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EARDRUM-MASSAGE(6)

一気に投稿しちゃいます。


「思い出して気分のいい話ではないですが、話しちゃいますね。それにしても、菊元さんは聞き上手ですね。つい、余計な話までしちゃいます。

あれは私が24才、父の順一が52才。段位はどちらも5段。祖父正家まさやの後を継ぐ、次期主席師範を決めるための乱取りでした」


乱取りって言葉はあまり耳馴染みがないのですが、軽い稽古の一環なんて私の先入観は、あの日バンコクで見た乱取りの激しさに、すでに砕かれています。それも次期主席師範の座が掛かっているとなると、想像するだけでも恐ろしいです。


「24才。武術家としては若輩です。主席師範というがらでもないし、すんなり父が主席師範に治まるものだと思っていました。何より、実の親子が争うこと。それが私には相当にきつかった」


ええ、そうでしたら、(私は辞退します)みたいなお話にならなかったのでしょうか?


「いえ、それを許さなかったのは他でもない父自身でした」


父上様が、主席師範をかけた戦いから、美波さんが降りることを許さなかったと、つまりそう言うことなのでしょうか?


「はい、その通りです」


その父上様の心は何だったのでしょう?


「だからそこが私にも分からないんです。主席師範の座は与えられるものではなく、奪い取るものと考えたのかも知れません。私の才能は認めながらも、それでも自分の方が強いと思っていたのかも知れません。いま父は行方知れずですから、(あのときどう思ってたの?)なんて聞くことも、今となっては叶いません」


そして結局は、実の親子で、主席師範の座をかけて戦うこととなったと。武術家に生まれ落ちた人達の悲しい慟哭どうこくが聞こえてくるようです。


(一切の手加減はしない。一切の手加減は許さない)


「私達が向き合った時の父の言葉です。そしてそれが、私の記憶にある最後の親子の会話です」


私は言葉に詰まる。悲しい。悲し過ぎるじゃないか。だって実の親子だぞ。美波さんの鼓膜マッサージも、さっきからまるで再開される気配がない。


「大変な乱取りでした。たぶん父は本気でした。本気で向かってこられたのでは、こちらも本気にならざるを得ません。そして父は強かった。私の想像以上に。少しでも気を抜けば、その瞬間に倒される。そんな乱取りでした」


私にも、その戦いがさぞかし激しく、厳しいものであったことは想像できます。

そしてその戦いで、美波さんは鼓膜を怪我されたのですね。あっ、でも結果的には美波さんが主席師範になった訳ですから、勝ったのは美波さんってことなのでしょうか。鼓膜を破られながらも。


「そうです。いまあの頃の芝山順一と芝山美波の力量を、客観的に比較すると、打撃、投げ技、極め技、トータルバランスで勝っている私。極め技の勝負になった時のみに勝機のある父という感じになるでしょうか」


う~~ん、打撃と投げ技は分かる様な気がしますが、極め技ってのがよく理解できません。

アーリアさんの腕を捻じり上げた、あんな感じの技のことでしょうか?


「まあ、そんなところです。そんなだから、父が出した上段蹴りは、全く不意を突かれた感じで、私はその技を喰らってしまいました。その一蹴りで、私は鼓膜を損傷しました」


ジョウダンゲリ?またもやよく分らない技の名前が出てきましたが、いずれにせよ美波さんは鼓膜を損傷された訳ですね。それにしても激し過ぎます。悲し過ぎます。お父さんの技によって、娘が怪我を負うなんて。


「父の上段蹴りなんて、普段の練習でも見たことなかったですからね。もしかしたら、対私用に準備していた秘密兵器だったのかも知れません」


もうダメ。嫌すぎます。実の娘を倒すため、父が密かに技を磨くなんて。そしてその技で娘が傷つくなんて。


「一瞬意識が遠のきましたが、それでも私は立っていた。いったん距離を取ろうとしましたが、足元が覚束おぼつかない。父の姿が歪んで見える。左耳の中で台風のような音がする。(ああ、鼓膜が破られると、こうなっちゃうんだ~)なんて、意外と冷静に考えていました。父が前に出てきました。チャンスだと思ったことでしょうね。そしてまた上段蹴りを出してきました。こっちは足元がふらふらしているので、後ろにも横にも逃げられない」


後ろにも横にも逃げられない。相手が歪んで見える。迫りくる実の父。絶体絶命のピンチじゃないですか。どうやってその危機を回避したのでしょう。


「実はその後のことを、私はよく覚えていないんです。覚えているのは、もう一度強い衝撃を頭部に受けたこと。その直後、何故か私の目の前に、父の腕があったこと。無我夢中でその腕にしがみ付いたこと。その最中も左耳の中で、大きな雑音がしていたこと」


無我夢中のときの記憶ってそんなかも知れません。私には経験がないけど。


「景色がぐるぐるする感じで、台風の中にいるような雑音が酷くて、天地の方向が分からない状態でした。そんな状態で私は両膝を床に付いていました」


それって、ダウンってことですか?芝山美波のダウンシーン、まるで想像ができません。


「私は床に両膝を付いていました。父の左腕を抱え込んで。その時、私は同時に聞きました。父の左腕の靭帯が引き千切れる音を。たぶん耳で聞いたのではありません。その時、私の耳は機能してませんでしたから。父の靭帯が切れる音を、その腕を抱えている自分の腕を介して、聞いたと言うより感じたんだと思います」


え~と、状況が上手く絵になりません。美波さんが両膝を付いた。その前に、無我夢中でお父様の腕にしがみ付いた。気が付くと、お父様の靭帯を引き千切っていた。えっ、何ですか、それ?


「今も忘れ得ない人生最悪の音であり、感触でした。それが芝山順一と芝山美波の、主席師範の座をかけた乱取りの結末です」


実の父と娘が戦い、娘は鼓膜が破れ、その娘の技によって、父の腕の靭帯が切れる。

そんな残酷な絵図が、人の生涯に存在していいのでしょうか。話を聴いているだけで切なくなります。


「それが芝山美波であり、それが柔気道ということです。テレビに出たり、人にチヤホヤされるような人間じゃない。私なんて」


そのとき、私が一番心配したのは、まるで涙の似合わない美波さんが泣き出してしまうことだった。それ程に美波さんの顔は、悲しそうだった。


(チチッ、チチッ、チチッ)


赤く四角い置時計が、このときアラームを発した。



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