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美波さん、テレビに出る(4)

今回もよろしくお願いします。


広い。すごく広い。中学校の講堂も高校の体育館も、こんなには広くなかった。

縦横それぞれ30メートル、いやそれ以上だろう。


ここは、あの芝山美波率いる柔心会の本部道場。何とも威厳漂う古く大きい建物。

いまこの道場には、ざっと数えて40人くらいの生徒さんがいる。

美波さんが言った通り、ほとんどがおっさんとお兄さん。皆そろって体格がいい。

約半数が黒帯。それ以外の人にも、白帯をしている人は一人もいない。


いま私がここに居ること自体、何とも場違いな感じだ。しかも、今の私の姿なりは、美波さんのお古白道着に水色の帯。生涯着けることなんてないと思ってた武道家のナリなのだ。あっ、高校の体育の授業で1回だけ着たか、柔道着。それでも大昔の話だ。


他の生徒さんが、私を横目でちらちらと見ながら、(アンタ誰?)ってな顔をしている。

ご存じないのはごもっともです。だって初めてここに来たんですもの。

居心地がすこぶるよくない。とっ、その時、20代前半と思しき女性が、私に近寄ってきた。身長は私とそれほど変わらない。帯の色は紫色。ああ、一人だけ女性がいたのね。少しだけほっとする。


「こんにちは~~」


はいはい、こんにちは。初めまして、菊元と申します。


「菊元さん、初めてお会いしますかね。最近、私もあまり練習に顔を出せてないので。最近入門されたのでしょうか?」


いや、入門したと言うか何というか・・・美波さんに約半時間投げ飛ばされて・・・え~~と、それから、ひたすら大きな声で、(助けて~~~)って叫ばされて・・・あっ、あれ、怖かった~~。神棚に置かれていた木刀を美波さんが取り出して、シュッとさやを抜くと、背が冷えるような鈍い輝きを放つ銀色の金属。木刀だと思っていたかたなは、実は真剣だったのだ。

剣先が私の鼻先に向けられるや、おしっこちびりそうになる恐怖が背中を這いあがってきた。


「はい、怖いですよね。体が委縮しますよね。つまり、いま菊元さんの心と体は平常状態ではないということです」


そりゃ、平常心じゃないですよ。目の前に真剣の切っ先があるんですから。染み込んだ汗の匂いに、私のおしっこの匂いが塗り重ねられますよ。


「ゆっくり深呼吸してください。これは危機に直面したとき、平常心を保つための訓練です。先般、大きな声で叫んでもらったのは、周囲に助けを求めるための練習です。柔心会の技とは、すなわち護身術です。まずは危機に陥った時、平常心を保つこと、そして助けを求めること。そして逃げる事もかなわぬ時、初めて相手を制する技術の出番ということになります」


あとこんな練習もあった。シチュエーションとしては、歓楽街かどこかで、酔っ払いの男性に絡まれたという状況。

真正面に位置する男性に、(ごめんなさい)と言いつつ頭を下げ、次の瞬間、手のひらで力いっぱい、男性の股間を跳ね上げるという技。これは技術というより知識だ。知っていれば誰にでもできる。明日からでも役に立ちそう。この技の肝は、決して遠慮しない事なのだそうだ。美波師範様の言葉によると。


そんなこんなの美波師範様の指導は約2時間。そして私は師範様直々に、水色の帯とお古の道着を手渡されたのだ。



「ご挨拶遅れました。私、牧野と申します。入門して約1年で、いま5級です。この道場では一番下っ端ですね。まあ、本部道場ですから、ここは。みんな柔心会の精鋭ばかりです」


ますます場違いじゃないですか。入門2時間ですよ、私。でもなんと説明すればいいのだろう。言葉がまるで見当たらない。


「かなり着込まれた道着ですね。他所よその道場でご経験を積まれているとか・・・えっ?」


(えっ?)って何ですか?牧野さんの視線の先は・・・あっ、名前。道着の端っこに名前が刺繍されている。今まで気づかなかった。その名は・・・恐れ多くも“芝山”。


「失礼しました。菊元様と伺ったので、まさか宗家所縁そうけゆかりの方とは思いませんでした。ご無礼お許し下さい」


そ、そんな、(ソウケユカリ)って、一体どんな勘違いをされているのでしょう。単に私はですね・・・あっ、行っちゃった。一人にしないで。お願い!ホント、心細いんだから・・・

あっ、入口から人が。2人、3人、5人。そして、(たぶん)テレビカメラが2台。

ついに来やがった。テレビ局の方々。柔心会の精鋭達をしてでも、さすがに少し騒めく。

そして今度はため息交じりの小さな騒めき。

美波さんのお出ましだ。真っ白な道着に黒い帯。バッチリとメークが決まった美波さんのお顔の、これまたお綺麗なこと。


少し周囲を見渡す仕草をした美波さんと眼が合った。お約束通り、こんなナリでお邪魔してます。


「牧野さん、それから菊元さん。ちょっと来てください」


左手をひょいひょいとして、私達を呼ぶ美波さん。何でしょう、嫌な予感しかしませんが。


「ハイッ!」


張りつめた声で返事した私以外の唯一の女性である牧野さんが駆け出す。あれ、私も走らないといけないのかしら。


美波さんとテレビ局の方々の作っていた輪に、なぜか牧野さんと私も加わる。

とっ、少し恰幅のいい・・・否、はっきりと言えばデブの中年ハゲおじさんが口を開いた。

このテレビ局クルー達の中では、何となく一番偉そうだ。ただの女の勘だ。


「では今日の段取りを簡単に説明します。まず道場生の皆さんには、普段通りの練習をして頂きます。主席師範は、その皆の練習を、道場の片隅で厳しくも温かい視線で見守っている。そしてその時、道場の扉が開き・・・あの銀メダリスト溝田紀子が・・・って、主席師範聞いてます?」


ややデブ偉そうおじさんの説明の間も、ばっちりメークの決まった美波さんは、落ち着きなく辺りを見渡している。こんな感じの美波さんは、たいてい人の話なんざ、まるで聞いちゃいない。


「ところでジャ〇ーズの△△は、いつ来るのかな?」


そんな美波さんの一言に、テレビ局クルー一同が固まる。というか、呆れている。


「いや、今日は△△さんは、こちらにはみえませんが・・・」


デブ偉そうおじさんが言う。


「あっそ、じゃ、メーク落としてこよ。つらの皮が突っ張って仕方がない。牧野さん、菊元さん、そちらのオジサン達から、今日の段取り、代りにしっかり聞いといて下さいな」


そう言い残し、あっさりと美波さんは道場から出て行ってしまった。

さて、これから私たちは一体どうすれば???



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