美波さん、テレビに出る(6)
最近投稿する毎にブクマが減っている。飽きられたでしょうか。でも、本人が楽しければいいのです。
広い道場の隅で、溝田紀子と美波さんが向き合って座っている。
美波さんは胡坐。溝田紀子は横に両足を流して座っている。
テレビカメラが2台。それぞれ溝田紀子と美波さんを、斜め正面から映している。
私と牧野さんは、美波さんのやや後方の位置。牧野さんが正座なので、私もそれに倣ったのだが、(楽にしていいよ)という美波さんの一言で、私は横に足を崩した。一方で、牧野さんは、いまも正座のままだ。とても彼女が緊張しているのが判る。かく言う私も、緊張の極致って顔を、きっとしているのだろう。だってテレビカメラが目の前にあるんだもの。
一方で、やっぱり超一流の二人はさすがだ。とても自然な笑顔だ。溝田紀子は分かるとして、美波さんのこの自然体って、どういうことなのだろう。
いや、それもそうかと腑に落ちる。(平常心を保つ訓練)だったはずの、あの真剣の切っ先を見つめる訓練もそうだったが、いつ如何なるときも、この美しい柔心会主席師範は平常心を保つ術を身に付けているのだろう。
カメラが回り始めてから20分ほどの時間が経過している。
お互いの近状の報告は、ものの5分だった。
私にとっても興味深々な、2人の高校生時代の思い出話を要約すると、次のような話になる。その昔話の大部分を語ったのは溝田紀子の方だ。
中学に上がってから柔道を始めた溝田紀子は、天性のセンスに恵まれていたのだろう。上級生の男子生徒を投げ飛ばすほどの実力を付けるのに、さほどの時間も必要なかったらしい。
決して柔道の強豪校であった訳ではないが、2年生で出場した中学総体では全国大会に進出。3年生の時には全国ベスト4まで勝ち上がった。
高校進学時には、当然の如く、全国の柔道強豪校からの誘いがあったのだが、結局は地元の公立高校に溝田は進学した。病弱だった母を気遣っての、彼女自身の選択であったらしい。ちなみにこの溝田の母は、溝田が銀メダルを獲得することとなるオリンピックの前年に他界しており、溝田の言葉によると、(自分がオリンピックの畳に立つ姿を、母に見せることができなかったのが、柔道選手としての唯一の心残り)なのだそうだ。
こうして進学した高校の柔道部は、決して強豪校ではなかった。溝田の練習相手になるような選手の存在は、当然期待するべくもない。
他の生徒が帰宅してからも、柱に結び付けたゴムチューブを相手に、一人打ち込みに励む溝田に声を掛けたのが、当時高校1年生であった芝山美波だったというのだ。
この頃、溝田にとっての芝山美波は、特に印象のあるクラスメートではなかったらしい。同じクラスになってから、言葉を交わしたのは数える程度。それでも敢えて印象を語るなら、(物静かで勉強のできる生徒)ということになるというのが溝田談。その(勉強ができる)という印象も、芝山美波の成績が、クラスで上から何番目だったという具体的な成績ではなく、(授業中、先生に突然の問いを受けた時でも、芝山美波のその答えが淀んだことが、一度もない)という、そんなところから来る印象だったと言う。
(うちに来れば、練習相手が沢山いると思うよ。柔道経験者も多いし)
そんな芝山美波の言葉の意味が、その時、溝田にはまるで理解できなかったそうだ。
芝山美波の言う(うち)とはどこの場所を指しているのか。(沢山いる)とはどう意味なのか。兄弟で柔道をしている人間がいると言うなら、その言葉も分かる。でもそれなら(沢山)という表現にはならないはずだ。何より、(柔道経験者が)ではなく、(柔道経験者も)という言い方。芝山美波の言う(うち)という場所には、一体(柔道も)経験のある何者達が存在するというのか。
疑問と興味を抱きながら、そして訪れたのが、いま私たちの居るこの柔心会本部道場だったということらしい。
ここでまず溝田が圧倒されたのが、その人数。確か平日の夕方だったはずというその時間には、30人以上の者が激しい乱取り稽古をしていたそうだ。その迫力と活気は、自身が数時間前まで練習していた高校の柔道部とは、それこそ天と地ほどの開きがあった。
言葉を失っている溝田にはまるで頓着せず、少し道場内を見渡して、芝山美波がある男性に声を掛けた。
(トリモトさん、ちょっと)
トリモトだったか、もしかしたらトリヤマだったかも知れない。そこは溝田の記憶だ。
いずれにせよ芝山美波が、激しい乱取りをしている最中の一人の男性に声を掛けたのだ。
すぐに男性がこちらに駆け寄ってくる。溝田の記憶では20代前半の男性。腰の帯は黒帯。男性としては小柄な体格。
(彼女、溝田紀子さん。私の友達。ちょっと柔道の練習に付き合ってあげて)
(はい)
このとき、溝田は奇妙な違和感を抱く。
男性の年齢は二十歳過ぎ。対して、同級生である芝山美波は15歳か16歳。それなのに年上であるはずの男性の言動に、芝山美波に対しての敬意が見て取れる。一体、これはどういうことなのだろうと考え始めた時、(更衣室はあっちだから)という芝山美波の催促に、溝田は一旦その疑問に蓋を被せることになったのだ。
トリモトかトリヤマという男性との乱取りは、とにかく充実した時間であった。柔道部の連中相手には、腫れ物に触れるがごとく遠慮しなければならない自身の技を、思う存分使うことができた。およそ5分の乱取りの間に、一度だけ、柔道の試合であったなら(有効)となるであろう投げ技で、男性を床に転がした。そして溝田自身も2回畳に背を付けられている。こちらの方は、明らかに(技あり)以上のポイントだっただろう。すなわち、この乱取りが実際の試合であったなら、溝田はこの男性に(合わせ一本)で負けていることになる。しかし、それは、小柄とは言え男性相手であり、自分とは体重差もある。致し方ない結果だと思ったし、まるで悔しいという感情はなかった。そんなことよりも、全力で乱取りできる練習相手が見つかったことに、このとき溝田は腹の底から喜んでいた。
(ありがとうございました)と、深く頭を下げた溝田に、この男性は声を掛けた。
(またいつでも遊びに来てください)と。喜びこの上ない言葉である。がっ、しかし・・・
(とても嬉しいんですが、また練習に来ていいんでしょうか?)
溝田の素直な疑問であったという。いくつか今日疑問に思った事について、この時点である程度は溝田の中では整理がついていた。すなわち、クラスメートである芝山美波は、学校の柔道部には所属していないものの、柔道に取り組んでいて、ここは芝山美波の通っている町道場なのだろうと。であれば、同然練習生は月謝を支払っているはず。それならば、次にここに来る時には、当然お金が必要であり、厳密に言えば、今日そうして練習をさせて貰ったことについても、本当ならお金が必要であったはずなのだ。
「師範代のお友達でしょ。誰もここで文句を言う人はいませんよ」
トリモトなる男性の言う師範代が、もしかして芝山美波のことなのではないか。そんな思考に至ったのは、溝田が濃い疲労を覚えながら帰宅して、しばらく経ってからのことだったと言う。




