乙女のピンチ(お見合い編9)
今回少しマッサージ小説風です。
うなじを始点に背骨に沿って店長さんの指が下りていく。2往復、そして3往復。
計ったような一定のリズムと圧力。
「うん、正解です」
んっ、正解?何が??
「菊元さん、いま両手を広げてるじゃないですか。その体勢で背中のマッサージを受けるのは正解です。手を上げたり、逆に下した状態では、広背筋の束の隙間に指が入るづらいんですよ。少し知恵を授けますとね、初めて入った店でマッサージを受ける時、最初は手を上げるか下げるかの状態で寝そべってみて下さい。そこで(手は横で)ってお願いもせず、そのまま施術を始めるような店は、次から行ってはいけない店です。
ふ~ん、意識している訳ではないのですけれど、自然といつもこんな体勢です。
「例えば、ここのツボ」
そう言って店長さんは、両手の親指の先を私の背中に押し込んだ。肩甲骨の下辺り、背骨の中心から外側に左右それぞれ8センチくらいの位置だろうか。ビリリって感じで背中に電流が走った。
少しびっくりしたけど、店長が指の力を抜いて、その場で小さな円を描くような施術に変わると、(ジ~ン、ジ~ン、ジ~ン)て感じの小さな刺激に変化した。スーパー銭湯なんかにある電気風呂の湯舟に、背中のその一部分だけ局所的に浸かっている感じ。これが何とも心地よい。もうゆるゆるになっている筋肉の力がさらに抜けていく。
「いいですねぇ、その脱力状態。これくらいリラックスして貰えるとマッサージの効果も高まります」
「やっぱりリラックスしている状態で受けるのがいいんですか?」
「そんなの当たり前です。少しでも痛いって思うマッサージをする店なら、そこも行ってはいけません」
この店長さんはどうも同業さんに対して、なかなかに手厳しいようだ。
あっ、それでも・・・思い出した。
「前回お邪魔した時、足の指を引っ張られて、すごく痛い目に会いましたけど」
別に恨んじゃいない。その施術のあと、体の調子は近年にない程、すこぶる良好だったのだから。至極単純な疑問からくる質問だ。
「あれはマッサージじゃなく整体です。整体の場合は、多少痛い思いをしてもらうことも時にはあります」
きっと店長さんの中では、整体とマッサージの明確な定義の違いがあるのだろうけど、それを問うてしまうと、また店長さんの熱いスイッチを押してしまいそうに感じたので止めた。でも何だか俄然興味が湧いてくる。もっと色々とアドバイスを頂きたい。慢性肩凝り性にしてマッサージ愛好家の私としては。
「他に、こんな店は駄目ですって内容はありますか?」
「まだまだありますよ。肘を使ってマッサージする店、これも絶対ダメです」
えっ、肘を使う店いっぱい経験しましたけど。背中なんかは肘を使ってグリグリ強くマッサージする店の方がはるかに多いと思うくらい。肘の先の固いところでグリグリってされるの、けっこう気持ちいいんですけど。
「けっこう肘使う店、多いように思います。あれはあれで、それなりに気持ちいいというか・・・」
「肘の固さを使ってマッサージしなければいけない部位なんて、人間の体にはありません。それを気持ちいいと感じるのは、痒いところを掻れて気持ちいいのと一緒です。けっして体がほぐれている訳ではありません」
へぇ~、すごく勉強になります。これまで無駄なお金を使ってきたのかも知れません、私。
「あと、施術中に、(強さはどうですか~)なんて聞く店もお勧めできないですね」
えぇ、それって聞く方がむしろ親切なのでは?お客側も(もう少し強く・・・)なんてお願いしたい場面ってあるように思いますけど。
「それって、例えばお医者さんが、(薬はどれがいいですか?)って患者に質問しているのと同じですよ。そのお客さんにとってのベストの強さってのがあって、それは患者さんの感覚的なものではありません。マッサージ師がベストの強さを自分で見つけるべきです」
それって具体的にはどういうことなのでしょう?
