乙女のピンチ(お見合い編1)
すごく魅力的なキャラクターできたかもです。モデル存在します。
3か月振りに手にしたその名刺に記されている番号をプッシュする。
5回目のコールが鳴っても、まだ繋がらない。
時刻は午前8時25分。しかも今日は日曜日。やっぱり駄目かと諦めかけた時、週末の朝とは思えない、とても爽やかな女性の応答が、スマホのスピーカから響いた。
「おはようございます。整体シバヤマです」
まさかこんな時間に対応してくれるとは期待しておらず、こちらから掛けた電話だというのに、少しドギマギしてしまった。
「あっ、朝早くにすいません。3カ月ほど前に、一度お世話になった菊元と申します」
「キクモト様、はいはい、覚えてますよ。お顔が小さくなったと喜んで頂いた菊元様ですね。その節はどうも。今日はどうしました?お顔が大きく膨らんじゃいましたか?」
からからとスピーカの向こう側で可愛らしい乾いた笑いが響く。
ジョークのつもりなのだろうが、でも見事にこのジョークは、実に的を射ていたのだ。
「あの~、実は、全くその通りなんです。顔がとんでもなく浮腫んじゃって・・・」
「あら~、それは大変。失礼しました」
「それで、大変無理なお願いなんですが・・・今日の午前中に、この浮腫んだ顔、何とかして欲しいんです」
「おやおや、その火急的タイムリミットは、一体どこからやって来るのでしょう?」
何だか電話の向こう側で、私に降りかかっている災難を、どこか楽しんでいる風情がある。
「あの~、ちょっと恥ずかしいんですが・・・夕方から・・・その~、実はお見合いなんです」
「げっ、お見合い!それって、乙女のピンチってやつですか?」
カラカラカラ。この期に及んでも、まだ例の店長さんは楽しんでいるらしい。まあ他人の不幸ほど、見て聞いて楽しいものはない。特に同性の不幸は。性格が決してよくない事を自覚している私的には、全く否定する要素がない。
「乙女ではないですけど・・・それに母が勝手にセットしちゃったお見合いで、あまり気乗りもしてません。でも、この酷い浮腫み、やっぱりピンチはピンチです、女として。乙女ではないですけど」
「でっ、お顔、どれくらい膨らんじゃってます?」
「このままじゃあ、アンパンマンの姉ですって自己紹介したら、きっとウケます」
カラカラカラと、高い笑い声が、またまた電話の向こうで聞こえた。本当によく笑う女性だ。
「はい、分かりました。準備してお待ちしております。でも、(アンパンマンの姉です)って自己紹介も、もしかしてお相手さんには、案外とウケがいいかも知れませんよ。そんなユーモアの通じる男性の方が、私はお相手としては好感が持てますね。はい、では今から30分後以降ならいつでもOKです」
「じゃあ、今から家を出ますので、最短で40分後くらいになると思います。よろしくお願いします」
気乗りのしないお見合いであること。それは全く本音なのだ。
何でも、母の故郷である和歌山の親戚の、そのまた友人で・・・なにか地元の名士らしく、広い土地を持っていて、畑や田んぼや・・・忘れた、細かくは。興味も全く・・・ない。
「だから9月の最終週の週末なんて無理だって。上半期の締めの週じゃない。私の仕事知ってる?経理だよ」
「だから仕事がなによ。そんなだから30才間近になっても、お相手候補の陰すらチラつかないのよ」
男女平等、雇用均等、女性幹部社員率拡大。そんな今風の日本企業の構造改革など、海の黒い和歌山南部の漁村から嫁ぎ、専業主婦を35年間、何の疑問もなく全うしている母には、決して実感のわかない世の変化なのだろう。昨年に2才年下の従妹の久美ちゃんが、めでたく結婚してしまったこと、これの影響も大きい。
(妹に負けた!)
負けたって何だ!娘の結婚が、なにゆえ姉妹喧嘩の勝ち負けの判断基準となる?
