美波さん、テレビに出る(7)
小出しに書いてます。
溝田の言葉は淀むことなく続く。
あの頃を懐かすむ気持ちがそうさせるのだろうか。とてもとても、その顔は嬉しそうで楽しそうだ。
あの日、初めて柔心会の本部道場に出向いてからと言うもの、学校の部活動はそこそこに、ほとんど毎日のように柔心会の道場に顔を出した。充実した日々だったらしい。
二週間が経ち、そして一カ月の時が流れても、あの日のトリモトなる人物の言葉通り、ここの門下生でもない溝口の出稽古を非難する者はなく、もちろんのこと月謝などの催促もなかった。
思う存分に身に付けた技を試すことが、これほどに楽しいことだとは、溝田自身も思っていなかった。日毎に自分の実力が増していくのが実感できた。
(芝山美波はもしかしたら、ここの道場の師範代なのかも知れない)
あの時ふと頭を過ったそんな疑問も、この上なく充実した日々の中に、いつしか埋もれ始めていた。そして心に誓った単純にして明確な目標。
(柔道で日本一を目指す)
溝田が初めてオリンピックを意識した瞬間だったという。
溝田が柔心会本部道場に顔を出すようになって凡そ半年が経過した頃、ここで柔道の練習に励んでいるはずの芝山美波に、一度もこの場で会った事がないことを、遅まきながら溝田は疑問に思う。
この頃には、最初に乱取りの相手をしてくれたトリモト以外に、数名の練習相手が溝田には見つかっていた。実力的にはトリモトが一番劣る。その他のものは、皆、溝田を遥かに上回る実力者だった。何度も投げられ、そして抑え込まれた。
当初はトリモト相手でさえ、投げられたことを悔しいと思う事のなかった溝田であるが、この頃には相手がどんな実力者であっても、技に掛かってしまった時には、その度に悔しさがこみ上げてくるようになった。
(自分の中で向上心が芽生えた証拠)
その心境の変化を、溝田はそう表現した。
ある日のこと、溝田は綺麗な担ぎ技で投げられた。畳に落ちた後、思わず(チクショウ)と声を漏らしてしまったのだ。相手は自分よりも遥かに実力のある男性の有段者だった。
ふと我に返った溝田は、その無礼を丁重に詫びた。そんな溝田に対しての男性の言葉は、実に紳士的で温かいものだった。
「悔しいと思う気持ちがあればこそ、さらに強くなれるんですよ」
その男性の紳士的な対応に、ますます自らの犯した無礼を恥じた溝田であったが、それを詫びる間もなく聴いた男性の次の言葉は、溝田にとっても衝撃的なものだった。
「2年前に入門した頃、初めて師範代と組みましてね。こっちは中学、高校、大学と柔道部だった。段位は3段。そんな僕が、師範代と組んだら最後、1分と立っていられない。相手は当時まだ中学生の、それも女の子ですよ。あれは本当に悔しかった。同時にとても感動した」
もう間違いなかった。芝山美波はここの道場の師範代であり、まだ中学生の頃から、いま自分がまるで歯の立たないこの男性を手玉に取るほどの実力の持ち主だったのだ。
「師範代は週末に、少年部の指導をされてます。もし気が向いたら、一度週末にここに顔を出してみたらいかがでしょう。感動しますよ。あの師範代の強さは」
溝田にとっての芝山美波が、ただの一クラスメートではなくなった瞬間だった。




