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魔神を倒す力ってなんなんですか!?③

 魔神同士が相争うホールに足を踏み入れた瞬間、フランは咄嗟に身を隠すことを選択した。

 その判断が功を奏して、マナとアラヤ――に憑依しているガビーロール――の標的からは外れているようだが、姿を見られていないとは限らない。

 否、ラティシア単独ならともかくエリナもいるのだ。

 他に仲間がいると思われていることは明白だろう。

 だが、まずは一網打尽にされないこと。

 そう考えての選択だったが、状況はフランも想定しない方向に向かっていた。

 強烈な竜巻にがんじがらめに拘束されるエリナ。

 激しく放電する雷の縄に束縛されるラティシア。

 マナとアラヤは、プロシオン戦の時と同じように手と手を合わせて、身体中に浮かびあがった紋様と魔法陣と共に強大な魔力を沸き立たせている。

 きっとまた、あの青い姿の精霊性の存在が喚び出されるのだろう。

 炎の魔神プロシオンは、あの存在によって為す術なく消滅してしまった。

 今度はマリウスがその対象になっているのだ。

 ロミリアとリエーヌが張ると言っていた結界が、すでに準備できているとは思えない。

 それがこの状況で有効に作用するかどうかもわからないのだ。

 どうする? 私になにができる?

