乙女のピンチ(ゴルフ編1)
新編です。ゴルフをやる人には読み応えがある章になると思います。
「おはようございます。整体シバヤマです」
「またまた朝早くにごめんなさい。菊元です」
「はいはい、菊元様、おはようございます。ご無沙汰しています。今日は何でしょう?またまた乙女のピンチってやつですか?」
「乙女ではないですが、今回もやっぱりピンチです」
「おや、今度はどうされました?もしかして彼氏の浮気ですか?それでしたら柔心会主席師範のわたくしが、天誅をくれて差し上げますけど・・・」
「いや、浮気ではないですし、そもそも浮気が問題になるような相手もいません」
「あぁ~っ、そう言えばこの前のお見合い!どうだったんですか?報告頂いてません」
「あっ、その節は大変お世話になりました。お見合いの話は、また改めてご報告します。ところで美波さん、ゴルフ・・・やられます?」
「んっ、浮気が問題になる相手がいない・・・ということは、お見合いのほうは上手くいかなかったのでしょうか・・・えっ、ゴルフ?ゴルフってあのゴルフですか??」
あらゆる会話が発散する傾向にある美波さん相手にしては、意外にもストレートに本題に突入できた。
「そう、そのゴルフです」
説明しよう。こういうことだ。
私の勤める商社の最重要顧客の一つである大手化学繊維メーカのゴルフコンペが、毎年11月に開催される。参加者100名を超える一大ゴルフコンペで、その結果は、毎回化学業界紙にも掲載される。このコンペには、我が社からは毎年、営業部長を筆頭に3名が参加していて、そして変な慣習だと思うのだが、うち一人は必ず女性なのだ。
(ゴルフ場には華が必要)
との言い分らしいのだが、今の時代、これって立派なセクハラじゃないか。
そして、ここ3年は、営業2部の岸本嬢が、我が社の女性社員代表として参加してきたのだが、先日急に彼女が体調を崩してしまったのだ。本人曰く、(風邪をこじらせただけ)らしいのだが、それでも大事をとってという事で入院してしまった。
わが営業部でゴルフの経験がある女性社員は、岸本譲を除いては私だけ。でも経験があると言っても、一応道具一式を持っていて、数年に一回ラウンドするという頻度の嗜み具合なのだ。もちろん日頃から練習場に行くようなマメさもない。ベストスコアは約2年前に記録した127。そしてこの時のラウンドが、今のところ私にとっての生涯最後のラウンドなのだ。とても(ゴルフをやります)と公言できる腕前とは程遠い。
「私なんかが参加したって皆さんの迷惑になるだけですよ。岸本譲の代わりなんて、絶対に務まる訳がありません」
「いやいや、女の子はそれでいいのよ。男よりもゴルフの上手い女の子なんて、けっこう嫌味だしね。ニコニコ笑って120台くらいで回ってもらうのが一番いいんだよ」
いや、だからその120台すら物凄くハードルが高いんですよ。それに今の発言、国会議員なら一斉に女性議員と世間からの反発買いますよ。
「いずれにしても、もう菊元さん参加で先方に連絡しちゃってるから。まだ本番まで3週間あるし、週末しっかり練習してね。ああ、何なら僕が練習に付き合おうか」
部長と二人でゴルフの練習・・・(もう少し肩を回して・・・)なんて体を触られたりしたら・・・考えただけで肌が泡立つ。絶対無理。
「まあ、これも仕事の一環だから。休日出勤の残業付けちゃっていいし。じゃ、よろしく頼むよ」
結局、休日出勤手当が付くという唯一のメリットのため、私はこのコンペ要員に駆り出されることを渋々受け入れたのだった。
コンペ出場が決まった週末の土曜日、ほんと久方ぶりにゴルフクラブを握った。不思議なものでその日の練習では、そこそこクラブにボールが当たった。合計120球打ったのだが、半分くらいはほぼ真っすぐに飛んで行った。
これなら120台が出るかどうかはともかく、140も150も叩くことは無いだろうと少し安心もした。しかし・・さらに調子に乗って出掛けたその翌週の練習で、一気にささやかな自信が崩壊したのだ。なぜか分からないが前週の好調が嘘のように、全くボールが当たらなくなってしまった訳である。
理由の分からない好調は、理由も分からぬまま不調に陥っても不思議ではない。当然、解決策が分かるべくもない。そして悩める乙女になった私は、そう言えば美波店長の車がゴルフだったことを思い出したのだ。もしかしたらゴルフが好きだから車もゴルフなのかも知れない。そんなコジ付け的奇跡の偶然に賭けてみたのだ。
「そのゴルフはやりませんけど・・・私」
うん、まあそんなものでしょう。いいです。正直、都合の良すぎる期待でしたし。
「そうですよね。ゴルフに乗ってるから、もしかしたらゴルフが好きなのかなって、そんな変な期待しちゃって。ごめんなさい、この電話、忘れて下さい」
期待してなかったものの、やっぱりちょっと声が沈んでしまった。
「おや~何だか今回もお困りのようですね。お話を伺うだけならタダですけれど・・・今日も変わらず暇ですし」
「はあ・・・実はですね・・・」
どうなるもんでもないと思いながらも、事の成り行きを意外と詳細まで私は語ってしまった。こんな風に聞き上手であることが、接客業を営むための資質なのだろう。
「ふ~~ん、突然玉が当たらなくなりましたか。まあゴルフと武術の違いはありますが、どちらも体を動かすことには違いありません。もし菊元さんの不調の原因が、体のバランスだとか、あるいはメンタル的なものに因るものでしたら、こちらも多少専門知識があります。もしかしたら少しだけお役に立てるかも知れません。いいですよ、お付き合いします。練習」
先だってのお見合いの時といい、何とも面倒見の良い人だと思う。今度たっぷりとマッサージ店にお金を落としてお礼としよう。そして今回もお言葉に甘えよう。
「じゃあ、よろしくお願いします。今日のお昼ごろから練習場に行こうと思ってます」
「なるほど。では以前待ち合わせした尼ケ崎駅前のロータリーに伺います。もちろんゴルフGTIで・・・」
そんな感じで真紅のゴルフGTIに乗った美波さんと、ジャージ姿でゴルフバッグを背負った私は、朝の電話から3時間後、尼ケ崎駅前のロータリーで落ち合ったのであった。今日も彼女が車を停めていたのは、思いっきり駐停車禁止の標識がある場所だった。




