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美波店長とタイを旅行する(18)

う~~~ん、マッサージの話は一体どこに・・・


「テン・モーパン、テン・モーパン♪♪」


大形ワゴン車の後部座席。アーリアさんが私と美波さんの間ではしゃいでいる。

今時いまどきの日本の小学生でも、ここまでの無邪気さをさらけ出すことは滅多にないだろう。


私たちが乗っているのは、昨晩に空港からホテルまで私たちを運んでくれた濃い緑色のワゴン車。タイ人運転手の横の助手席にヤナギさん、後部座席の右から美波さん、アーリアさん、そして私の順に座っている。


こういう事だ。柔心会バンコク支部の練習が終わるや、道場生の全てが美波さんを取り囲み、正座して深く一礼した。同じように美波さんも正座して深く頭を下げた。


(ぜひ夕食でもご一緒に・・・)


そんな田原支部長のお誘いを、美波さんは冷たいまでにあっさりと断った。


「今からヤナギさんの車でパタヤに行くのよ。そんでもって、イカの丸焼き食べて、スイカジュース飲むの。私のタイに来た時の楽しみを邪魔しないで」



「スイカジュース!テン・モーパン!!」


黒い眼を輝かせてそう叫んだのはアーリアさんだ。


「スイカジュース、今風に言えばスイカのスムージーのことを、この国ではテン・モーパンと呼びます」


ヤナギさんが短く解説してくれた。


「テン・モーパン、ワタシ、ダイスキデス。ワタシモ、パタヤ、イキマ~ス。テン・モーパン、ノミマ~ス」


まるで仲の良い姉妹のようだ。いや、美波さんが35才。アーリアさんが18才ということを考えると、その年齢差は姉妹と言うよりもむしろ親子に近い。娘がお母さんに何かを強請ねだって甘えるように、美波さんの腕にアーリアさんがしがみつく。

いや、貴方あなた、さっき美波さんの顔を力いっぱい踏みつけたでしょ。まだあれから半時間と経ってませんよ。どうしてそこまで態度が豹変ひょうへんするかなぁ。


「今からパタヤに行くと帰ってくるのは夜中だよ。アーリアさん、明日学校があるでしょう」


「ガッコーハ、ライシュウカライキマ~ス。ニカゲツモ、イッテナイノデ、アシタイチニチイカナクテモ、オナジコトデ~ス」


繰り返す。この仲の良い親子が交わすような会話は、ついさっき、私なんかから見ればほとんど命のやり取りと思える程の激闘を繰り広げた二人の間のものなのだ。


「アーリア、パタヤ、イキマ~ス。テン・モーパン、ノミマ~ス。テンゴクノオジイサンニシカラレテモ、ワタシ、パタヤ、イキマ~ス」


ちなみにアーリアさんと恋仲だという褐色青年は、明日の朝が早いということで、今回同行しなかった。タイ人の若い男女のお付き合いって、どの程度アダルトなのでしょう?少し気になってます。私。


「アナタハ、シッカリシゴトシナサ~イ」


この一言がアーリアさんが彼氏に掛けたこの日最後の言葉である。高度成長期の日本の夫婦間の役割分担も、もしかしたらこんなだったのかも知れないなんて思う。

という事で、ヤナギさんが準備してくれていた大型ワゴン車の後部座席に、アーリアさんも乗り込んだのだった。


「◇□*%%!!~~~」


後部座席から身を乗り出し、タイ人運転手に強い言葉を投げるアーリアさん。一体なに言ってんだ?


「カップ、カップ」


アーリアさんの呼び掛けに返答した運転手さんが、ここで一気にアクセルを踏み込んだ。

私たちの体が、グンっと後ろに持って行かれる。分かった。アーリアさんは、運転手に(もっと飛ばせ!)なんて意味の言葉をかけたのだ。運転手さんにとっては、(待ってました!)って感じの要求だ。この運転手は飛ばすのだ。飛ばすのが好きなのだ。


「テン・モーパーーン!!」




「ワタシナンカガ、シハンニナッテモ、イイノデジョウカ?」


20分程、ワゴン車がハイウェイを走った頃だろうか。アーリアさんがやけに声を潜めて美波さんに問うたのである。


「実力は十分でしょ。言っちゃ悪いけど、たぶん田原さんなんかより技は切れるでしょうから」


アーリアさんを気遣ってゆっくりと話すこの美波さんの言葉を、もし田原支部長が聞いたら一体どんな顔をするだろうか。いかにも人の好さ気な田原さんの風貌を、私は思い返す。

食事の誘いをあっさり断られた時の支部長の顔と言ったら、それはもう、ほんと可哀そうな程だった。


「ワタシ、タハラシブチョーヨリ、ツヨイデス。デモ、フアン・・・アリマス」


「どんな不安があるの?」


本当に、仲の良い姉妹の様な会話だ。いや、仲の良い母娘の会話だ。


「ドウジョウノミンナ、ワタシノコト、スキデハアリマセン」


そりゃあ当然でしょ。だってアーリアさん、めっちゃ怖いもの。まるで協調性なさそうだし。何人か乱取り中に怪我させたって話だし。


「簡単なことよ。アーリアさん、柔気道が好きでしょ。文二ぶんじ先生がアーリアさんに柔気道を教えてくれた。そしてアーリアさんは柔気道を好きになった。文二先生が貴方あなたにしてくれたのと同じことをすればいい。たったそれだけ」


「ホカノヒトニ、オシエルコト、ジブンノレンシュウ、デキナクナルコト。ワタシ、モットモット、ツヨクナリタイデス。シバヤマシハンヨリ、ツヨクナリタイデス」


こら、アーリア。それは美波さんに対して失礼というものだろう。美波さんは、(この人より強い女性がこの世にそうそう存在するとは思えない)レベルの強さなのだぞ。ヤナギさんの言葉の受け売りだけど。私が誇らし気に語る話でもないけど。


「長く柔気道をやってるとね、急に強くなるタイミングが4回あるの。1回目が始めてすぐの頃。それは当たり前よね。だってそれまで経験ゼロだったんだから。そして2回目が初段に上がった時。黒帯を絞める人間の自覚が生まれるのかな。ここでも一気に強くなる。そして3回目・・・」


「・・・」


「それが人を指導し始めた時。たぶん人に教えることによって基本に立ち返ることができるのが理由だと思う。だから、アーリアさんも人を指導するようになると、きっと技がもっともっと上手くなる。主席師範の私が言うんだから間違いないよ」


さっきまでのはしゃぎようが嘘のように、そんな美波さんの言葉を、アーリアさんは神妙に聞いている。


「ヨンカイメハ、イツデスカ?」


そんなアーリアさんの質問を聞いた時、美波さんは遠く前方を見つめるような表情をした。車のヘッドライトが照らすハイウェイのまだ遥か先の前方。


「それは・・・まだアーリアさんが理解するには、早過ぎる」


小さく誰に語るともなく、美波さんはぼそりと言った。視線は遠くを見つめていた。



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