 フランが使える神聖魔法の中には、エリナとラティシアをこの魔法の束縛から解放できそうなものはなかった。

 だけど今、なにかしなければ――

 その時、フランの脳裏に、マナとアラヤが荒い息をついてへたりこむ姿が思い起こされた。

 空間がゆらりと揺らめき、現実のマナとアラヤのすぐそばに青い衣を纏った女性の姿が浮かびあがる。

 もう、考えてる暇はない。


「慈愛と癒やしの神リデルアムウァよ! 聖なる光を! その眩き光で闇を払いたまえ!」


 ガビーロールはやはり、フランがいることも把握していたのだろう。

 フランが物陰から飛び出してその聖句を唱えた瞬間、マナとアラヤとの間に人形のガビーロールが躍り出てきた。

 それがマナとアラヤを直接害するような魔法だったら、それで防がれていたかもしれない。

 だがそれは、単なる光を放つ魔法。

 その効果の強さと神聖魔法であるという違いはあったが、かつてリクドウが魔法の授業で見せたような、初歩的で基本的な魔法であることは間違いなかった。


「きゃあっ!?」


 人形のガビーロールはそのまま組み付くようにフランに襲いかかる。

 しかし、その背後では眩い光が放たれ、ホール全体を真昼のように照らし出した。


「「くっ、これは――」」


 マナとアラヤが同時に、両手を繋いだ状態のまま光を避ける素振りをする。


「は、ははは。ただの光の魔法ではありませんか。それで一体何をしようと――」


 アラヤの口から出たガビーロールの言葉が突然途切れた。


「あら。ただの光の魔法も捨てたものじゃないわよ?」


 そして、驚愕に見開いた目をマナに向ける。


「アラヤも目を覚ましなさい。お寝坊さんはおしおきよ?」


「ハッ、起きてるに決まってるだろ? ガビーロールが手放しそうになってた『ジャニュアリー』の制御、こっちに取り戻すのにちょっと集中してただけだ」


 アラヤの表情は驚愕から不敵な笑みに変わった。


「そっちこそ、ガビーロールの本体、掴んでるんだろうな?」


「当然よ。わたしたちのナカに土足で入り込んできたこと、絶対に後悔させてあげるわ」


「同感だ。じゃあ、行くぜ」


「ええ、行きましょう」


 二人は繋いだままだった両手にきゅっと力を込める。

 竜巻の束縛から解放されたエリナが咄嗟にフランの方を見ると、フランは自分に絡みついていた人形を撥ね除けて起きあがろうとしているところだった。


「フラン! 大丈夫!?」


「大丈夫! ちょっと転んだだけだから! この人形、もうガビーロールが動かしてないみたい! それよりエリナはマリちゃんの方を!」


「わかった!」とエリナが答えようとした矢先に「ダメだ!」という声があがる。

 アラヤだった。


「エリナ、オマエはオレたちが『ジャニュアリー』を使うところをよく見てろ。オレたちはガビーロールをやる。そっちの『鎧』はオマエがやるんだ」


「じゃにゅありー……?」


 青い衣の女性がふわりと浮かぶ。

 アラヤは以前にもその力はエリナにも使えるというようなことを言っていた。

『ジャニュアリー』とは、マナとアラヤが喚び出した、この精霊のような存在のことなのだろうか。


「魔神マリア!」


 今度はラティシアの声があがる。こちらもすでに雷の束縛からは解放されていた。

 魔神マリアの方も、ガビーロールに仕掛けられた結界を打ち破っており、この場から立ち去る様子を見せている。


「ラティシアさん! マリちゃんを抑えて!」


「元より逃す気などない!」


「うん! 信じてる!」


 ラティシアは魔神マリアの方へ、エリナはマナとアラヤを追いかけて駆け出した。

 魔神マリアとラティシアの間には、何体もの鼠の魔神が現れはじめる。

 新たに物陰から現れた者もいれば、ガビーロールによってやられた傷を修復しながら立ちあがる者もいた。

 地獄絵図だ。

 その地獄の首魁が誰であろう、ラティシアが仕えるべきマリウス皇子殿下――否、魔神マリアなのだ。


「魔神を産み出す魔神『母なる者』マリアよ……。鼠を魔神化しただけでこの惨状。断じて貴様を人の世に解き放つわけにはいかん。ここで、葬り去る!」


 ラティシアは次々と襲いくる鼠魔神を神速の剣技でなぎ倒していく。

 魔神と呼ぶには脆弱な存在だとしても、一体一体はジントロルにも匹敵する力を備えているそれをだ。

 鉄壁の防御と神速の剣。

 ラティシアは、しばらく忘れていた戦いの感覚を、剣の一振りごとに思い出していた。

 十二年前のあの日、魔王の居城に潜入した際、ラティシアは百を超える魔王軍の精鋭と『魔界大元帥』と呼ばれる魔神スールトを相手に死闘を繰り広げた。

 リクドウたちを先に行かせるため、たった一人で。


「凄まじいな。貴公、本当に人間か?」


 十数体はいたであろう鼠魔神を屠り、尚も立つ女騎士に魔神マリアが問いかける。


「……私もはじめから強かったわけではない。生きるために強くならねばならなかった。生きていく場所を護るために、もっと強くならなければならなかった。もっと、もっと、もっと……。私をここまで強くしたのは魔物たちであり、魔王軍であり、貴様ら魔神だ」


 ラティシアは宝剣ブルートガングの切っ先を白銀の鎧の魔神へと差し向けた。


「だが、それでも尚、私は未だにか弱い一人の人間なのだと痛感している」


「だから、魔神である私を葬るというのか」


「然り」


「貴公の剣では私の鎧を断つことはできんぞ?」


「――いや、可能だ」


「なに?」


 魔神は咄嗟に左腕を前に出して、白銀に輝く大型の盾を展開した。

 防御に秀でる魔神マリアが、さらに防御に徹するために産み出した絶対防御の盾。

 ガビーロールの猛攻でも使用しなかったそれを、人間であるラティシアの殺気に反応して展開したのだ。

 だが、その盾の上部二割ほどの部分が突如として欠けた。


「産み出されたばかりの貴様には気の毒だが、『絶対防御』など十二年前にすでに対策済みだ」


「――!」


「この宝剣ブルートガングは私の生命力を吸うことで、その刃に次元の断層を作り出す。それはほんの一瞬の時間だが、私の神速の剣技があれば充分に絶対防御を断つことができる」


「そのような剣があったとはな……」


「作ったのだ。魔王軍に対するために、『絶対防御』の前に一度は折れてしまったこのブルートガングを打ち直して。そのために一人の名工と一人の魔法使いが命を賭けた。人間の知恵と工夫と執念の結晶。それは人類の宝だ。故に『宝剣』。魔導の力を利用はしても『魔剣』を冠することはない」


「やはり、恐ろしいな人間は……」


「魔神マリア、貴様の元となった存在がマリウス殿下であろうと容赦はせん。この宝剣ブルートガングの錆となれ」


 ――うん! 信じてる!

 先ほどのエリナの言葉が思い起こされる。

 それは魔神マリアを逃がさないというラティシアに対する言葉だったが、それだけではないことはラティシアにももちろんわかっていた。

 ――マリちゃんを助けることは絶対に諦めません。

 カナーンの真摯なその言葉にもラティシアは首を振る。



「先生!」



 そして、それよりも尚、鮮明に思い出されるマリウスの声、その表情。

(だが、だからこそだ! これ以上、殿下を冒涜させるわけにはいかない!)

