わたし、他流試合に出る(7)
次回、本編完結です。長々と失礼しました。
「おぎぃ~ぐぅ~ざぁぁ~~ん~・・・がんどぅぅ~~じばじだぁぁ~~~!!あどばんでぃどじっぐに~だえにどだえでぇ~~~・・・いっっじゅんのずぎをのだだずぅ~~・・・」
ちょっとなに言ってるか分からん。
白帯女子高生2人組が、顔をぐちゃぐちゃにして私にすり寄ってくる。
涙はまだいいが、鼻水を擦りつけてくるの、やめてくれる?
涙まみれ鼻水まみれの彼女達の顔は、相当にみっともない。でも私の顔も、実はそれと大差ない。面ガードを外すと同時に、目と鼻から生暖かいものが溢れ出てきて止まらなかったのだ。汗まみれでよかった。涙と鼻水を誤魔化せるから。
信じられない事に、どうやら私はナガサキさんに勝ったらしい。
「まだ対抗戦は続いてるから、みんなで応援しようね」
声が震えるのをどうにか抑え込んで、高校生二人にそう言った私ではあるが、今も肩と太ももの震えが止まらない。美波さんが支えてくれていなかったら、きっとここまで歩いてくることもできなかっただろう。両方のこめかみで、小さな心臓二つが熱く脈を打っていた。
少しだけ自分が落ち着いたと認識できたのは、引き分けになった副将戦も終わり、我ら柔心会大将の亀谷指導員と赤シャツ大将ナ〇パとの5試合目が始まった頃だ。
巨躯から繰り出されるナ〇パの力技に、やや劣勢に回るシーンは見受けられたものの、それでも冷静に対処し、ナ〇パの猛攻を亀谷さんは捌き切った。
この大将戦も、互いに有効打無しの引き分けとなり、柔心会と西宮サークルとの対抗戦は、1勝1敗3引き分けという結果に終わった。そして貴重な柔心会の一勝を挙げたのが、信じられないことに“ドスコイお菊”こと私なのだ。
時刻は9時を数分回っている。
いま私たちの陣形は、最怖民族が約2時間前に地球に降り立った時とまるで一緒だ。
私達は5列に適当に並び、最怖民族たちは一列に並んでいる。一際に背の低いナガサキさんが、西宮側の左端。これも2時間前とまるで同じ。列の右端に立っている赤シャツリーダーが口上を述べている。透き通った声で。
「・・・3年ぶりの・・・非常に充実・・・特に対抗戦は・・・白熱した・・・勝った・・・負けた者はなおさら・・・」
多少落ち着いたと思ったのは気の性だったようで、赤シャツリーダーのよく通るはずの声が、今もまるで耳に入ってこない。いま自分の足で立ってることが、何だか奇跡の様だ。少しでも気を抜くと、膝がわらわらとする。意識を沈めるイメージで、こっそり2回、私は深呼吸した。
美波さんはいまどんな表情をしているのか気になる。でも私の後方に立っているはずなので、それを確認できない。いまも赤シャツリーダーは喋っている。格闘技者って無口で口下手な印象があるけど、皆が皆そうではないらしい。
「・・・では、恒例の・・・抗戦・・・MV・・は・・・・会・・選手・・・モト選手・・・キク・・・前へ・・・」
さすがに私は少し疲れているのだろう。早く終わらないかな~この長い話、なんて考えていた。
「コラッ、お菊。名前を呼ばれたら返事くらいしろ!」
後方から聞こえた美波さんの一喝。驚いて振り返ると、迫力ある一喝とは対照的な、とても優しい顔の美波さんが立っていた。
「菊元選手、前へ」
美波さんの方、自分の後方を振り返っていた私の顔の向きが、赤シャツリーダーの声で正面に戻される。訳の分からない私は、もう一度美波さんの顔色を伺う。
(うん)
そんな感じで、美波さんが小さく短く、あごを引く。
テコテコと訳も分からないまま、赤シャツリーダーの前に立つ私。
「菊元選手、今年の対抗戦のMVPです。素晴らしい戦いでした。改めて柔気道の技が、スポーツの類ではないものだと再認識させられました。うちのナガサキにとっても、貴重な勉強の場になったと思います。MVP、おめでとうございます」
えっ、MVP?わたし?
困惑の極み状態の私に、赤シャツリーダーが手渡してくれたものは・・・んっ?キックパンツ?シルバーのド派手な。あっ、タイで美波さんが着けてた正にあれだ。てことは・・・
綺麗に折りたたまれていたキックパンツを広げると、予想通りピンク色の文字で大きく“西宮格闘技サークル”と書かれていた。それも刺繍だ。
「もし菊元選手が将来リングに上がる様なことがあれば、是非着用して下さい。うちとしても宣伝効果がありますし」
いや、リングになんて絶対上がらんし。当然のこと街中でもこんなの履けないし。
「夏場はマジャマ代りにもなります。通気性は抜群ですから」
腰のゴムの部分が、いかにも丈夫そうで、そんでもってとても分厚い。これをパジャマ代わりに使うとなると・・・
「あの~私、ナガサキさんみたいに若くないんで、このゴムの部分の締め付け跡が、起きてから寝るまで、一日中消えないかと・・・」
どっと笑いが起こった。西宮の人からも柔心会のメンバーからも。いや、真面目な話だったのに。
「何にせよ、MVPおめでとうございます」
やや苦笑気味の赤シャツリーダー。その時・・・
「お~~き~~く~、お~き~く~~」
私の後方、柔心会のメンバーの誰かが始めた“お菊コール”が、徐々に大きくなっていく。
合わせて手拍子も。そしてなんと西宮サークルの方々からも。
瞬く間に、手拍子付き“お菊コール”が道場内に響く。
ちらりとナガサキさんに視線を向けると、彼女もあどけない笑顔を浮かべ、手を打ってくれていた。そのことが私には、とても嬉しかった。
一度は収まっていた生暖かいものが、また湧き出てきた。
長い一日が、ようやく終わろうとしていた。




