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美波さん、テレビに出る(10)

次回でテレビ編完結です。よう頑張った、ワタシ。


柔道ではない。芝山美波本人も、自分は柔道未経験だと言った。それでは、どこが柔道ではないのかと問われると、うまく言葉にできない。芝山美波が見せている体術は、溝田にとってそういう類のものだった。


何となく重心の位置が違う気がする。足運びが違うように思える。どことなくである。

芝山美波の身に付けている体術が、柔道ではないと、一番明確に理解しているのは、向き合っているコーチだろう。あからさまな困惑が、その眼に浮いている。

何度かはコーチの左手が、芝山美波のえりの奥側を捕えた。吊り手である。いい位置だ。がっ、なぜかその都度、コーチは生命線となるはずの、その吊り手を自ら切った。

その間、芝山美波から、積極的に袖や襟を捕えに行く初動は、少なくとも溝田には確認できなかった。この段に至っても、まだコーチが小兵で非力な相手に遠慮しているものと、溝田は考えていた。それが常識的な考え方だった。


「コーチ様は、組み合うのがお嫌いかしら。それとも女性が苦手とか。それなりに二枚目ですよ。もう少し自信を持ってよろしいのでは?私のタイプではないですけれど」


体重も年齢も、自分の倍もある相手を、どこか小馬鹿にするような芝山美波のセリフと口調。

一気にコーチの顔色に朱が差す。年齢は30代。体重は3桁に届いているだろう。数年前までは実業団で活躍した柔道選手。段位は噂ではあるが4段。そんな大男の眼の色が変わった。小柄な女子生徒を相手に、本気になる。

あってはあらない現実が、目の前にある。目の前で起こる。

このとき、溝田の体は、恐怖で硬直したと言う。


コーチの左腕が、矢のように芝山美波の奥襟に伸びた。これまでとは比較にならない速さと力強さ。同時に芝山美波の体が沈む。飛んできた左腕のそでを捕えながら。


(肩車、でも無茶だ)


それが溝田の率直な感想だった。肩車とは、自分より上背のある相手に有効な担ぎ技ではある。それでも体格差があり過ぎる。こうも見事にと思えるタイミングではあったが、やはり溝田の予想通り、肩車の流れが止まる。一度技の流れが止まってしまえば、また流れを作りだすための力が必要になる。その力が、50キロにも体重が満たない芝山美波にはない。がっ。


「よっこらしょ」


大きな米袋を肩に乗せるように、芝山美波がコーチの巨体を担ぎ上げた。そして無造作に後方に放る。畳に落ちたコーチが、苦しそうに呻き、そして身を捩っている。自分の股間を押さえて。えっ、股間?


「立会の最中に、男の子最大の急所を無防備に晒すのは、あまり感心できませんね。スポーツならともかく、そういう戦いでないことをご理解頂くために、多少失礼な物言いをしたつもりでしたが、コーチ様には伝わりませんでしたかしら」


溝田はこの数舜に起こった攻防を、頭の中で順を追って整理する。

まず左組みが型のコーチが、左手で芝山美波の奥襟を取りにいった。吊り手を確保するためである。

このとき、芝山美波は右構えだったか、左構えだったか、それが思い出せない。いや、思い出せない訳はない。相手と向かい合った時、まず初めに意識するのがそこなのだ。つまり、芝山美波はこのとき、右でも左でもない構えだったのだ。そこが直感的に柔道ではないと、溝田は思ったのだ。

コーチの左手を空で捕えた。袖だ。そして体が沈みこんだ。ここまでは典型的な肩車の動き。

体格に勝る、というより体格が違い過ぎるコーチが、上から覆いかぶさって肩車を潰した。はずだった。ここで二人の動きが止まる。そしてまるで動く意思を放棄したようなコーチの巨体を、芝山美波はゆっくり持ち上げ、そして畳に落としたのだ。

相当な足腰の強さがないとできない行為だ。

いや、そんなことより、倒れたコーチは、何故か股間を押さえていた。この瞬間に、コーチの股間を攻撃する手段があるとすれば、あっ、袖を取りにいった方とは逆の手。その手でコーチの股間を打ったのか。


「さっきも言ったけど、自分より弱い人間に指導してもらうつもりはないし、若い子の未来を奪うような指導を、私は指導とは認めない。この度は、縁がありませんでしたね。それじゃあ、失礼します」


ゆっくりと、特に感情の起伏も見せず、芝山美波が更衣室の方向に歩いていく。

誰もその後ろ姿を追うことはしない。

芝山美波が道場を出て行った後の道場内を、圧倒的な静寂が支配していた。



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