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201X年大晦日(2)

ダメだ。また格闘技・・・まあ、好きだからいいのです。


画面の向こうで戦ってる男達の攻防を、なんと表現すればいいのだろう。

たまにテレビで見るボクシングなんかとは全く違う。叩き合ったり、蹴り合ったりはしてるけど、すぐに取っ組み合いになって、床の上をゴロゴロしたりする。

こう言っちゃ怒られそうだけど、何だか2匹の子パンダがじゃれ合ってるって感じ?コミカルささえ感じられる両者の動きだ。両手にはドラエもんのマジックハンドの如きグローブ。これもコミカルさを助長している要因の一つだ。どこかコミカルだが、その動きはすこぶる速い。すこぶる速く、大の男たちがじゃれ合っている。


プロレスともかなり違う。プロレスラーって、テレビの画面を介しても、すごく体がデカく感じるっていうか、その肉体に迫力がある。

でもいまテレビで戦ってる人達は、それほど体が大きい訳じゃなさそうだ。レフェリーの方が、むしろいい体格をしている。だからなのかリングがやたらと広く感じる。身長や体重と言った単純な数字においては、極めて標準的な人達なのだろう。じゃあ一般人と変わらないかというと、そうじゃない。二人とも筋肉の盛り上がり方がえげつない。筋肉の付き方は、格闘家というよりは陸上の一流選手のようだ。


「着衣のない寝技の攻防って、どうしてもこうなっちゃうのかな?」


たぶん美波さんがヤナギさんに問うたのだ。


「人間の体って意外と掴みどころがないからね。加えて汗で滑る。これは相手を制するのに、相当の体力とスタミナが必要になりそうだね」


そうそう、ヤナギさんにも格闘技の経験があるようなのだ。大金を手にした私達に襲い掛かってきたタイ人を、パンチ一発でぶちのめしたヤナギさんのあの雄姿は、いまも強烈に印象に残っている。あの時は、そんなことを考える余裕もなかったけど。


(相手を制するのに相当の体力が必要)


それについては少しだけ、今の私には分かる。

最近ではちょっとだけ、柔心会の道場で、技と呼べるものをいくつか美波さんに指導して貰っているのだ。最初に習ったのは目潰し。

(今から目潰しの技を教えます)って美波さんから聞いた時には、いきなりそんな残虐な技ですかって思ったけど、残虐な技ほど実戦向きと言える。柔気道とは決してスポーツのたぐいではないのだ。美波さんの言葉の受け売りだ。

目潰しと言っても、指先で相手の眼球をグサッてやる感じではなく、手の甲と指でパチンッと目の辺りを打つのだ。それだけでしばらくは相手の視力を奪う事ができるらしい。


(次の瞬間、全力で逃げて下さい)


柔気道の技が、決して競い合うスポーツではないことを、私はそのとき改めて実感した。


でっ、最近習い始めたのが、柔心会では“逆千鳥ぎゃくちどり”と呼んでいる技。

その”逆千鳥“にも種類があって、タイの道場で美波さんがアーリアさんを制した相手の肩を固める技が”大千鳥“。アーリアさんの彼氏をマイッタさせた技が”子千鳥”という技で、こちらは相手の肘関節を極める技らしい。他にも“孫千鳥”が存在し、これは手首が攻撃対象になるという。さらに技の入り方の違いで、表と裏があるらしく、つまり千鳥だけで6種類のレパートリーがあることになる。


(末端の関節を決める技の方が、力が不要なのでどちらかと言えば女性向きです)


とは美波さん談。しかし、いずれの技もまずは相手の着衣のそでを掴むところから始まる。この掴む袖がないと、確かに少し技が掛けづらそうだ。そんなところの話を、いま美波さんとヤナギさんはしているのだろう。


沸騰しかけているお湯にお味噌をヤナギさんがき始めると、何とも食欲をそそるいい香りが部屋中に立ち込める。テレビの画面を見ながら、美波さんと会話しながらも、ヤナギさんの手が止まることはない。ヤナギさんがコンロの火を小さくする。


(お味噌は沸騰させてはいけない)


遥か昔、お母さんから教わった料理の基本。さすがです。ヤナギさん。

くちコンロのもう一方でも、お湯が沸かされていた。こちらの方は、まだまだ沸騰までには時間がかかりそう。鍋の底から小さな泡が、やっと出てきたくらいのタイミング。

ここでヤナギさんはプラスチック製のタッパーを取り出す。その中には大粒の梅が数個入っていた。割り箸の先でこれを潰す。思わず口の中が酸っぱくなる。

分厚く切られたクロダイの身を、豪快にお味噌を融かした側の鍋に放り込む。身が鍋の中で踊り、白んでいく。現段階でもう十分に美味しそうだ。


すでに切り分けられてるスズキの身は、クロダイと比較して、やや薄く切られている。キッチンペーパーの上に置かれていて、余分な水分が抜われている。こちらはお造りにでもなるのだろうか。魚自体が大きいので、たっぷりの枚数となっている。綺麗な白身だ。脂が虹色に光っている。

私には魚種の分からない赤い魚の姿もある。長さは25センチくらい。トゲトゲのいかつい顔をした魚。すでに切り身になっているクロダイやスズキとは違い、こちらは原型を留めている。

ヤナギさんがこいつらに包丁を入れる。バリッバリッっと鱗と皮を裂く音が聞こえて、瞬く間にお魚の肉が削ぎ取られていく。切り取られた魚肉の大きさはサイコロステーキより少し大きいくらい。ランダムにキッチンペーパーの上に並べられていく。何とも手際がよい。

とっ、流れて淀まなかったヤナギさんの手が止まった。視線はテレビの画面。

画面の向こう側の戦いに、変化があったのだ。


ときに上、ときに下と、目まぐるしく上下関係を交換していた二人の動きが止まったのだ。

完全に一方の人が、他方に乗っかった状態になった。またまた動物のじゃれ合いに例えて申し訳ないのだが、一方の猫が一方の猫の首根っこを咥えた状態で動かなくなった。そんな感じだ。そのものだ。


上になった人間が拳を振り落す。残酷な絵図だ。体の自由を拘束された下側の人は、まるで防御できない。見る間に顔が朱に染まっていく。床が白いので、零れ落ちた赤黒い液体が鮮やかな染みを作る。ここでレフェリーが密着した二人の間に、強引に割り込んだ。

どうやら決着らしい。

立ち上がり、両手を上げ、リングの上を走り回る勝者と、今も起き上がれない血に染まった敗者。実に対照的な光景だ。


「このルールでいまから戦うんだね。キコちゃん」


美波さんの声は、いつになく固かった。



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