美波店長とタイを旅行する(20)
ダイ旅行編30話くらいまでいきそうです。
次は、(美波店長テレビに出る)編です。
実に涼し気な顔で美波さんはお米の入ったイカご飯をほおばっている。
黒いタンクトップにシルバーの短パンという出で立ちは、かなり珍妙に見えて、それでも何だか恰好いい。
結論から言うと、美波さんは負けたようだ。判定負け。その事実を聞かされても、私は全くもって釈然としていない。
試合時間は3分2ラウンド。対戦相手のタイ人女性は、身長、体重共に明らかに美波さんを上回っていた。
大まかな試合概要は、格闘技素人の私が拙く説明すれば、すなわちこうなる。
タイ人女性がキックを出す。数時間前、アーリアさんやアーリアさんの彼氏が美波さんに向かって繰り出したキックと似ていた。大きく横から振り回すような力強く、それでいてしなやかなキック。ヤナギさんの言葉を借用すると、(典型的なムエタイの蹴り)ということになるらしい。
このキックのほとんど全てを美波さんは、ヒラヒラと華麗に躱し続けた。私の眼から見ても、このタイ人女性のキックが美波さんの体を捕えることはないと確信を持てる程に、美波さんの動きと表情には圧倒的な余裕が漂っていた。
いくつかのキックは美波さんの体に当たるには当たった。でもそのキックは例外なく美波さんの腕に抱えられ、次の瞬間には美波さんの脚が相手の軸足を蹴り飛ばした。その都度コロリと相手は床に転がった。転がったタイ人女性は、すぐに立ち上がり、さらにムキになってキックを連発する。
タイ人女性がムキになればなるほど、リングの上ですら涼やかな表情を全く崩さない美波さんとのコントラストが、よりいっそう明確となった。そしてそのまま案外短いと感じた6分の時間が過ぎたのである。
試合終了のゴングが鳴るや、すぐに美波さんはリングを降りて、少し離れた場所で見守っていた私達の方に歩いてきた。ごくごく自然で、まるで朝の散歩のような歩調。
その数分後、判定で美波さんが負けたという結果を知らされても、全く私には合点がいかなかった。
「美波さんの負けって、私、納得できません。コロコロとダウンしてたのは相手の方じゃないですか」
少し語尾を荒げた自分に気付き、えっ、何で私が怒ってるの?なんて自分でも不思議に思う。
「ダウンというのとはちょっと違うけど。まあ、菊元さんの感じた通り、闘技者としての実力は段違いでした。でもまあ、ムエタイのルールでムエタイのリングの上で起こったことですから、そんなこともありますよ。美波さんも勝つことを目的にしてた訳じゃない。たぶん、倒そうと思えば、いつでも美波さんは相手を倒すことができた。この程度の相手にそれをする意味を見出せなかった。そんなところじゃないですか」
そんなヤナギさんの解説を、美波さんは否定も肯定もしない。涼やかな顔でイカご飯にかぶりついている。まあ、美波さんが不満を感じていないのなら、私なんかがとやかく言う事でもないのでしょう。
それでしたら、私もイカご飯を頂くとしましょう。うん、これも美味しい。アロ~イ。
「ちょっと、あれ、どういうことかな?」
私達がイカご飯を食べ終えて半時間ほどが経過した頃だろうか。少し硬い声色でそう言ったのは美波さんだ。その視線の先には、さっき美波さんが上がったのとは反対側のリングがある。その上で二人の女性が向き合って立っている。一人は肌の色が少し日本人と比べて黒い。たぶんタイ人の女性。体型はやせ型。身長は160センチと言ったところだろうか。アーリアさんといい、さっき美波さんが戦ったタイ人選手といい、こんな感じの身長と体型が、タイ人女性の標準サイズなのかも知れない。まだ顔つきにあどけなさが感じられる。18才のアーリアさんとそれ程変わらないだろうと言うところが、私の予想。その一方で・・・
「あの白人、デカいよね」
そう、美波さんの言う通り、標準的体型のタイ人と向き合っているのは、女性としてはえらくガタイのいい白人。昨晩、私がマッサージを受けたアマゾネスレディーボーイの体型をそのままに、肌の色だけ漂白した感じ。リングの下では、この白人女性の知り合いと思しき外国人数名が、酒瓶を片手にやんやと大声を張り上げている。その度、リング上の白人女が振り返り笑顔を見せて、グローブをはめた手を振る。その笑い声がちょっと下品で、何だか癇に障る。
それにしても、誰でもリングに上がれるってヤナギさんは言ってたけど、白人なんかも上がるのか。
「こんな体格差のマッチメイクってあり得るの?体重差10キロどころじゃないでしょ、あれ」
美波さんがヤナギさんに問う。
「いや、ちょっと確かに普通じゃないね。事情はよく分からないけど」
「ヤナギさん、運営側の人に知り合いいるよね。ちょっと事情聴けないかな」
「ああ、何だか気になるね。ちょっと聴いてくる」
そんな美波さんとヤナギさんのやり取り。そしてヤナギさんは少し速足で、リングのすぐ脇に設営されている簡易テントの方に向かった。
小さくなっていくヤナギさんの背を目で追っているうちに、別方向から試合開始のゴングが冷たく響く音を聞いた。




