乙女のピンチ(お見合い編4)
少しガールズラブ感出てきました。
毒々しい色調の青い薬を不安いっぱいのまま飲み込んだ後、再び仰向けに転がるよう促された。そして店長さんから一言。
「菊元さん、面の皮は厚いほうですか?」
はい?面の皮??一体何のご質問でしょう???困惑、困惑。
「ごめんなさい、聞き方を間違えました。お顔の肌は強いほうですか?」
面の皮とお顔の肌、違うようで確かに同じかも知れない。ニュアンスは決定的に違うけど。
お肌ですか?はっきり言って強いです。スキンローションなんかに頼らずとも、お肌のトラブルとはこれまで全く無縁でした。強い紫外線下に長時間いると、さすがにその日は少し赤くなったりしますが、翌日には黒く変色します。そしてすぐに元通りになります。
「はい、たぶん強い方だと思います。で、何ですか、その手にあるもの?」
笑顔の店長さんが両手に持っている異形の物体に関心が向いた。何と言うのだろう、カップタイプのアイスクリームを食べる用のスプーンみたいな・・・アイスが固いと、よくパキッっと折れる信頼できないやつ。大きさも形も、全くそんな感じ。それを両手に持って・・・それ、いったい何?
切れ長な目をさらに細めて店長さんが言う。
「毛穴掃除用の・・・えっと、ヘラかな?何にせよ、美波スペシャルの特注品です。素材はとっても柔らかいシリコンです」
「えっ、毛穴の掃除用ですか?」
「そうです、毛穴の掃除です。人間の体には約400万個の毛穴があるんです。そのうちの20万個がお顔にあります。全体の5%ですね。でもその毛穴の広さでいえば、お顔の毛穴が体全体の15%になります」
へぇ~って感じだ。29才にして、このたび雑学が一つ増えた。
「ご存じの通り、皮膚も呼吸しています。そこに汚れや皮脂が詰まっていたら、そりゃあ呼吸困難になりますよね。つまり酸欠状態になって顔が浮腫むんです。今、菊元さんの顔は酸欠状態です。生きながらにして、ほとんどドザエモンです」
ドザエモンって、この店長、ワードの選択にいちいち個性が光る。
その時、(すぅ~)と、さっきまで顔に乗っていた蒸しタオルで、顔の表面を拭われた。
「はい、見て下さい」
顔を拭った蒸しタオルの表面を見ると、刷毛で一振り掃いたような薄茶色い汚れが数筋走っていた。それが何であるのかは想像が付く。たぶんファンデーションの拭き残しだろう。
「こんなのがいっぱい毛穴に詰まってたら、そりゃ~お肌も酸欠になりますよ。じゃあ、お掃除始めましょうか」
両手に持った特注だというヘラを、嬉しそうに振る店長さん。お好み焼きをひっくり返したくてワクワクしている子供のような様相だ。どんな教育を受け、どんな環境下で育てば、女はこれほどまでに可愛く三十路に突入できるのだろうか。とっても気になる。
それはまあ、おいおい勉強するとして、それではお肌のお掃除、お願いします。
仰向けのまま目を閉じて、その意思表示した。どうぞ、店長さんの好きになさって下さい。
蒸しタオルの蒸気で、パカッと開いているであろう毛穴から、どんな汚れが取れるのだろうと考えると、少なからずおぞましい想像がよぎる。ちょっとタオルで拭っただけで、あの汚れなのだ。これは怖い。
(すぅ~)と最初の一さじ目が鼻の左側辺りをなぞった。方向は顔の下から上。少しずらした位置にもう一さじ。
そして鼻の右側。同じように(すぅ~、すぅ~)。そしてお鼻の天辺付近。
さすがは特注ソフトシリコン製。お肌に優しい刺激だし、痛みなんかはまるで感じない。
5~6回顔をなぞったあと、何かパリパリと張りのある紙のようなもので、ヘラを拭う動きが感じ取れた。微かに聞こえる音からの想像だ。今、私は目を閉じているのだから。
ヘラで撫でられた箇所が、ホクホクと温かくなった気がするし、同時にすうすうと毛穴から空気が入ってくるような感覚もある。
鼻回りを重点的に、ほうれい線の辺りも丁寧に、それ以外の箇所は万遍なく、そんな感じで、ヘラが一通り私の顔を走り回った。その間に、店長さんが紙か何かでヘラを拭う事5回ほど。最初の一ヘラ目からは、時間にして10分くらい経過しているだろうか。
「はい、見て下さ~い」
目を開け、状態を起こし、店長さんの掌に乗っていた白い紙を見る。質感から予想するに、それはきっと和紙だろう。
(うわ~!)
