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美波店長とタイを旅行する(30)

ご愛読ありがとうございました。


午後3時からの休憩タイムに、お土産のチョコレートを、席に座っている社員全員に2個ずつ配った。月曜日ということもあり、社員の在籍率は高かったが、それでも3箱目の半分くらいしか消費できなかった。まあ、日持ちする食べ物なので、問題はないだろう。

残りは社員共用の冷蔵庫にでも放り込んでおくこととしよう。



一昨日の早朝、私と美波さんは、関西国際空港に帰ってきた。

早朝のバゲッジクレームに人だかりは無く、あっさりとベルトコンベアで運ばれてきた旅行バッグを手にすることができた。


「菊元さん、大変にお疲れ様でした。私は車で来てますので、このまま駐車場に向かいますが、菊元さんはどうされます?よければご自宅まで送っていきますが・・・」


送って貰えるのは、正直助かる。小さ目とは言え、旅行バッグとお土産は相応の荷物だ。でも、私はリムジンバスの往復チケットを、日本を発つ前に買ってしまっている。

往復で2百円安くなっただけだけれど。


「あ、ありがとうございます。でも、バスの往復チケットを買ってしまってますので」


「そうですか、それではここでお別れってことになりますね。本当に有難うございました」


「いえ、こちらこそ、本当にお世話になりました」


「改めて、ご迷惑をお掛けしましたこと、お詫びします。菊元さん、旅行は楽しんで頂けましたか?」


美波さんの言う迷惑とは、あのパタヤ公園での一件のことなのは、明らかだ。

あの夜のことも含めて、この旅行をはたして私は楽しめたのだろうかと自問する。

屋台の料理も、ホテルのバイキングも、とても美味しかった。

トップレス姿で泳いだことは、忘れない思い出の一つとなることだろう。

そして本気で死ぬかも知れないと思える経験もした。

パタヤ公園から逃げ出す際に聴いた(パンパンッ)って音は、紛れもない拳銃の音だったと、後でヤナギさんから聞いた時には、マジ血の気の引く思いだった。


(楽しかった)


そんな一言で、この二日間に起こった出来事と経験を片付けてしまっていいのか、そんな疑問が、私に即答を避けさせたのだ。


「正直、よく分りません」


私の正直過ぎる返信に、美波さんが少し寂しそうな顔をした・・・様に思えた。


「ホント、色々とご迷惑をお掛けしました」


美波さんが慇懃いんぎんに頭を下げる。それでも、その時間は決して長くはなかった。

顔を上げて、(では、また)、そう言って、美波さんが背を向ける。


えっ、美波さん、何か誤解してませんか?

怖い思いはしたけど、ヒールの片方を無くしたけど。でもそんなことより・・・

例えば・・・そう、美波さんは、少なくとも2人の若者の将来を変えたと思う。

一人はアーリアさん。そしてもう一人が、大金を手にしたあのタイ人少女。

何千キロも離れた異国の地の若者二人の人生を、美波さんは、間違いなく変えたのだ。たぶん、いい方向に。

そんな事が、いったい美波さん以外の誰にできると言うのだろう。


美波さんの背が少しずつ遠ざかっていく。この思いを伝えたい。はやく、はやく。でも適切な言葉がまるで出てこない。


「美波さん!」


私の呼び掛けに、美波さんはゆっくりと振り返る。その目は、やっぱり少し寂し気だ。

声を掛けたものの、発するべき言葉の準備が整った訳ではない。

美波さんが、私の言葉を待っている。美波さんに、いま私が伝えたい思い。どう表現すればいいのだろう。皆目分からない。

口籠っている私に、美波さんは少し怪訝そうな顔をする。


「あの、私・・・上手く言えないけど・・・美波さんのことが・・・その~~大好きです。今回の旅行で、さらに美波さんのことが好きになりました。本当に・・・ありがとうございました」


下手くそな言葉だと自分でも思うけれど、それでも精いっぱいの思いと感謝を込めて、人目も憚らず、私は大声で美波さんに告白した。

にこりと微笑んでくれた美波さんの顔は、それはそれは、とても美しかった。




「おっ、このチョコレート、菊元さんのお土産?どこか旅行にでも行ったの?」


そう私に声を掛けてきたのは、私の大ボスにあたる総務部長だ。今日は珍しく、一日事務所勤務だったらしい。


「はい、タイを旅行してきました」


「おおっ、それはいいですね。一人でですか?」


「いえ、友達と・・・二人で・・・」


美波さんを友達呼ばわりするのは、少し厚かましいとも思ったが、それでも他に表現のしようがなかったので、私はそう言った。


「ふ~~ん。海外旅行って、色々とカルチャーショックを受けたり、人生観を変えたりすることもありますからねぇ。何か、そんな貴重な経験、できましたか?」


少し考えて、私は答える。


「はい、大勢人のいるビーチを、トップレスで泳ぎました」


数人の男性社員が、驚いたような顔をして、こちらに視線を向けた。


「それは・・・その場にいたかったものだなぁ~」


「はい、部長、その発言、セクハラ。コンプライアンス違反!」


同僚の池田さんが突っ込む。彼女も本気で怒っている訳ではない。そんな冗談が通じる人なのだ。総務部長は。


「おっと、これは失礼。他に何か貴重な経験はできましたか?人生観を変えるような・・・」


「そうですね、そう言えば・・・銃弾の下をかいくぐってきました。もう経験したくないです」


何かの比喩とでも思ったのだろう。(はは、そいつは凄いや)と言い残して、部長は席に戻っていった。

部長の背から目線を切ったタイミングに任せて、ぐるりと周囲を見渡す。


(この職場ってこんなに狭かったっけ?)


通常は40人くらいの社員が働いているこの職場が、入社して以来、初めて狭いと私は感じていた。


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