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EARDRUM-MASSAGE(4)

耳かきの話です。ちょっとだけ。


カリカリ、ボソボソと、乾いた音が鼓膜に届く。口元がだらしなく緩み、よだれが零れてしまう心地よさだ。どうにかならないかしら。この締まりのない口元。

何かしゃべっておかないと眠りに落ちそうなので、私は美波さんに努めて話かけるようにした。うつ伏せ状態のマッサージより、こっちの方が格段に話しやすい。


お母上の京子様は、柔心会の会長で、この店のオーナーでもあると伺いましたが、それではお父上の順一様は、いまどちらで何をされているのでしょうか?ただの個人的興味の範疇です。

おや、ここで美波さんの言葉が、やや詰まった。匙の動きも、一瞬だけ止まった気がした。あまりご都合の芳しくないお話なら、お答え頂かなくても構いませんが。


「さぁ、どこで、何をしているのでしょうねぇ~あの人は」


あらら、あまり触れない方がいい話題だったようです。失礼しました。少し黙ります。



カリカリカリ、ボソボソボソと、美波さんの操るシリコン製の匙が、私の耳の入り口付近を優しく刺激し続けている。もう10分は時間が経っただろうか。と、いつもより口数の少なかった美波さんが、唐突に話し始めた。


「5才のときに柔気道を始めました。まあ道場がそのまま自宅でしたから」


なるほど。では柔気道のキャリアはおよそ30年ってことになりますね。お強いはずです。


「まあ30年も稽古を積めば、誰だって強くなれます。あるレベルまでは」


30年稽古するって凄い事だと思います。だって私なんて生まれてまだ30年経ってないもの。ギリギリだけど。(あるレベルまでは)というところに何だか含みを感じますね。あるレベルとは、具体的にどのレベルなのでしょう?


はばかりながら言うと、誰でも稽古を積めば、芝山美波のレベルまで強くなれる訳ではないという事です」


なるほど。強烈なセリフです。でも、今ではその強烈なセリフが、まるで違和感なく腑に落ちます。つまり芝山美波は、正に武術の神に選ばれた人間ってことなのですね。


「菊元さんのいう武術の神なるものが、仮に存在するとするなら、そいつはとても理不尽な野郎ですよね。どうして私を選び、あの人を選ばなかったのでしょうかねぇ」


あの人とはどなたの事を指しているのでしょうか?それに、美波さん、どうして今そんなに寂しそうな顔をされているのでしょか。


「芝山順一ですよ。旧姓は小山順一こやま・じゅんいち。まさに此処ここ、整体シバヤマの前身である芝山整体院の整体師だった人です。ここで母と出会い、芝山家の養子となった。それが今から38年前のことです」


いろいろ納得できます。美波さんの整体師としての技術は、お父様譲りだったんですね。

あれっ?それじゃあ、先の(どこで何をしているんでしょうね)ってのは一体どういう事なのでしょう?


「あの人はここで芝山京子と出会い、同時に柔気道とも出会った。出会ってしまった。柔気道に取りつかれてしまったのか、芝山家に入ったからには、強くあらねばいけないとでも考えたのか。そのとき父が何を思い、何を目指したかは分かりません。今ではそれを詮索する意味もありません」


あの~~これ以上、私なんかが深入りしていい話なのでしょうか?何だか空気が重たくなってます。それに先程から美波さん、手が止まっちゃってますよ。


「柔気道は楽しかった。(美波は天才だ~)なんて周りからおだてられたりして。まあ本当に私は天才だった訳ですが、その事が分かったのは、かなり先の話です。11才で黒帯を絞め、高校に上がる頃には、本部の師範代になっていました」


はい、溝田紀子さんとの対談で、その頃のお話は聞きました。


(戦うのが怖いと思ったのは、後にも先にも芝山美波だけ)


オリンピックメダリストの言葉が鮮烈に頭に残っています。


「キコちゃん、そんなこと言ってたっけ。それを言うなら、私が立ち会って怖いと思ったのは、後にも先にも芝山順一だけってことになります。私の鼓膜を破ったのは、その芝山順一です」


そう言った美波さんの顔が、とてもとても悲しそうに見えたことに、私の心がざわついた。



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