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美波さん、テレビに出る(9)

テレビ編、そろそろ終わります。マッサージ小説に戻したい。


着古された白い道着は、そでえりも、かなりほつれていた。

古い道着と、1年生部員から借りた真新しい白帯との色彩の対比が際立っている。


道着姿の芝山美波が、こちらも道着姿の特別コーチと向き合っている。そこは道場のど真ん中。100kgは体重があるだろうコーチと、50kgにも満たないはずの芝山美波。

体験入部を希望した芝山美波が、コーチに乱取り形式の指導を受けるというシチュエーションではある。しかし、その実はまるで本質の違う乱取り稽古だということを、溝田だけが知っている。


芝山美波が道場に現れた時、コーチは実に嬉しそうな顔をした。新規入部希望の生徒だとでも思ったのだろう。もちろんこの段階で、1年生部員の数名が、退部を希望していることを、彼は知らない。その1年生部員3人もいま、道場の隅っこで、成り行きを見守っている。


満面の笑みだったコーチの顔を、固く凍り付いたものにしたのは、芝山美波のそのセリフである。


(自分よりも弱い人間に指導を受けるつもりはないんで、まずは乱取りからお願いできますかしら)


一瞬にして場が凍ったのではない。コーチを含め、全てのものが、この芝山美波の言葉を咀嚼そしゃくするのに、いくらかの時間を要したのだ。

その場で一番早く、その意味を理解したのは、たぶん溝田だっただろう。芝山美波が柔心会という町道場の師範代を務める実力者であることを、溝田だけが知っていたからだ。

逆に、その言葉の意味を、最も理解しにくい立場にいたのが、コーチであったろう。

初めに作った笑みが、残骸となって、その大きな顔に張り付いたままだ。


「それは・・・どういう意味かな?」


芝山美波の言葉に怒った訳ではない。単純に、意味が分からないからそう問うたのだ。


「そのままの意味ですよ。本気の乱取りお願いできますかしら。一切の遠慮は不要です」


芝山美波の言葉には、尖った印象がまるでしなかった。逆にそのことが、溝田にはとても怖く感じたという。

コーチはそれでも動かない。動けない。遠慮は不要と言われても、体重が50キロにも満たない女子生徒を相手に、どの程度の加減で臨めばいいのか、まるで見当が付いていないのだ。その時、すぅ~と、まるで予備動作を感じさせず芝山美波が踏み出した。

反射的にコーチが芝山美波の襟を取る。

次の瞬間、(つぅ)と表情を歪めたコーチが、襟を掴んでいたはずの右手を放す。そして後方に数歩下がり距離を空けた。芝山美波の顔色にはまるで変化がない。


「いま、手首を極めようとした?柔道では反則だけど」


「あら、そうでした?柔道は未経験なもので、それは失礼しました」


まるで申し訳なさそうな顔もせず、芝山美波が飄々(ひょうひょう)と言い放った。

コーチの言葉によると、手首を極めようとしたということになる芝山美波の動きを、溝田は全く認識できなかった。


「合気道か何かかな。いずれにせよ、真面目に柔道の指導をあおごうって感じじゃなさそうだね。だとしたら、こっちも遠慮はできないよ。ひと昔前なら、道場破りだからね。大怪我をしても、極端な話、もし死んでしまっても、文句は言えない」


コーチの顔が紅潮している。これまでも練習中に声を荒げることは珍しくなかったコーチである。でも、それとはまるで違う感情の高ぶりを、その顔に露わにしている。


「だから、それが望みですから。何なら一筆書きますよ。この乱取りで、如何なる怪我をしても、もし命を落としても、文句は一切言いませんって?」


(芝山美波は柔道の選手ではないのか?それじゃあ一体、芝山美波とは何者なんだ?)


この時の溝田の思考は、その疑問一色だったらしい。


「一筆は要らないよ。ここにいる生徒全員が証人になるだろう」


この段になって、ここに居合わせた部員全員が、いま目の前で起こっている事態の本質を、やっと理解するに及んだのだ。


「では、改めまして、全日本柔気道連盟柔心会本部師範代、芝山美波。参ります」


言い終えるを待たず、一気に間合いを詰めた芝山美波の姿は、まるで白く冷たい風のようだったと、溝田は回想した。



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