふらします。面ガードが無かったら、絶対に鼻の骨折れちゃってます。菊元さんが砕肩上手いのは分かってたのに」
晴れやかな顔で、牧野さんが近寄ってきた。
「今回は私の負けですが、もっと練習して絶対リベンジしますので、その時には覚悟して下さい」
いや、そんな恐ろしいこと言わないで。私、そもそも勝ってないし。最後の技は、偶然というか、私の中の誰かが勝手に出したというか・・・
「さっ、行きましょう。結果発表、始まりますよ」
審査の結果発表は、最下級である8級から、その日のうちに行われた。ほとんどの受験者が合格したが、全員という訳でもなかった。審査に受からなかった人にも、というより受からなかった人には、特に多くの言葉を、美波さんは掛けていた。何故審査に落ちたのか、どこが悪かったのかを丁寧に丁寧に説明していた。
7級、6級と審査結果の発表が続き、そして私の受験した5級試験の結果発表。名前を呼ばれた私は、美波さんの前まで進む。私の表情は、緊張の極致って感じなのだろうけれど、なぜか美波さんの顔に微笑みが浮いている。微笑みというか、笑いをかみ殺している。どちらかと言えば。
「菊元加奈殿 右の者、柔気道3級を免許する。全日本柔気道連盟柔心会主席師範 芝山美波、はい」
3級の免許としてはやたらと立派な表彰状みたいな1枚の紙と、真新しい茶色い帯を手渡された。厳粛に受け取る私なのだが、えっ、3級?私は5級の試験を受けたはずですが。
「気迫のこもった素晴らしい自由乱取りでした。ちょっと気迫が出過ぎてましたけど。暗殺者の如く、静かに相手を制するのが、本当は理想です。それでも、技自体は十分に3級のレベルに達してましたし、何よりエンターティメントとして極上の出来でした。もし菊元さんが将来リングに上がるようなことがあれば、リングネームは『ドスコイお菊』にしましょうねぇ」
ここでどっと道場生の作る輪が沸く。
「『ウケケのお菊』の方が妖怪チックで不気味感がありませんか?」
某道場生の突っ込みに、さらに大きな笑いが起こる。
大変な醜態を本部道場生全員の前で晒した私なのだが、皆に言わせると(滅多に出ない飛び級)という結果で、私は茶色い帯を締めることになったのだ。
この日以来、道場の先輩方は、私の事を“お菊ちゃん”と呼び、美波フィーバー以降に入門してきた若い道場生からは、“お菊さん”と呼ばれるようになったのだ。
そうそう、私と死闘を繰り広げた牧野さんも、ちゃんと3級に合格し、2人仲良く、いまでは同じ色の帯を締めているのである。
いつ入っていつ明けたの?って感じの空梅雨は、一気に盛夏の暑さを連れてきた。
毎週木曜日か、もしくは金曜日に、できるだけ本部道場に通うようにしている。
道場には大きな空調が二つも備えられているが、6月も半ばを過ぎると、練習生の発する熱気が、空調の能力を上回ることも多くなった。2時間稽古をすると、綿の道着がたっぷりと汗を含んで重くなる。
週末を利用し、この道着を洗濯して、盛夏の太陽の下に干すのが、いまでは私の日課だ。
着古された美波さんの道着。何かのオークションに出せば、一体いくらの値が付くのだろうと思えるお宝品だ。糊が効き過ぎていてしばらくは締めにくかった新品の茶色い帯も、3回も洗濯した頃には、しっくりと私の腰に馴染むようになった。
十分に乾燥させたこの道着と帯を、丁寧に折りたたんでタンスに入れる。そして月曜の朝を迎える。体調はすこぶる調子よかった。
6月の第3週の月曜日。いつも通りの時間に出社した私のデスクの上に、100枚セットの名刺が2箱、そっと置かれていた。




