えらい活気です(2)
久し振りの投稿です。よろしくお願いします。
5月に入っても、変わらず柔心会本部道場の活気は凄かった。
意識していると気付くもので、一か月半後に迫った6月第3週末に開催される『Rうんちゃら興行プレゼンツ、格闘技の祭典なんとかソレガシ大会』の予告を、何とはなしに点けていたテレビで見たのだ。
今も柔心会本部道場で稽古を続けている溝田紀子のリベンジマッチのプロパガンダはかなり大々的だった。
美波さんのお父さんである小山順一氏の名は、ほとんど出てこなかったが、対戦相手の水澤流星とやらの出場は、これまた溝田さんと同等以上に熱を持って報じられていた。
そして驚くなかれ。画面の向こうで映される溝田紀子の練習風景。日本刀の如き切れ味光る溝田の体落としで投げられているのは、“どすこいお菊”、つまり私なのだ。自分が写ってみて分かる。美波さんがテレビに出るのを長らく渋っていた理由が。ホント照れるやら恥ずかしいやらなのだ。誰も一瞬で空を飛んでいるやられ役には注目していないだろうけど。
(テレビで空飛んでるの、姉貴?)
そんな電話をしてきた実弟を除いて、友人や会社の人達からのツッコミは、今のところない。
家族も友人も会社の同僚も、誰も私が柔気道を習っているなんて知らないのだから。まあ、世の中そんなものだろう。
それでも“柔気道”なるワードを、最近では目や耳にすることが増えてきた。美波さんテレビ出演と溝田紀子“10倍強い”発言の影響大ってところなのだろうって思う。
4月に2回、5月に入って1回、私は“整体シバヤマ”に客として訪れた。体は快調そのものだったが、まあ日頃のお礼の意味を兼ねてである。赤字続きだと言う聞かなくともいい情報まで聞いてしまったことだし。そして今日、整体の施術をしてくれたのが小順一氏、つまり美波さんのお父さんなのだ。
美波さんは今日お店の方はお休み。ここのところ相当に忙しいのだろう。
美波さんの施術を受けられないのは少し残念だったが、氏も元々は整体師で、美波さんがこの店を任されるまでは店長だった人だ。当然の如く、施術の技は素晴らしかった。
背中や腰に感じる圧力は、たぶん美波さんより指が太いからなのだろう。かなり強く感じる。それでも施術の間、まるで痛みを感じることも無く、全身の血流がどんどん良くなっていくのが感じられるのだ。
「バランスの取れた筋肉です。柔らかく弾力がある。骨格の歪みも全く認められません」
多弁な人ではない。でもごく偶に、そんな言葉を掛けてくれる。実に優しそうな声だ。声を掛けられる度、私は曖昧に相槌を打つ。
「こちらに出稽古にくるときは、芝山家に寝泊まりさせてもらっています。タダで寝食ってのも気を使うので、代りにこの店を手伝わせてもらっています。私がお返しできる事など、それほど多くないもので」
聞いてもいないことまで小山氏は話してくれる。飽くまで朴訥とした口調で。きっと根が正直者なのだろう。
この小山氏が本部道場にいる時間の大半は、氏自身の試合に向けた練習だ。それでも合間あいまに、私達一般道場生に指導をしてくれることもある。なにせ正式な“外部師範”なのだ。あの美波さんと10分以上も戦える実力をお持ちの方なのだ。
それでも来月に氏が戦うのは、若き天才キックボクサー。常識的に考えて勝ち目は薄いだろうし、何より怖くはないのだろうか。
「来月の試合、怖くはないですか?」
心身ともにリラックスさせてくれる氏の優しい施術に、多少心が緩んでしまったのだろう。
聞かずともよい問いを、私は思わず氏に掛けてしまった。
ぴくりと一瞬だけ氏の手が止まった。それでもそれは一瞬だけだった。
「もちろん、怖いですよ」
すぐに施術を再開した氏の回答。配慮のない愚問をしてしまったことを、この期に至って反省する。そんな予想できたであろう氏の回答に対しての言葉など、むろん準備できていない。
(じゃあ、なぜリングに上がるのでしょう?)
敢えて言葉を繋ぐとすれば、そんな質問となるのだろうが、それは声にはならなかった。
「じゃあ、なぜ戦うのか?そんな齢になってまで・・・そう言いたそうですね」
いえ、そんな・・・いえ、そうです。お聞きしたいです。勘のいい人だ。美波さんと同じく。やっぱり親子だ。
「私も60を過ぎた。日に日に体力も低下している。どんどん自分が弱くなっていくのを自覚する毎日です」
40代、50代の人はよくそう仰いますね。会社でも耳にしますし、両親もよく愚痴っていたものです。
「体と技の総合力で言えば、14~15年前が私のピークだったかも知れません。あの頃の私と今の私が戦えば、今の私は昔の自分に到底敵わないでしょう。それでも芝山美波には敵いませんでしたけどね」
自嘲気味に小山氏が笑った・・・ような気がした。うつ伏せ状態の私には、氏の表情が伺えないのだ。
「ああ、ご質問の答えになっていませんね。言葉が適切かどうかは分かりませんが、自分が何者であったのかと確認したい。そのために戦う。こんな答えになるのでしょうか」
(何者なのか?)ではなく(何者だったのか?)
それが過去形であることが、何となく私には分かる様な気がした。自分の足跡を振り返る。そんな感覚なんでしょうね、きっと。
「こんな齢になってしまった私なんかはそうだ。でも美波、あの娘なんかは少し違う」
えっ、美波さんのこと?違うって何が。
「あの娘はまだ、自分が何者なのかを知らない。それを知りたいと望む日が来たときに・・・いや、失礼。関係のない話でした」
意外にも口数が多くなっていった小山氏が、そんな自分を戒めるように口を閉じた。
でも気になります。美波さんが自分のことを知らないっていうのは一体?
私は続く氏の言葉をしばし待った。しかし、その後30分に及んだ氏の施術中、氏が言葉を発することは一度もなかったのである。
血流がよくなった証拠なのか、私の背中が少し汗ばんでいた。




