美波店長とタイを旅行する(4)
大好きなタイの話です。
「あ~~食べた食べた~~~」
ヤナギさんとホテルのロビーで分れて部屋に戻ってくるや、実に満足気にそう言って美波店長は二つ並んだ手前側のベッドに、仰向けで倒れ込んだ。
私と店長は、本当にホテル2階のロビーで開店していたレストランで、マーボ豆腐を食べたのだ。しかもかなりガッツリな量を。もちろんヤナギさんのおごりで・・・である。
そしてこれも美波店長の言葉通り、本当にタイで食べるマーボ豆腐は美味しかった。店長イチオシの茄子も、姿を見ずに食べれば(何か南国系の果物かしら)と思えるほどに甘くて瑞々しく、マーボの濃い味付けにも怯まない強い味わいだった。
別に注文したフライドライスに絡めて食べた。マーボ丼は、私も日本でよく食べるが、一度カリカリにフライされたタイ米がたっぷりとマーボの汁を吸い込むと、私の知るマーボ丼とは全く別の料理となった。
ヤナギさんが“シーハー”と言って注文したのは実はビール。お酒は嫌いではないが、決してビールが好きでもない私が、初めてビールを美味しいと思った。こちらのビールが特別だったという訳ではなく、深夜になっても30℃を下回らない気温と、異国の空気がそう感じさせたのだろう。
「今、こっち時間の12時。日本では夜中の2時ですから、さっとお風呂入って休みましょうか。相当お疲れでしょうし」
そうなのだ。店長の手配してくれたホテルの部屋は、なんとツインルームだったのだ。
別に店長と同室が嫌って訳じゃないけど、当然部屋は別々と思っていた私は、ちょっとだけ動揺した。一人暮らしが長いもので、同居人がいるというのが何だかしっくりとしないのだ。目をそわそわと泳がせ、そして何気に見た29階の窓から見下ろす異国の街は、何故か私にはとても深い蒼色に見えて、空と大地の境目を曖昧にした。
「それじゃあ、菊元さん、先に入って下さいな。私は少しやることがあるので」
(お風呂は家長のお父さんから)って時代に育った訳ではない。それでも先にお風呂を頂くのは気が引けた。実はこのホテルの宿泊料も、(経費で落ちるから)って理由で、店長が支払ってくれているのだ。今日から二日間滞在することになるこの部屋の家長さんは、間違いなく店長なのだ。
「いえいえ、先に頂く訳には。どうぞ、店長さんから先に入って下さい」
「ああ、どうぞお気遣いなく。本当にやらないといけないことがあるんです。これも仕事の一環ですから。それから、そろそろその“店長さん”っての、止めません?美波でいいですよ」
ええっ?今から仕事ですか?もう夜中の12時ですよ。日本時間では丑三つ時ですよ。
でも本当にお忙しいなら邪魔は致しません。それでは遠慮なく。ああ、それから・・・
「それでは遠慮なく、お先に頂きます。美波さん」
(うん、よろしい)てな感じの笑みを美波さんが返してくれた。では、行って参ります。あれっ、浴衣とかないのかしら?きょろきょろと部屋を見渡す私。
「部屋着とかはないですよ。どこの国のホテルもそれが普通で、日本のホテルが特別なんです。だから外人さんがサービスと勘違いしてホテルの浴衣持って帰ってしまったりするんです。日本のホテルでは」
はあ、そうなんですか。まあそんなこともあるだろうと、Tシャツとジャージのズボンを寝巻代わりに持って来てます。それではこれと替えの下着とを持ってと・・・
えぇ~~~!!