 ラティシアは湧きあがる記憶を、強い使命感で無理矢理に塗りつぶした。

 だが。


「貴公、怖れているな?」


「な――」



        ◇ ◇ ◇


 一メルトの半分の半分。子供の上腕ほどの大きさの人形が風に取り巻かれ、空中に磔になったかのように浮かんでいた。


「な、なんですか、これは……!? それになぜ、私の居場所が……」


 侮っていた。

『ジャニュアリー』の制御に極度な集中力を要するとは聞いていたが、所詮、あの双子ができる程度のことだと思っていた。

 事実、ガビーロールにもその制御は可能ではあったが、マナとアラヤ、それに加え何体かの人形と同時に操ることは、大量の人形を同時に制御することに長けた魔神ガビーロールにとってもギリギリだったのだ。

 それは光の魔法で一瞬目が眩んだだけで、零れてしまうほど……。

 そして今、状況は逆転し、双子に制御された『ジャニュアリー』によって、ガビーロールは身動きが取れなくなっていた。


「自分の精神が憑依されたときの対処なら、ずいぶん前にパパから教わってたぜ?」


「お父さまのことだから、わたしたちがあなたの様な存在に狙われることを予見していたんでしょうね」


「ば……馬鹿な……」


「『ジャニュアリー』は特別な力だってパパは言ってた。その特別な力をオマエのようなヤツに使われないように対処しておくのは、そんなに不思議なことじゃないと思うぜ?」


「あなたが憑依してくる魔神だってあらかじめ知っていたら、もう少しスマートに対処できたんだけれどね」


 彼女たちの父は確かに策士だ。

 だが、彼は魔法使いとして強大であるが故に、何事も一人で行ってしまうところがある。

 それが故に、常に周囲を動かすことで状況をコントロールしてきた自分の方が策士としては数段優れている。

 そう信じたかった。


「ま、待ってください! 私はあなたたちの父親の仲間ですよ!?」


「悪いな。そのパパから、オレたちに憑依してくるようなヤツは誰であっても容赦しなくていいって教わってるんだ」


「時間稼ぎよ。大方、わたしたちの集中力が途切れる瞬間でも待ってるんでしょ。やるわよ」


「ああ」


「待ちなさいと言っているんです!!」


 その悲愴な声を無視するように青い『ジャニュアリー』がガビーロールに両手を伸ばした。

 そして、その小さな人形の身体を愛しげに包みこむ。


「じゃあな、ガビーロール。魔神の戦い、参考になったぜ」


「実際に憑依されたときの対処の参考にもなったわ。さようなら」


 ガビーロールの声はもう聞こえなかった。

 青い姿の存在も空間に融け込むように消えていく。


「……ふぅぅ……っ。……見てたか? エリナ」



        ◇ ◇ ◇


 ギィィンッ!

