この屋根の下に(7)
よろし
たぶん、コゴミの胡麻和えだな、これ。めちゃ美味しい。タケノコの天ぷらも揚がり具合が絶妙だ。稽古後の食事だと言うのに、油で胃が気持ち悪くなったりしそうな予感がまるでしない。
“THE・和食”って感じの料理が、食卓に所狭しと並んでいる。さらに驚いたのが白米の美味しさ。つやつやのホカホカ。口に含み数回咀嚼すると、よく熟れた果物のような甘さが、舌の上にじんわり広がっていく。お野菜たっぷり、やや塩分控え目のお味噌汁だけで、どんぶり1杯は軽くいけそうだ。
「いつも美波がお世話になっているようで、ご迷惑かけてないかしら、菊元さん」
食卓の向こう側で、そう私に声を掛けてくれるのは、何と全日本柔気道連盟柔心会の会長様。
こうして間近で見ると、ホント子綺麗な普通のおばさんって感じなのだが、実はとても偉い人なのだ。どれくらい偉い人か、私なんかにぁ想像もできないくらいなのだ。
会長の横に座って、口数少なく食事しているのが美波さんのお父様、小山順一氏。柔気道の5段。因みに美波さんは、明らかにお父さん似だ。
そして、こちらもほぼ無言でバクバクと、私の横でご飯を食べているのが美波さんとなる。
私を取り巻くいまの状況について、1時間半ほど時を巻き戻して説明しよう。すなわちこうだ。
ワシッと腕を掴んできた美波さんに、私は懇願されたわけだ。一緒に実家に泊ってくれと。
「私には苦手なものが3つあります」
はぁ、何でしょう。達人芝山美波をして苦手なもの3種って。
「一つ目はカマキリです」
カマキリ?あの昆虫のカマキリ?一体どのような脈略なのでしょう?
「子供の頃、誤ってカマキリを踏んづけた事がありまして、その時には少し申し訳ないことをしたなと幼心に思ったのですが、それでも信号のない道路をモタモタと渡っていたカマキリにも非があります。でっ、その後のカマキリの反撃が強烈でして・・・」
まあ、カマキリが信号を意識したりしないでしょうね。でも、一体何の話なのでしょう?すごくテンパってません?美波さん?
「このカマキリ、なんと自らのお腹を突き破って、黒い内臓を私に向けて発射したんです。カマキリにそんな捨て身の大技があるとは知りませんでした。しかもこいつがウネウネと単独で動くんです。おぞましい光景でした」
ああ、それは内臓じゃなくてハリガネ虫とかいう寄生虫ですね。大抵のカマキリのお腹には寄生しているようです。私の雑学の一つです。
「それ以来、カマキリが苦手です。そして二つ目の苦手なものが、実家です」
カマキリと実家を同列に並べますかね、普通。でも実家が苦手とは一体?
「古いし、無駄に広いし、昼間でも家の中は暗いし、冬は寒いし・・・極めつけに夜は幽霊が出ます。これは私の勘ですが、たぶん戦国時代の落ち武者の霊ですね。私が確認しただけでも3人はいます」
本気で言ってるのか、関西人のボケなのか、一体どちらでしょう?純粋な関西人でない私には、ちょっと判断つきかねるのですが。
「まあ、そういう訳で、実家が苦手です。そして3つ目が・・・母です」
母、京子会長のことですね。それは今の美波さんの動揺からお察し致します。
「今から私が監禁される場所には、3大苦手なもののうち2つが同時に存在します。一人では不安です。ということでお菊さん、一緒に来てください」
てな具合で、半強制的に美波さんの実家に引っ張ってこられた私。美波さんの愛車、赤いゴルフの助手席から見た威厳のある大きな門構えに、まず驚いた。しばらく歩いた庭も広かった。
玄関を潜り、居間に通され、精一杯遠慮はしたのだが、一番風呂を頂くこととなり、ああ、ご心配なく。ちゃんと練習の日には替えの下着は準備しているので。そして寝巻替わりに美波さんの黒いトレーナーをお借りし、いま、少し遅い夕食をお呼ばれしているのだ。
4人で四角い食卓を囲んでいる私達であるが、圧倒的に口数が多いのは京子会長。というより、ほとんど会長しか言葉を発していない。美波さんは黙々と食事を口に運び、一方で小山氏は、京子会長の問いに関して、必要最低限の言葉で朴訥と答える。京子会長の小山氏に対する問いの大半は、小山氏の近況に関するものだった。(へぇ~)と思う内容もあれば、(うん、なるほど)って事実もあったのだが、これらを一言で纏めると、(慎ましく何とかやっている)ってことになるのだろう。
意外だったのは、私に関しての情報も、会長はよくご存じだったことだ。もう2年以上も前になるか、美波さんと一緒にタイの道場に行ったこと。赤字続きだという整体の店に、私が偶に通っていること。昨年、西宮サークルとの対抗戦に代表として出たこと。美波フィーバーの最中、何度か美波さんにチーズバーガーを届けたこと・・・諸々。
「じゃあ、そろそろメインディッシュの準備に取り掛かりましょうかねぇ。ちょっとお待ち下さいね」
そう言って会長は台所の方に消えた。今からメインディッシュって、結構お腹膨らんじゃってますけど、現時点で。
いま食卓を囲んでいるのは、小山氏、美波さん、私の3人。かなり長い沈黙。どうにも落ち着かない。私から2人に話しかける話題はないし、そんな立場にもない。誰か打破してくれないかしら、この居心地の悪い沈黙の時間。とっ、その時・・・
「強かったわ」
ぼそりと呟いたのは美波さん。小山氏からの返信や反応はない。
「柔心会の看板に泥を塗る弱さなら、リングに上がる前に、私が引導を渡してやろうと思ってたけど・・・でも、強かった」
(ありがとう)
小山氏は言葉を発したのではない。目の動きだけで、そう返信したように私には思えたのだ。
「コウトウでいいかしら?」
「コウトウとは?」
美波さんの言う“コウトウ”の意味がまるで分からない。“高騰”、“高等”??
(ウウンッ)て小さな咳払いをした後・・・
「小山順一殿 右の者、柔心会外部特別師範に任命する。全日本柔気道連盟柔心会本部主席師範 芝山美波」
やや緊張を覗わせる固い言葉で、美波さんは一息に言い切った。
「だって、ほら、またうちの黒帯連中がコロコロ負けちゃうと、うちとしても問題あるから・・・これからも道場に顔出すんでしょ」
しばらく美波さんをまっすぐに見ていた小山氏が、小さくにこりと笑ったような気がした。