私の想像を遥かに超えて、それはおぞましいものだった。
小さな和紙の上にべっとりと塗りたくられているのは、全体としては薄目の黄色、所々は薄茶色、黒っぽい点々も存在する。どう表現すればいいのだろう、古い腐ったマーガリンをスプーン一杯分、紙に擦り付けた後のような。うぇっ、少し気持ち悪くなってきた。
色調の悪さもさることながら、驚くのはその量だ。人間の顔の毛穴に、これだけの量の異物が詰まっていたなんて。てっ、何を他人事のように考えている。紛れもなく自分の顔から出てきた異物なのだ。
その時、店長さんはその紙に顔を近づけて、クンクンと匂いを嗅ぐ動作をした。
うゎ、お願い、やめて。それは恥ずかしい。
「けっこう匂うんですよ、この毛穴の汚れって。なにせ外からはゴミ、中からは体の老廃物。そんなのが混じって、さらにそれが酸化して・・・」
だからもうやめて。死んだ。女として。トドメを刺された。
蒸しタオルの綺麗なところを使って、すでに女として死んでしまった私の顔を丁寧に拭いてくれた。お漏らしをしてしまった子供が、優しくお母さんに汚れたお尻を温かいタオルで拭って貰っている。そんな感じだ。あの頃は本当にお世話になりました。不束な娘に育ってしまいまして、申し訳ありません。お母さん。10時間後にお会いしましょう。
「さて、お腹の調子はどんな具合でしょう?お薬飲んでから15分くらいは経ちました。そろそろ効き始めるかなって時間なんですけど」
ああ、お腹の具合ですか?いや、特段兆候は自覚できておりません、今のところ。
「おや、そうですか。反応の鈍い胃腸をお持ちのようですね、菊元さんは」
悪気はないのだろうが、それでも(鈍い)ってワードが、すでにボロボロになっている私のハートに突き刺さる。はい、昔からよく友達にも言われます。(加奈は鈍い)って。
おっしゃる通り、面の皮が厚くて鈍感な女でございます。29年物でございます。何から何まで申し訳ありません。もう女として生きていく自信がありません。今晩のお見合いですが、私にそんな資格があるのでしょうか?お相手さんに失礼では・・・なんて思ってしまっています、今。
「それじゃあ、少し腸の運動をしましょうか。ちょっと立ち上がって貰えますか」
はいはい、一切の異議申し立てはありません。すでに女としての尊厳は木っ端みじんに砕けた身ですから。素直に言われるがまま立たせて頂きます。
店長のド正面に私は立った。あら、やっぱり私よりだいぶん背が低い。私の身長が163センチだから、たぶん155センチあるなしくらい。体形もじつにスマートだ。体重に関してはさらに大きな割合的開きがありそうだ。何とかウェイトレシオっていうの?
「はい、じゃあ、握手」
店長さんが右手を差し出す。んっ、握手?
差し出された右手の指の、これまた美しいこと。細くて長くて、爪のケアも怠りないのだろう。吸い込まれるように差し出された小さな手を握り返す。おっ、少し温かい。でっ、腸の運動とは、どういうことでしょう。
「ゲームをしましょう。菊元さんはただ立っていて下さい。10秒立っていられたら菊元さんの勝ち。10秒以内に菊元さんが床に膝を突いたら私の勝ち」
えっ、何ですか、そのルール。何ですか、このゲーム。ただ、膝をつかずに立っていればいいのでしょうか?確認するような猶予もなく、店長さんが急かす。
「じゃあ、始めますよ。もし私が負けたら、今日のお代要らないです。いきますよ。よ~い、はい」
はいって、何よ。お代要らないって?膝を突いたらって、どういうこと?もう少し詳しい説明をぜひ。
「い~~ち、に~~い」
不意に始まった美波店長の涼やかなカウントを聞きながら、そして私は小さくて、少し温かい美波店長の手を握りしめていた。