お風呂、一面ガラス張り。それも磨りガラスとかじゃない。手入れの行き届いた透明のガラス。中はスケスケ丸見え状態。なんじゃ、こりゃ~~。しかも着替える場所とかもないじゃん。
素っ裸で入って、しかも中丸見えですか。この国のお風呂。ラブホのお風呂でも、日本ではもう少し配慮ありますよ。ラブホって一度も入ったことないけど。
「あれ、もしかして気になります?この透明のガラス。大丈夫ですよ、お湯出せば曇りますから。それにここには私しかいませんし。ご心配なく」
そうは言われても、やっぱりこっぱずかしい。でも仕方がない。郷に入っては郷に何ちゃらってやつだ。
(えぃっ)て感じで、私は着ているものを脱ぎ、生まれたての姿となった。
服を脱ぐやブルリと体が震える。この部屋、冷房効き過ぎてません?寒いくらいです。
一気に鳥肌が立った私の体を見て、美波さんが言う。
「よく冷房効いてるでしょ。これがこの国での歓迎の証なんです。例えば労働者の人件費なんかと比較して相対的に滅茶苦茶高いのが電気代です。ここに来るまでに見た民家なんかも、全然電気点いてなかったでしょ。それがこの国の実情です。そんな国で、高い電気代をいっぱい使って、貴方を歓迎しています。そんな感じのホテルのアピールです」
なるほど、勉強になります。今後の人生を豊かにするため、そして視野を広げるため、色々と雑学を仕入れたいのは山々ですが、でも今とても寒いです。そして恥ずかしいです。風邪ひく前に、とっととお風呂行ってきま~す。
美波さんの視線から逃げるように浴室に入り、シャワーの蛇口を捻ると、意外に早く温かいお湯が“ボッホ、ボボボッ”と音を鳴らして出てきた。お湯が激しく呼吸している。水量が安定しない。やっぱ海外のホテルだ。お湯が全く出ないことも海外では珍しくないって聞くし、それに比べればマシな方か。
よし、少しずつガラスが曇ってきた。お恥ずかしさ半減。まずは髪から洗うとしよう。
備え付けのシャンプーは・・・あるのか。ここは贅沢に使わせて頂こう。たっぷりと手に取る。
普段家で使うシャンプーの量の倍ぐらいは出した。
濡らした髪を、ゴシゴシゴシ・・・んっ?全く泡立たん。リンスと間違った?いや、ちゃんと“SHAMPOO”と書いてある。こんな感じのが海外製のシャンプーのスペックなのだろう。何だか日本人であることを誇りたくなる。
全く泡立たないシャンプーと、なぜかカッチカチの石鹸で髪と体を洗った。
大きな白いバスタオルを体に巻いて浴室を出る。
(店長・・・じゃなくて美波さん、先によばれしました~~)って、えぇ?こんな深夜に電話?
美波さんがどこぞに電話している。話しているのは日本語じゃない。タイ語でもない。英語だ。カタコトだ。もどかしいやり取りが続いている。どんな要件のお電話をどちら様に入れているのでしょうか?お仕事のお電話なのですよね。そんなコミュ力で、仕事になってますか?少し心配になります。
「オーケー、サーティミニッツ、レイター・・・2人・・・ツー、こっちはツー。んっ?セックス?なに言ってんだ、こいつ・・・ああ、性別の事かな。どっちでも・・・え~っと・・・なんて言えばいいんだろ・・・マン、ウーマン・・・どっちでもオッケー・・・まったくノ~プロブレム・・・ドゥー・ユー・アンダスタン?」
店長がカタコト英語で電話している隙に、エイっと勢いに任せて下着とTシャツを着る。
私がジャージのズボンを引きずり上げたタイミングで店長の電話が終わったようだ。
ブチッと電話を切るや、(ハ~~~疲れた)と美波さんはため息をついた。
「お疲れ様です。お風呂、お先しました」
「はいはい、それじゃ私もお風呂するとしよっかな。30分後にマッサージさん来ますから」
え~~~今からマッサージですか?お風呂で体が温まった私は、いま強烈な睡魔に襲われているのですけれども。ほとほと美波さんの体力には、感心を超えて感動する。と、そのとき美波さんは数枚の紙幣を赤い長財布から出した。
「菊元さんも20バーツだけいつでも出せるようにしておいて、サイフとかパスポートとか、大事なものは全部バッグに入れて鍵しちゃって下さい。マッサージ中に、もし寝てしまったら、大事なもの、根こそぎ持っていかれるかも知れません。ここは平和な日本ではありません」
そう言いながら美波さんは一気にタンクトップを脱いでしまった。
黒いブラに包まれたおっぱいは慎ましめ。私と同じCカップらしいが、ちょっとだけ私の勝ち・・・って感じ・・・。んっ?
(うゎっ!何ですか、その腹筋!!)
驚いたのはその腹筋の束。薄い皮の下でそれ自体が単独の生き物のように脈を打っている。ライ〇ップのCMどころの騒ぎじゃない。生のシックスパック、いやエイトパックって初めて見た。そしてそれは、紛れもない女性の腹筋なのだ。
「では後ほど~~」
ネコ科の野生動物が優雅に歩くように、美波さんは今も湯気が立っているお風呂場に消えていった。歩きながら(ひょいひょい)と脱ぎ落していった美波さんの黒いブラとジーンズが、泥酔したおっさんが脱ぎ散らかした忘れ物のように、床に残されていた。




