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美波さん、テレビに出る(5)

3連休初日。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。柳はちょっとだけ仕事です。


社交ダンスを踊る初心者ペアよろしく、牧野さんと私は、お互いの襟と袖を掴み合って、ぎこちないステップを踏んでいる。


「菊元さん、技を仕掛けてもらっていいですよ」


技なんて、そんなもの知るものか!でも受け身なら30分体験した。柔心会主席師範直々に何十回と投げられたのだ。その後2日と半日に及んだ筋肉痛も、今ではすっかり癒えた。受け身にはちょっとだけ自信がある。


「あっ、牧野さん、どうぞ投げて下さい。私は受け身をしますから」


「そうですか?では・・・」


牧野さんの腰が私のお腹の下に潜り、ごろんと彼女の背の上で私の体が回る。


(バンッ!)


私の受け身が見事に決まった。受け身が決まるって、何だかおかしな言い方だけど。

どっこいしょって感じで立ち上がる私。ちょっとだけ体が軽い。実は美波さんの指導を2時間受けたあと、自宅の体重計に乗ると、何とたった2時間体を動かしただけなのに、実に2.2キロも体重が落ちていたのだ。その後は意識したこともあってか、いまも50キロ台を楽々キープしている。


「じゃあ、次は菊元さんの番で」


「いえいえ、私は受け身専門なので・・・」


受け身専門って何だ?自分でも訳わからん。

そろそろ登場してくれないかしら。元銀メダリスト。間が持たないのですけれど。

ところでもう一人の主役である美波さんは?あっ、道場の隅っこで退屈そうに皆の稽古を見ている。さっぱりとしたスッピン顔で。

美波さん、ダメですよ。ここは、厳しくも温かい視線・・・です。


先般、牧野さんと私が、デブ偉そうおじさんに聞いた今日の演出とはすなわちこうだ。

柔心会のメンバーが二人一組で稽古をしている。

その風景を主席師範である美波さんが、厳しくも温かい視線で見守っている。

とっ、道場の扉が空き、一人の女性が現れる。道場内に入ってはこない。

微笑を含んだ表情で、どこか懐かし気に練習風景を見ている。

たまたま入口付近で稽古をしていた牧野さんと私が、その女性の存在に最初に気付く。

最初に気付いたような演技をする。この演技が、私にとって最初の関門。だって役者じゃないし、ワタシ。


そうこうするうちに、生徒の何人かが、その女性の存在に気付いた頃、(あれ、柔道の溝田紀子じゃない?)って小さな声が、どこかで上がる。ここも誰さんの演技だ。かなりの演技力が要求される場面だ。私にはとても無理だ。

そしてついに我らが主席師範の登場。女性に歩み寄り、(何か御用ですか?)と声掛ける。

大丈夫かな、美波さん。てんでやる気なさそうだったし。


(お久しぶり、芝山美波さん)


(えっ、もしかして溝田紀子さん?)


って感じで、感動の再会になるって演出なのだけど、絶対(えっ、もしかして?)ってところで、美波さん棒読みになるよな、たぶん。


うごっ、背中を畳で強打した。受け身を取り損ねた。投げる時にはちゃんと事前に言ってよ。牧野さん。私、初心者以下なんですよ。んっ?


そのとき私は見た。入口に立つ黒いスーツパンツ姿の女性の姿。横に線を引いたような細い目。鮮やかな金髪のショートヘアー。何だ~?この異常な存在感は。

上背がある訳ではない。横に幅がある訳でもない。なんと言うか、そう華があるのだ。雰囲気があるのだ。超一流にしか纏えない何かを纏っているのだ。

こりゃあ、私達が最初に気付き、少しずつ他の人も・・・って演出自体に無理があるぞ。

だって、誰だって気付くもん。こんな雰囲気のある人が突然に入ってきたら。

ほら、その証拠に、皆の動きが止まってしまってるじゃない。柔心会の精鋭達をしてこれだ。こりゃ、もう下手な演技は不要だな。


微笑みを含んだ表情だ。どこか懐かし気な視線だ。この女性の佇まいは、まさにデブ偉いが要求した通りのものなのだが、演技って感じがまるでしない。オリンピックのメダリストにもなると、これ位の演技なんて朝飯前って程にテレビ慣れしているのか。そうではあるまい。

いま彼女の浮かべている笑みは、底から湧いてくる本当の笑みなのだ。

彼女の懐かし気な視線は、本当に遠い昔を懐かしんでいるのだ。


「キコちゃん、お久しぶり~」


ああっ、まるで台本と違う美波さんの涼やかで通る声。そしてここにもいた。超一流の何かを纏っている人間が。


「ミナミ、元気そうで何より」


超一流同士の2人の再会に、チープな演出なんて、全く不要だったのだ。

そんな演出がなくとも、極めて自然な感動の再会になったのだ。

超一流同士が、笑顔で握手した。


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