わたし、他流試合に出る(5)
今回はあまり自信がありません。お許し下さい。
(ふ~~ん、黒髪ショートの名前は“ナガサキ・ミク”って言うのか~~もしかしたら、近く彼女は、プロの選手になるかも知れない。じゃあ名前くらい覚えておこう)
てな事を考えている私が、今どんな状態にあるかと言うと、美波さん曰く“プロレベル”である黒髪ショートのパンチやキックを、雨あられの如く全身に受けているのだ。
顔の正面から“ドン、ドン、ドン!”。パンチの軌道が変わり、横っ面を“バカン、ドカン、ドスン!”たまに脇腹に“ズシン”
この“ドン、ドン”、“バカン、ドカン”、“ズシン”のセットは、たった数秒の間に私の体に叩き込まれている攻撃なのだ。だから周りの人には、きっと“ドドドドン!”、“バババカカン!!”ってな感じに聞こえているのだろう。
不思議だ。こんな非日常的とんでもない状況にいる私なのに、相手の名前の事とかを、いま私は考えている。赤シャツリーダーが、(西宮サークル、ナガサキ選手!)とコールしたことと、西宮の人達から(ミク、ファイトー)って声が聞こえたから、たぶん彼女の名前は“ナガサキ・ミク”なのだろうと想像できたのだ。
時間の感覚が相当に麻痺してる。死に際の走馬灯って、正にこんな時間感覚の麻痺が、その正体なのだろう。
“ドドドドンッ”と顔の正面を叩かれる。その都度、私は逃げる。前に。“バババカンッ”って横面に衝撃を受ける度に、大きく一歩前に足を運ぶ。
改めて美波さんって凄い人だと思う。
(お菊ちゃんが経験したことのないスピードと手数)
その言葉を事前に聞いていなければ、とっくに心が折れて、勝負を投げていたことだろう。
(面ガードを着けているので、数発いいのをもらっても倒されることはない)
いま貰っている攻撃は強烈だけれど、我慢してできない程でもない。そんな気がするのは、たぶん、一種の暗示の様なものに、私は軽くかかっているのだろう。
決して多くはない言葉で人をそんな気にさせる。こんな芸当も、一連の美波マジックの一つなのだろうと思う。
「攻撃当たってるよ~~接近戦になったら膝を突き上げて!」
西宮の人のナガサキさんに対するアドバイスらしい。戦いの最中にでも聞こえるように大声を出しているのだろうけど、こんな状況でちゃんとそれを聞き取っている私って、意外とすごい?
またまた、胃の正面辺りに重い衝撃を受けた。ナガサキさんの膝だ。膝蹴りだ。何もかも美波さんの言った通りに事が進んでいる・・・はずだ。そう信じよう。それしか縋るものが、今の私にはない。
いま私に降り注いでいる痛みや恐怖から逃れるように、さらに前に体を進める。
また横っ面を殴られた。こうなったら相手のパンチは無視。膝蹴りだけに意識を集中する。
もう一回出してくれないかな、膝。抱きついてやるから。抱きついて逃さないから。愛しい彼氏の体だと思うから。そのためには接近戦。
さらに一歩踏み込めば、それは本当に男女が熱く抱擁するような距離だ。
ゆっくりとナガサキさんの膝が向かってくる。私のお腹を目掛けて。ここでも時間間隔が歪んでいる。プロレベルの彼女の膝蹴りがゆっくりな訳がないのだ。それでも私の時間軸では、それはとてもゆっくりだった。
焦らず焦さず、この愛しい膝に抱き着く。抱き付いて押し倒す。床へ。そして意識を沈める。愛する男をベッドに誘うように。実際のところ、そんな経験、ほとんど私には無いのだけれど。
それは“ステン”という感覚だった。“ドスン”でもなければ“バタン”でもない。いま私たちが戦いの最中にいることが嘘のように、実にあっさりと、私はナガサキさんの背中を畳に付けることに成功した。
柔気道を習い始めてから、何度も聞いた美波さんの指導。
(決して力んではいけません。力んだ技では人は倒れません)
(愛する男性をベッドに導くように)
(なんじゃ、そりゃっ)って普通の人なら思うだろうアドバイスの背景には、実はとても深い意味があったのだ。まるで力を要することなく、ナガサキさんの体を床に転がせた事実が、そのことを証明している。やっぱり美波さんってすごいのだ。信じることができるのだ。
だったら、私、もしかしてホントに勝てる?アタッ!
少し邪念が沸いたのがいけなかった。繰り出されたナガサキさんの右のパンチを、左の頬に受けた。さらにもう一発。でも、なんてことない。立ってる時のに比べれば、まるで力感がない。でもちょっとウザいな。この右手。押さえつけちゃれ!うわっ、今度は左?じゃ、こっちの腕も。
私はナガサキさんに跨る格好で、彼女の左右の腕を、両手を使って押さえ込んだ。
目の前にナガサキさんの顔がある。2枚の強化プラスチック越しに見る彼女の顔には、年相応の幼さが感じられた。そりゃそうだろう。だって年齢が倍半分、私と違うんだから。
それでも眼に力がある。闘志が溢れている。
彼女はまだ中学生。なんで格闘技なんだろって思う。他にもっと楽しい事がある年齢であり、時代であるはずなのだ。
私の体の下で、ナガサキさんが暴れる。だからと言って、簡単に譲る訳にはいかない。
(杉山君のリベンジは、お菊ちゃんに託しました)
あの芝山美波から、そう激励されて送り出された私なのだ。譲れないのだ。散々殴ってくれちゃって、多少私も頭に来ている。ナガサキさんの両手を抑え込んでいるとは言え、私の両手も塞がっている。いま私の体で自由なのは・・・頭!
サッカーのヘディングよろしく、力いっぱい自分のおでこを、ナガサキさんの顔にぶつけた。
想像以上の衝撃で、自分の首もグキッってなった。でも大丈夫。
“ドスコイお菊”こと、わたしの反撃開始。




