おやっさん(4)
マッサージ小説っぽくなります。今回は・・・
「偶然だよ。渉が俺の横に座ったのはね。たまたま、芝山美波が最後に渉を投げ飛ばした場所が、俺の座っていた所のすぐ傍だっただけさ。俺が見ていただけでも、10回は投げ飛ばされていたからな。渉のやつ、ボロ雑巾みたく、フラフラのヨレヨレになっていた」
髪をぴっちりとポマードで固め、スーツを凛と召している姿しか見たことがない渉さんが、道場でボロ雑巾みたくなるって姿が、私には上手に想像できない。何より金髪ってどうなのさ。
「一目見て、気に入らない金髪のガキだったからね。俺も話し掛けようなんて、まるで考えちゃいなかった。向こうだって多分そうだったろうよ。それでも、人と人の視線ってのは、運よくというか悪くというか、不意に合ってしまうものさ。その時の俺と渉がそうだったね」
7年前、いや、6年前か。二十歳そこそこ、金髪ヨレヨレの渉さん。やっぱり想像できかねる。美波さんに投げ飛ばされる姿は想像できるけど。てか、何度か見たし。
「視線が合っちまうとね、何か話し掛けなきゃいけない気もしてね。なんて声かけたかなぁ。(ずいぶん派手に投げ飛ばされてたじゃねぇか)・・・たぶん、そんな感じの、まあ年寄りが若造に声かけるような、そんな不遜な言い方だったと思うよ。入門するかどうかも、その時には決めてなかったし、(てめえみたいな若造の後輩になるつもりはねぇ)、みたいな反発もあっただろうしな。それでそのとき、渉のやつ、何て言ったと思う?」
さぁ、渉さんはなんて言ったのだろう。
(見苦しいところをお見せしました)・・・とか?
「おっさんも投げられてみりゃいいや。綺麗な顔して、ありゃ化け物だよ。ここの師範様は・・・なんて言いやがった。何とも興味を煽られる返事じゃあねえか。それじゃあ一手、ご指南願おうか。本気でそんなことを考え始めた時、渉が芝山美波に大声で言ったのさ。10回も渉を投げ飛ばして、それでも涼しい顔してる芝山美波にね」
はぁ、何と?
「このおっさんが師範をぶちのめすって言ってますよ~~ってね」
そっ、それはなんとも不躾な・・・
「おう、不躾も不躾。まず、俺のことをおっさん呼ばわりするのが気に喰わない。そりゃあ、俺も渉に対して、多少失礼な言い方はしたわな。親子以上に年も離れてるしね。それでも(ぶちのめす)なんてこたぁ、一言も俺は言っちゃあいねぇ。ところがだ・・・」
ところが、どうなったのでしょう?
「ああ、それじゃ、ちょっとやりましょうか。道着もお召のようですし・・・それが、芝山美波のその時のセリフだよ。気負いも何もなく、涼しい顔で言った芝山美波の声と顔は、今も忘れられねぇ。そして、俺は乱取りをすることになったのさ。あの芝山美波とね。結果は言うまでもねぇな。さっき言った通りだよ。3秒も立っていられなかった。こっちが怪我しないよう、受け身の取り易い綺麗な技で、何度も投げられた」
はい、それでそのまま入門ということになったと、そう言うことでしょうか。
「さて、どうだったかなぁ。(柔道のご経験がおありですね。技が錆びついちゃってますよ。体のバランスも、あまり良いとは言えません。しばらく気楽に、この道場に通ってみてはいかがでしょう?)、そんなことを言われたっけなぁ。まあ、いずれにせよ、柔心会に通うことになったのさ。もちろん仕事もあるしね。若い子達のように、週に何回もって訳にもいかなかったがね」
分る様な気がします。美波さんって、そんなところがあるんですよね。初対面なのに、一瞬にして惚れてしまうというか、ファンになってしまうような魅力が。
「入門5年目で初段を取った。免除と黒帯を直接芝山美波が手渡してくれたんだ。涙が出てね。女房を亡くして以来だったよ。涙を流したのは・・・(若い人には時間がある。毎日でも練習できる体力もある。失礼ながら決して若くないこの吉野さんは、忙しい仕事の合間に、こつこつと鍛錬を積上げて、技を磨き、そして段位を取得された。こんな門下生がいることを、私は誇りに思います)、そんな言葉をかけてくれたんだ。道場生みんなの前でね。今でも赤面ものだよ。いい年こいたおっさんが、人前で涙だからね」
そんな話をする男性の顔は、照れくさそうで、どこか少し嬉しそうだった。なんだか血色がよくなったようにも感じる。
「いや、話が飛んでしまった。それよりずっと前。俺が入門して2年くらい経った頃だ。いよいよ仕事が忙しくなってね。俺も含めて3人で会社を回してたんだが、どうにも限界が来ちまった。どこかに若くて元気のある職人見習いがいないかなぁ、てな、よもやま話を、芝山美波にしたんだったと思うよ」
(渉なんてどう?)
