乙女のピンチ(お見合い編10)
今回は格闘技小説です。
店長さんの施術のあと、ひとっ風呂というか、熱いシャワーを浴びた。
施術室と同じく、水垢の一つもない綺麗なお風呂場だった。
お腹の右側、肝臓の辺りを重点的に温めた。これで例の青い海外製下剤が中和されるらしい。柔軟剤の香り漂う清潔そうなバスタオルで体を拭き、衣服を着け、施術室へ戻る。
(お風呂頂きました~~)って、おや~?
施術室に戻ると、店長の他にもうお一方の姿。この店で店長以外の人と会うのは初めてだ。すらりと背の高いスーツ姿のお兄さん。お顔はやや浅黒く、どちらかと言えばサル顔系。縦に白いストライプの入ったダークグレーのスーツがよく似合う。スーツが似合う人って、昔から好きだ。ヤダッ、けっこうタイプ。
「あら、菊元さん。お帰りなさい。お待ちかねのお洋服が届きましたよ~~」
笑顔という名の玉が転がっているような店長さんの表情。対照的に少しタイプなお兄さんの方は憮然とした不服顔。
「ホント勘弁して下さいって感じです。これが師範のお願いでなければ投げ飛ばしてますよ。ぜったいに」
「ほう、アンタに私を投げ飛ばせるとでも?」
「それができないから、こんな無茶苦茶なご要望にお応えしてるんですよ」
このお兄さん、どちらかと言えば強面と言っていいお顔の割に、意外や声のトーンがやや高め。憎まれ口ではあるが口調自体はかなりお上品。これはますます好感度アップ。何だか今日のお見合い、気乗りがしなくなってきた。いや、初めから乗っていない。
「ああ、彼、私の弟子のワタル。神戸の方でなんか怪しい洋服屋やってんの」
へぇ、ワタルさんですか。どの様な字を書くのでしょう?ニヘラニヘラ。
「怪しいって何ですか。それを言うならよっぽどここのマッサージ店の方が怪しいですよ。そう思いますよね、菊元さん。でもこんな綺麗な女性が、こんな怪しいマッサージ店に来るんですね」
まあ、綺麗だなんて・・・お上手。それに名前まで覚えて頂いて。まんざらでもない気分。
やっぱり女性慣れしてる?まあ、そうでしょうね。
「イダッ!!」
背の高いお兄さんの身長が一気に縮んだ。床に膝を付いている。お兄さんが何故か分からないが突然崩れ落ちたのだ。床方向に。一体なんだっ、何が起きた?
おや、いつの間にか店長さんの細い手が、お兄さんの手首を握っている。とても軽く握っている・・・ように見える。ぴょんと店長さんの人差し指が伸びている。
「これが実戦で使う四教ね。菊元さん、知ってますよね」
はい、さきほどはとても痛かったです。実に貴重な体験でした。でも、こんなに体格差があってもそんな風になっちゃうものなのですね。武術については無知ですが、ちょっと信じ難い光景です。頭一つ半くらい背の高いお兄ちゃんを相手に、細身の女性の力で。
「ちょっと師範、堪忍して下さいよ、イタっ、イタタッ」
「いいや、ひい爺ちゃんの時代からの由緒正しき整骨屋だ。それをよりによって怪しいとは聞き捨てならん」
いや、十分に怪しいでしょ。だってパンツとか突然いっぱい出てくるし。
それにしてもお兄さんの痛がりようが半端ない。いい大人がこんなに子供みたく痛がるかなって感じの苦しみ様だ。ホント、気の毒な事この上ない。
「ああ、お洋服。届きましたよ。お洒落なやつ。どっち着ます?菊元さん」
あっ、いつの間にかベッドの上に二着の洋服が並んでいる。
一着がオレンジ色のワンピース。もう一着が紺色。本当にさっき店長のスマホで見てた洋服まんまだ。見つかるものだ、都合よく。ははぁ、きっとこの痛がっているお兄さんが、先般の電話のお相手さんだな。
ということは、このお兄さんは、店長さんの無茶苦茶な要求に僅か1時間余りで対応し、そしていま手首を締められているのだ。本当に可愛そうだ。本当に申し訳ない。
(どっちでもいいです)って口にしようとして、実はシャワーを浴びている頃から、少し不安になっていたことを先に訊いておこうと思い直した。
「あの~、ほんと色々とこんなにまでして頂いてって感謝してるんですが、お洋服の代金ですとか、どうしましょう。それとマッサージ代とかお風呂代も・・・」
(う~~ん)って感じで店長さんが小さな顔を捻る。やっぱ考えてなかったんだ。この人。1万円ってことはないでしょう。靴もありますしね。3万か4万?ある程度の出費はこの際は覚悟しています。
「あっ!」
あっ?何が“あっ”??
