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拝啓、三十歳の私へ

作者: 菜畑三太郎

お元気ですか?今の私は、まぁまぁそこそこうまく生きることが出来ています。


個人的に嫌なことがあって、たまたま小学校六年生の私が二十歳の私に宛てた手紙を見つけたので、気を紛らわせるために手紙を書いています。




中学校、高校、大学を経て、私が私として存在している、と感じることのできることの根幹は常に「他者」で構成されていたことを最近思い知りました。

小さい頃はエゴばかりが強くて、他者など関係なく、自分がこの世で一番で、最も優れている人間だと感じていたあの人間が、ここまで成長しました。




最近、何をするにしても他者を気にするようになりました。

あんなに特別に思えていた私は今やただの凡人で、キラキラ輝いていた夏の日差しはただの熱光線を出すだけの邪魔な存在で、夏が来たんだ!と心躍らせていたセミの大合唱は今やただの騒音です。

どんどん、世界が色褪せていくかのように思えています。




三十歳の私は、今どこで何をしていますか?


何を感じ、何に心躍らせながら、どんなことを考えながら生きていますか?


生きている、というのは楽しいことなのでしょうか?


大切な人たちは、いまだ健在でしょうか?


心の底から、愛する人は出来ましたか?







結局ここまでの二十一年間、心の底から信じられる人など片手で数えることが出来る程にしかできませんでした。

「信じているよ」と背中をさすってくれた人もいました。本当にうれしくて、涙を流しながら喜んだこともありました。しかし、結局は些細なことから再び信じることが出来なくなってしまいました。





「人は人を裏切るんだ。そういうルールだ」

そんな言葉に、まだ心がゆすぶられます。

今の私は、少なくともそんな風に感じています。




なぜ、彼女のことを信じることが出来なかったのでしょうか。


なぜ、彼女を愛することが出来なかったのでしょうか。






三十歳の私は、もしかしたらその答えを持ち合わせているかもしれません。


私とて、彼女との思い出を「ひどい女だった」のたった一言で終わらせたくはありません。


終わらせたくないのに、それでもなお信じることが出来ません。



封筒のなかに、彼女との写真と、最後にもらった手紙を入れておきます。


本当は、今日のロックミュージシャンのライブのチケットとともに全て燃やすつもりでいました。


しかし、理性でこれ以上燃やすことは止めておきます。


彼女が私の人生においてどんな存在だったのか。


どうか私に教えてください。


お願いします。




2018年8月24日


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