芝山美波が、そのとき言いやがった。
「げっ!とは思ったが、言われてみりゃあ、外見こそチャラいが、ああ見えてなかなか肝が太い。根性がある。そりゃそうだ。あれだけ投げ飛ばされて、それでも向かって行くんだからな。大した体力と忍耐力だとは思ってた。それでつい口から、(本人が希望するなら)なんて言葉が飛び出しちまってね」
不思議な人の縁ですよね。何だか美波さんの周囲には、そんな不思議な人の繋がりが自ずとできてしまうような、何かがあるような気がします。
「それから一週間も経たねぇ間に、渉がうちに来やがった。金髪を真っ黒に染め直してね。(ご指導よろしくお願いします)なんて頭を下げやがってね。あれから4年。なんだか悔しいが、芝山美波の目利きは、正しかったってことだよ。そりゃそうと・・・菊元さん、アンタ、渉といい関係なんだろ?」
ちょっ、いい関係って、そんな。渉さんがそう思ってくれてるんなら、そりゃ嬉しいけど。
自分でもよく分ってないし。私と渉さんの関係って。別に正式な交際の申し入れをされた訳でもないし。期待してるところは確かにあるけど。やっぱり・・・え~~と。
かなり慌てている私の返事を待つことなく、男性が続けた。
「それなりに濃い付き合いだからな。渉と俺は。渉のアンタをみる眼をみれば、分かるよ。何より、今日俺のところに連れてきた。もう先が長くはない俺のところにね。それが何よりの証拠だよ」
完全に返す言葉とタイミングを失ってしまった私。胸がドキドキしている。
「菊元さん・・・だったっけ。ちょっと申し訳ないんだが、俺を座らせてくれないかね。ずっと寝転がってるってのも、けっこう体にストレスでね。背中や腰が痛くなってくるんだよ。
「あ、はい」
私は男性に近寄り、背中に腕を差し込み、男性の上半身をゆっくりと起こす。
「昔は仕事を引退したら、一日中寝転がって過ごすんだなんて思ってたが、寝続けることが実は苦痛なんだって、こんな体になって初めて知ったよ。背中や腰の筋肉なんて、もうバキバキさ。一度、看護師さんに按摩屋さんを呼んでくれってお願いしたんだが、抗がん剤で骨が脆くなってるからダメだって言われたよ。どうせ先も長くないんだから、そこまで杓子定規でなくてもいいと思うがね。まったく融通の利かねぇ所だ。病院なんて」
そんな男性の愚痴を聞き、この時、私の頭に浮かんだのは、あの美波さんの、足の指一本を介しての整体術。背中から首から、全身の筋肉が解されていくあの天井知らずのマッサージの技術。
そのとき、病室の扉が、(ギィッ)と開いた。電話を終えて入ってきた渉さんと、視線が合った。思わず、私は視線を床に落としてしまっていた。
にこりと男性が微笑んだように思えた。




