この屋根の下に(2)
今回は短いです。たまたま切りが良かったので・・・さくっとお読み頂けると幸いです。
ゆっくりと小山氏の方へ、美波さんが歩を進める。
慌てる様子もなく、殊更にもったいぶってもいない。
実の親子二人が向かい合う。その距離は凡そ3メートル。
たぶんこの2人が実の親子だと知っているのは、今この場にいる者では私だけだろう。
たっぷりとした重たい沈黙。えっ、まさか、今から戦うつもり?この親子。
空気が固体化するような緊張感。
「細木さん、それから山下さん、来て」
ふいに美波さんが指名した二名は、共に柔心会の黒帯。年齢はおそらく30代半ば。山下さんとやらの事はよく知らないが、細木さんは確か、以前は空手の選手だったと聞いたことがある。
「じゃあ、まずは細木さんから。このおじさんをぶちのめしてくれる?」
(ぶちのめしてくれる?)
あまりにも唐突で殺伐なその言葉に、細木さんの表情が、一瞬にして固まった。それは山下さんを始め、他の道場生も同じだ。静寂の道場に、約40人分の動揺と困惑が瞬く間に広がる。皆の困惑をよそに、美波さんが実の父に話しかける。
「どうして白帯なの?」
小山氏からの返答はない。沈黙。5秒、8秒。
「柔心会が、白帯の老人を虐めたと評判が立っちゃぁ、こちらが困る。黒を締めなさいな」
「あいにく今日は持参してない」
「ふ~~ん、まあいいわ。今からこの2人に乱取り協力して貰うけど、まさか準備運動が終わるまで、ちょっと待ってくれ・・・なんて、武術家にあるまじき発言はしないわよね」
刺々しさすら感じる美波さんの口調。
一体何なんだろう。実の親子のやり取りに垣間見えるこのよそよそしさは。
いや、分かる気がする。美波さんとお父さんの過去の確執を、以前に私は聞いたことがあるのだ。確か10年ほど昔の話だったはずだ。
「しない」
小山氏の言葉は飽くまで短い。
「そう、じゃあ早速始めましょうか」
美波さんが黒帯2人に向き直る。
「初めに言っておくと、この人、柔気道の5段。5段と言っても、見ての通りのお年寄りだから。もしこんなお年寄りに不覚を取るようなら、いま締めてる黒帯は取り上げるから。そのつもりで臨みなさい。遠慮は無用、と言うより許さない。じゃあ、細木さんから」
そう美波さんに促され、細木さんは小山氏の前に立った。立つには立ったが、それでも細木さんが困っている事は、あからさまに分かる。それほど向き合う二人に体格差はない。
でも、いいのだろうか。この殺伐とした空気。体験入会の女子2人がめっちゃ怖がってるけど。けっこう今まで和気あいあいとやってたのに。正式入会してくれる気満々だったのに。女性の道場生が増えれば嬉しいなぁ、なんて考えてたのに。
「2分。ルールはなし。それじゃあ、始め!」
面ガードもなし。グローブもなし。準備運動もなし。そして何よりルールなし。
空手経験者で柔気道黒帯の細木さんと、小山順一氏、つまり美波さんのお父さんとの闘いが、いきなり始まろうとしていた。