そう思った時、店長さんの指が私の肩に乗っかった。じわっと圧力が加えられる。
「いま、菊元さんの肩の筋肉を押してます。ここも大きな筋肉の一つです」
「あっ、はい」
「おぉっ、さすがに若いですね。筋肉に弾力があります」
(いえいえ、若くないですよ)と口にしかけて慌てて止めた。私より5つか6つ、店長さんの方が年上であることをさっき知ったばかりなのだ。
「少しずつ押し込んでいくと、筋肉から返ってくる反発も強くなっていきます。物理で言うところの作用反作用の法則ですね」
はい、何となく分かります。物理はあまり得意じゃないけど。
「さらに力を込めていくとですね・・・はい、今」
えっ、今って、何が今ですか?私にはさっぱり分かりません。
「ちょうどこの強さで筋肉から返ってくる反発力が急に強まりました。筋肉が緊張し始めた証拠です」
そうなんですか?私には全く自覚がありませんが。
「この筋肉が緊張を始める寸前の強さが、その患者さんに対してのベストの強さです。菊元さん、いま痛いって感じてますか?」
いえ、全く感じてません。これっぽっちも痛さなんて自覚できません。
「でしょ。人間が痛いと感じるずいぶん前から、筋肉は緊張を始めます。人間の感覚が作用していない分、筋肉からの応答の方がはるかに正直です。だから人間が痛いって感じる強さは施術としてベストの強さを既に通り過ぎているんです」
ふ~~ん、よく理解できますが、それでも(もっと強く)ってお願いされるお客様っているんじゃないないでしょうか?何かちょっと物足りないというか。
「もちろんいらっしゃいますよ。先日も(翌日に揉み返しが出るくらい強めに)ってお客様がいらっしゃいました。それでも体に悪影響を与えるような施術は、例えお客様の希望であってもやる訳にはいきません。私たちはプロですから。揉み返しの痛さを期待するなんて、ほとんどSMの世界ですね」
なるほど。希望を拒否されたそのお客様はどうされたのでしょう。
「それでも痛くしてくれってしつこいもんですから、ちょっと悪戯してやりました。体に悪くない程度の悪戯をね」
うつ伏せになっている私には見えないが、店長さんの声色の様子で分かる。今きっと店長さんは、あのチャーミングな悪戯っ子顔をしているのだろう。
そして私の右腕の手首を握った。ふわっと優しく緩く。店長さんの掌の温もりが手首から伝わる。そこまでは心地よかった。実に・・・しかし、次の瞬間・・・
「イダダダダ・・・!痛っ・・・!!」
手首の内っ側にとてつもない痛みが発生した。いくらも店長さんは力を込めているようには思えない。軽く私の手首を握った状態は全く変わっていない。にも拘わらず、この激しい痛みは一体なんだ?痛さが我慢の許容一杯になった時、(フッ)と痛みが治まった。
「はい、ごめんなさいね。いま手首の付近にある痛いツボを人差し指の付け根で押したんですよ。合気道の世界では、(四の教え)、四教なんて呼ばれる締め技です」
おおっ、またもや武術の技ですか。てか、ハチャメチャ痛かったんですけど。
「手首以外にもこんなツボが人体にはいっぱいあります。一通り押して差し上げました。その間中、ずっと喚き散らしてうるさかったけど」
それはそれは、気の毒なことです。でっ、そのお客さんは・・・
「もう二度と来ないでしょうね」
はあ、あっさりしたことで。それでいいのでしょうか、お店として。
「本当につらい肩凝りや腰痛に悩んでいる人は他に沢山いますから。快楽を求めに来てるなら、どうぞ他のお店に行って下さいって感じです」
何ともプロ意識を感じさせる言葉だ。
そんなやり取りの間も店長さんの施術は決して止まらない。淀むことなく私の背中を解してくれている。血の巡りがよくなっていくのが、こめかみで感じられる。ジン、ジン、ジンって血がこめかみの方に巡ってきているのだ。本当に凄いテクの持ち主だ。
「こめかみで分かるくらい血が巡ってます。凄く気持ちいいです」
尊敬と感謝を込めてそう言った。
「マッサージとは即ち血の循環をよくすること。そう考えて頂いてほとんど間違いではないです」
ふ~ん、あっ、でもそれなら例えばお風呂なんかに入っても血の循環はよくなりますよね。
「体にかかる負担が全然違います。血管を水道管に例えるなら、強制的にポンプで詰まっている物を押し出すのがお風呂。丁寧に配管をお掃除するのがマッサージ。お風呂って、実は心臓や血管にかなりストレスをかけているんですよ。肘を使ってのマッサージも、血管を傷つけるという意味では同じです。菊元さんはまだ若いけど、年を取ってからは特に、風呂の入り方は注意した方が賢明です」
ああ、確かにお年寄りの方がお風呂場で亡くなるって話は、よく聞く話だ。
それにしても分かり易く、説得力のある語り方を店長さんはするものだ。
ウ〇チの量をバナナの本数で表現したり、洋服の色から車のことを連想したりと、その独創性は、時に付いていけないほど物凄いけど。きっとすごく頭の回転の速い人なんだろうと思ってしまう。
「はい、これだけ血の巡りがよくなったら、お顔の浮腫みもすぐに引くでしょう。じゃあ、バスタオルとか準備しますんで、そのままお風呂行って下さい。でっ、ここ・・・」
(ここ)って言いながら店長さんは私の背中の右側を押さえた。お尻のほっぺたの少し上あたり。
「ここ、肝臓です。少し熱いかなってくらいのシャワーで、ここをしっかり温めて下さい。さっきのお薬が中和されてお腹の調子が戻ります」
ええ、お風呂でシャワーするんですか?そんなこと、これまで通ったマッサージ店では一度もなかったですけど。
「はい、これ、バスタオル。では、よいお風呂を・・・」
段取り万全。問答は無用のようだ。ではお言葉に甘えまして、行ってきま~す。