 悲鳴のような金属音が迷宮内に響き渡った。

 カナーンは油断なく魔剣アリアンロッドを青眼に構える。


「うッそだろ……?」


 ロウサーが耳障りな声で呆然と呟いた。

 カナーンの色白の肌には幾筋も切り傷があり、鮮やかな赤い血が滴り落ちている。


「……強い」


 確信を込めたフェルミリアの短い言葉。

 ロウサーとは違い、『刃を統べる者』の二つ名を持つ魔神フェルミリアは、剣士としてのカナーンの強さをはじめから感じとっていた。

 すなわち、フェルミリアには一切の油断はなかったはずだった。

 にもかかわらず、その身体中にある刃の中でも主武器と言える右腕の大鎌のような刃が、カナーンの一振りによって断ち斬られてしまっていた。


「ルナルラーサ・ファレスの娘……? あの子も強かった、けど……この子は……」


「まだやる気?」


 カナーンは短く問いかける。


「調子に乗らないで。私は『刃を統べる者』。刃の一つや二つ、断ち斬られたところですぐに、直る」


 そう言ってフェルミリアは、断ち斬られた右腕の大きな刃をみるみるうちに復元して見せた。


「おい、ガビーロールの気配が消えたぜ?」


「そう」


「そうって、おまえなァ……」


「油断してたつもりはなかった、けど……ちょっと本気出す。ロウサー、できれば、見ないで」


「あァ?」


「本気の姿、恥ずかしいから、見ないで」


「わ、わかッた!」


 ロウサーである羽虫の群れはヴゥンッと唸って黒い球の様に密集したが、それが見ないことになるのかどうかはカナーンにはわからなかった。

 だが、フェルミリアはそれで納得したようだ。


「待たせた。カナーン・ファレス……」


 ガビーロールの気配が消えたというのは本当だろう。

 つまり、マリウスと戦っていた魔神というのはガビーロールだったということ。

 あとはマリウスだけということなら、きっとエリナたちがなんとかしてくれる。


「こちらは時間が稼げた方が都合がいいわ」


 カナーンは馬鹿正直に自分の都合を口にした。


「私はもう、あなたとの勝負の方が、重要」


 フェルミリアもそれに対して本音で応え、シュルシュルと身体中の刃をその体内に収納しはじめる。


「武器を仕舞うなんて、どういうつもり?」


「本気の、つもり」


 そして、すっかり刃が仕舞いこまれると、そこには若く美しい全裸の女性の姿があった。

 妖しい光を放つ金色の瞳と先端が少し尖った耳が魔の者であることを物語ってはいたが、人間のものとほとんど変わらない体型だ。

 美しさと力強さを兼ね備えた完成された肢体。

 それはあまりに完成されすぎていて、人間離れしているとも思わされた。

 フェルミリアは、そうしてから改めて、その両の手に一振りずつ、緩い反りを持つ刃を出現させる。

 二刀流だ。


「この方が、速い、から」


「さっきまでのでも、充分速かったと思うけどね」


「じゃあ、改めて、行くよ」


 そしてまた、洞窟内に激しい金属音が響き渡った。


        ◇ ◇ ◇



「ハ……ハハハハハハハ……。この私が危うくあんな子供たちに不覚を取るところでした」


 ガビーロールは『ジャニュアリー』に包まれるその直前に、人形の身体だけを残して、その『核』を空間転移させていた。

 プロシオンの最後を見ていたが故の、いざという時用の策が功を奏した形だ。

 だが、少し様子がおかしいことにガビーロールは気がついた。

『核』の転移先はサイオウにも知られていない秘密のアジトにある、人形の身体の中に設定されている。

 緊急事態用のため自由度はないが、瞬時の転移が可能だった。

 その転移先である人形の身体。そこに入ったことは確かだ。

 だが、その身体がピクリとも動かせないのだ。


「『ジャニュアリー』の力の一端に触れた感想を聞いておこうか。ガビーロール」


「サイオウ!? なぜここに…………ハッ!?」


「なぜ? おまえはなぜ私がプロシオンがあの子たちの『ジャニュアリー』によって葬られるところを見せたと思うんだ?」


「まさか……私がこの対策をするために動くと知って……」


「用心深いおまえを確実に捕らえるにはこの方法が最適だと考えた。十二年前のような広域結界による封印は対策しているだろうしな」


「さ、さすがですね、サイオウ……。あなたにはこの私も脱帽ですよ。もう二度とあなたの不利益となるような行動はしないと誓いましょう」


「そんな軽薄な誓いなど不要だ。おまえにはこのまま魔王の施した『八柱の魔神将』という契約がどんなものであるか、その検証材料となってもらう。最後の答え合わせと言ったところだがな」


「ええ、ええ、わかりました。私もその一助となれるよう知恵をお貸し――――――」


「いや、おまえという『存在』があればそれで充分だ。その声も、思考も、もう必要ない」


 サイオウのその言葉は、すでにガビーロールには届いていなかった。

 話すこともできなければ、音を捉えることもできない。

 もちろん視界も暗闇に閉ざされていた。

 なにもなかった。

 無だ。

『ジャニュアリー』によって葬られるのといったいなにが違うというのか。

 それを最後に、ガビーロールの意識もまた無に呑みこまれていった。


        § § §


 政治というものは公明正大に為されるべきものだ。

 ラティア・ラティシアーナ・フォン・ホーエスシュロスも、『凱旋将軍』として政治の場に列席できる立場になった頃はそう考えていた。

 だが、それだけでは人は動かない。

 人が動かなければ政治も国も動きはしない。

 人を動かすにはなにをすればいいのか、なにをしなければいけないのか。

 そこに必要なのは結局『金』と『立場』なのだとラティシアは知った。

 公明正大さも、大義も、掲げる旗印にはなっても、それだけではなにも動きはしない。

 そのことに憤りつつも、政治に関われる立場を得た以上、少しでも不公正や不平等を正そうと、ラティシアは諦めずに政治に関わり続けた。

 ラティシアには金はなかったが『魔王討伐の勇者』としての立場はあった。

 その立場を使って力を持つ人物に取り入り、その人物の金や立場を使ってまた別の人物に取り入っていく。

 そうしていくつかの不公正や不平等を正していくうちに、いつしか、自分自身が金や立場でしか政治を語れない人間になっていることに気がついた。


「先生のお考えは常に深謀遠慮かつ公明正大だ! その上剣技もかの八柱の魔神将を屠るほどのもの! 本当に素晴らしい! このマリウス・マクシミリアン・アルビレオ、本当に、心底、尊敬しております! いつまでも、どこまでも、先生を慕い、その道を共に歩み続ける所存です!」