「わたし来月、誕生日」
それはそれは、おめでとうございます。35才ですよね。今の時代では妙齢ですね。
「ちょっと早めの誕生日プレゼントってのは、どう?」
んっ、これは・・・ワタルさんとやらに店長さんは話しかけているのか。しかも誕生日にかこつけて、洋服代踏み倒そうとしてないか。ぱっと見、安物の服には見えないぞ。靴の発する輝きは落ち着いた光沢。もしかして革製?ちょっと頭ん中で得意の暗算。なにせ珠算2級だ。仕事は経理だ。ワンピース二着、靴二足。パチパチパチ・・・ざっと5万円オーバー?
「師範からお金は取れないですよ。今後ともご指導宜しくお願いしますってことでいいですよ」
相変わらず不貞腐れ顔で立っているが、ああ、いつの間にか四教からは開放されていたのね。でもお安くないでしょう、この煌びやかなワンピースとヒール。お洋服屋さんがどのくらい儲かるのか想像もできないけど、大変な損害なのでは?
このまま黙っていれば、きっと代金を請求されたりってことはないのだろうけど、でもド厚かましい女って思われるのも何だかなぁ。
「やっぱり洋服代はお支払いします。今はあまり手持ちがないけど・・・」
「いえいえ、菊元さん、師範のお友達でしょ?受け取れないですよ、代金なんて。きっと師範のただの思い付きだと容易に推測できます。菊元さんもどっちかと言えば被害者でしょ」
(はい)って答える訳にもいかない。いやでも5万円ですよ。飽くまで想像だけど。てか、師範シハンってそんなに偉い人なのでしょうか、この店長さん。ここは思い切ってワタルさんに話かけてみよっと。
「先ほどから、店長さんのこと、師範って。あの~武術の方のお弟子さんですか?」
自分から話しかけちゃった。少しタイプのお兄さんに。いいぞ、その勇気。頑張れ、加奈。
「いや~師弟関係というよりは・・・」
いうよりは?
「人生の恩人って感じかな。お母さん・・・って言ったらまた締められますが・・・」
人生の恩人って、何だかえらく大層っていうかディープというか、何なんでしょう?一体どんな関係なのでしょう?少し焼いちゃいます。
「あの~~お二方の馴れ初めは・・・」
馴れ初めって訊き方は絶対におかしいな。物理と同じく国語も得意ではない。お二人が男女の関係でないことは一目で判るが。
「いや~昔やんちゃしてた時期があって、師範にコナ掛けて、そんで手首の関節を外された事があるんです。もう6年、いや7年前か・・・」
コナ?手首?何じゃそりゃ。脈略がまるで判然としません。
「まあ俺はマシな方です。他の11人はあごの骨割られたり、蹴られてキンタ〇3倍に膨れ上がったり、前歯全部無くなったり・・・ああ、鼓膜破れた奴もいたなぁ~。入院したのは何人だったけ・・・4人、5人・・・」
11人?ああ、ワタルさんも含めて12人か。12人が店長さんにあご割られた?キンタ〇??えぇ?まるでシチュエーションが・・・あっ!12人!!もしかして、あの花時計公園の・・・
「こら、ワタル、記憶の無くなるツボ突いてやろうか。いつまで下らん古い話を覚えてやがる」
一転してドスの効いた店長さんの声色。これは迫力がある。美人なだけにより一層。慌てて口を抑えるワタルさん。でもでも・・・
「あの~まさかとは思うんですが、今の話って、あの花時計公園の乱闘騒ぎの話とは・・・」
店長さんとワタルさんが同時に背をびくりと震わせた。その反応・・・やはりというかまさかというか。
「え~~と、その公園の話って・・・けっこう有名なんでしょうか?」
何とも不安そうな顔で店長さん。さっきのドスから一転して実に乙女チックな雰囲気。35才のお誕生日、おめでとうございます。え~と、花時計公園の話は・・・
「有名かどうかは知りませんが、当時住んでた実家が近かった所の事件だったもので、けっこう印象に残っています」
「うゎ~~~黒歴史・・・」
店長さんが本気顔で弱っている。やっぱりあの暴走族12人を殲滅した女性ってのは、店長さんだったんだ。
「いやいや、暴走族12人をぶちのめしたってのが黒歴史じゃないです。むしろ武術道場としては宣伝効果があるくらいです。師範が黒歴史って言うのは、初めて好きになった人との初デートの場で、そいつを披露しちゃったことなんですよ。12人相手にですよ。そりゃ、引きますよね、お相手さん。ねっ、そうでしょ、師範」
少し立場が入れ替わり嬉しそうな顔で補足説明してくれたワタルさんが、次の瞬間宙を舞った。背中から床に落ちた。ドスン!って派手に。結構でかい音がした。下の住人、びっくりしなかったかな。
「菊元さんも記憶が飛んで無くなるツボ、押して欲しいですか~~」
笑顔のやや引きつった店長さんの小さなお顔が、とてもチャーミングで、そしてとても怖かった。