気乗りしない要因は他にもある。
今から2年前、母が持ってきた縁談だ。なんでもこれも和歌山の地主で、大金持ちではあったらしい。なにせ初めてのお見合いということもあり、私もそれなりの期待と覚悟で臨んだお見合いを兼ねた食事会は、いま思い返してみても、これまでの半生で経験のないような苦痛の数時間だったのだ。
自己弁護をすると、あまり男性の容姿にこだわる方じゃない。収入に関しても、生活ができるお給料であれば、無いよりはある方がいいというくらいの、一般的な感覚を持っているというレベルのこだわり具合だ。
そんな私が、この人生初お見合いの相手に我慢ならなかったのが、(土地収入だけで600万円くらいあるので、これからも自分はぐうたらして生きていける)という趣旨の、全く男として自慢にならない自慢話だった。
そんな話を聞いた途端に、それまであまり気にならなかった30代前半とは到底思えない、お正月の鏡餅を連想させる突き出たお腹が、急に憎たらしく思えたのだ。立ち上がっている時ですらベルトの上に乗っかってバックルを完全に覆い隠している。何かの拍子でちらりと見えたバックルが、下品なまでに輝く金色。この後に至ってしまえば、それはもう坊主憎けりゃうんちゃらってやつだ。
(私はぐうたらして生きていきたい訳じゃなく、むしろ動き回って働きたいですけどね)という嫌味を多分に含んだ話をしたらば、相手のお母さまが、(家が大きいんで掃除だけでも十分動き回れますよ。広い庭の手入れも、まあこれが大変)ときた。
私の仕事やキャリアなんかは、全くこの人達の眼中にはないらしい。
「家政婦さんが欲しいんでしたら、求人でもお出しになったら如何でしょうか?お金もたんまりお持ちのようですし」
この私の余計な一言が、その後の空気を決定づけた。
無言で出てきた料理を、手あたり次第にでかい口をさらに拡げて食道に押し込む32歳地主の跡取り一人息子と、全く料理に箸がつかず、下を向いたまま貝になってしまった我が実母。(料理がお口に合わないでしょうか?)と、レストランの店員さんを心配させる始末だった。
帰りの車の中、涙目で喚き散らす母の言葉を聞き流しながら、(結婚相手くらいは自分で見つけます)と啖呵を切ったものの、その後2年、全く色恋沙汰に縁がなかった私なのだ。
あの最悪の食事会以来、滅多なことでは連絡もしてこなかった母であるが、ほんの2週間前、突然電話してきて切り出したのが、今回のお見合話なのだ。
「2年前の大失態を忘れた?相手は自分で探すって言ったでしょ」
「で、ご自分で見つけるはずの相手は今どちらに・・・」
(うぐっ)
受話器の向こうで、急にしおらしくなった母が続ける。
「こんな年になっても、やっぱり故郷の親戚や友人との付き合いってのがあるのよ。今回は無理に結婚とは言わないから、お母さんを助けると思って、せめて会うだけでも・・・」
またまた母は涙声だ。幾度もこの母の演技に騙されてきた私なのだが、それでも昔から、身内他人に関わらず、女の涙に弱いのが私の厄介な特性なのだ。精神構造が女のそれではなく、むしろ男なのだろう。そう考えると、これまで女としての色恋沙汰が、異常に遠かった事にも合点がいく。
「本当に会うだけだからね。前みたいな非常識な言動は慎むけど・・・」
そんなこんなで決まったお見合いを週末に控えた9月最終週のウィークデーは、やっぱり忙しかった。
期初に計上した売上予算を、原材料高騰が原因の一時的不況だの、アメリカ大統領選挙の影響によるお客の設備投資静観だの、私にはよく分からない理由を並べ立て、見直予算登録時に大幅に売上ノルマを下げ、そして営業日2日を残し、わが営業1部は見事?この自ら大いに下げたハードルを、どうにか飛び越えた。というか、跨いだのであった。
普段は、(もしもし、いま起きてる?)って眠たい顔の営業マン達も、さすがにこの週だけはちゃんと起きて仕事をしたようで、この一週間は、半年に一度の活気が事務所に満ち満ちていた。
「よし、金曜日は祝勝会だ」
確かに我が営業1部は、見直売上予算を達成した。最大の功労者は、口八丁手八丁で、見直予算時にノルマを一気に落とすことで社内を説得した営業1部長だ。
未だに分からないのだが、アメリカで大統領選挙があると、どうして景気が下がるのだろう。
「菊元さんも、金曜日は大丈夫だよね」
(日曜日にお見合いがあって~)とはまさか言えない。嫌々でもなく、ノリノリでもない状態で参加したその祝勝会とやらで、私はやらかしてしまった。
決してお酒に弱いわけではないのだが、その日私は不覚にも酔いつぶれてしまったのだ。きっと人生2回目のお見合いがストレスとなったものと容易に想像できる。
タクシーに乗った記憶も、玄関の鍵を開けた記憶も全くない。それでもちゃんとタクシーの領収書は左手に握りしめたままで、ベッドに倒れ込んでいた。意識を無くすまで酔いつぶれても、こんなところは我ながらちゃっかりしている。
翌日土曜日の昼過ぎに目を覚ましてから、その日一日、ひどい二日酔いに苦しみながら自宅を一歩も出ることなく過ごしたのだが、お酒が原因の頭痛が収まってくると、今度は何故かどんどんと顔が膨らんできてしまったのだ。
そして日曜日早朝の、この電話に至る訳である。
「本当に日曜日の朝から申し訳ないです。よろしくお願いします」
「はいはい、こちらこそ。なにせ乙女のピンチですからね」
だから、乙女じゃないってば。