 ――違う、違うんだ。

 言葉や身振りは誇大だが、マリウスの澄んだ瞳は真実そう思っているのだとラティシアに訴えかけてくる。

 その度に、ラティシアは知らぬうちにねじ曲がってしまっていた自分自身を照らし出されるような気がしていた。


「先生っ」


「先生」


「先生!」


 マリウスの澄んだ瞳が、笑顔が、明るい声がラティシアを責め立てるようだった。

 怖かった。

 不正を暴きたてられることが。

 怖かった。

 マリウスの信頼を失ってしまうことが。

 そして、なによりも怖かったのは



「見損ないましたよ、先生。僕は貴女のことが、大嫌いだ」



 マリウスに、嫌われてしまうこと――



「大丈夫だよ、ラティシアさん。マリちゃんはラティシアさんのこと、絶対に嫌いになんかなったりしないから」


 泣き崩れそうになるラティシアの肩を少女の手が支えていた。

 その手は、まだ幼くか細いながらも、力強くラティシアの肩を支えている。


「マリちゃんのことちゃんと見てあげて。目を逸らさないで、ちゃんと。そうすれば、すぐにわかるよ」


 そして、その声も、ラティシアの胸のうちに力強く響き渡る。


「マリちゃんはラティシアさんのこと、絶対に嫌いになんかなったりしない。ラティシアさんだってそうでしょ?」


「私……?」


「ラティシアさんだって、マリちゃんを見るとき同じ目をしてるもん。ラティシアさんもマリちゃんのこと、絶対に嫌いになんかなったりしない」



        ◇ ◇ ◇



「……私は…………」


「ラティシアさん! しっかりして! ラティシアさん! 目、覚めた!?」


「……エリナ……ランドバルド……? ――ハッ!? くぅっ、私としたことが!」


 膝から崩れ落ちていたラティシアが正気を取り戻し、咄嗟に剣を杖代わりにして立ちあがる。

 その肩を支えていたエリナも立ちあがり、魔神マリアと対峙した。


「また、エリナ・ランドバルド……君なのか」


 魔神マリアが少し苛立ったような声をあげる。


「またわたし? どういうこと?」


 その時だった。

 キィィンという耳鳴りがしたかと思えば、辺り一面がぼんやりと光りはじめたのだ。


「ぐ……これは……」


 その光が苦しいのか、魔神マリアが掻きむしるように胸元を押さえる。


「エリナ! これ、ロミリア先生たちのヤツ!」


 その聖性に逸早く気がついたフランが声をあげた。


「了解! じゃあさっき言ってたアレで!」


 エリナの言葉にラティシアが尋ねる。


「なにかの作戦か? 魔神を倒す力とやらはどうなった?」


「たぶん使える! だけどこのままじゃダメなの! マリちゃんを魔神から引き離さなきゃ!」


「それができるのか!?」


 エリナはその問いに視線だけで応えると、魔神マリアに向かって大きな声で叫んだ。


「マリちゃん! そこにいるなら返事してー!」


 その単純な作戦にラティシアは目を見開く。

 懐疑的になるのも無理はない。

 はじめて魔神マリアと邂逅したときも、呼びかけは散々したはずだ。

 だが、フランの祈る声を聞いて、その疑問も氷解する。


「天が属の支配神ジェノウァよ、慈愛と癒やしの神リデルアムウァのしもべフランソワーズ・フラヴィニーがお願い申しあげます! 御身が忠実なるしもべマリウス・マクシミリアン・アルビレオに我らの声を届けたまえ! マリちゃんは私たちの大切な友達なんです!」


 詳しい理屈はラティシアにはわからないがおそらく、ロミリアとリエーヌが作った結界はジェノウァ神に呼びかけるためのものなのだろう。


「ラティシアさんもお願い! 同じ神様だって信じてるんでしょ!? ラティシアさんの声ならマリちゃんに絶対届くよ!」


 逡巡するラティシア。

 この魔神は危険だ。

 苦しみ身動きが取れずにいる今、宝剣ブルートガングで斬ってしまった方がいいのではないか。

 それに、

 殿下に嫌われてしまうくらいなら、いっそのこと――


「たとえ魔神になったって、ラティシアさんのことが好きだって気持ち、マリちゃんが忘れるはずないもん! 絶対に忘れるはずないもん! だから、届く!」


「!」


 エリナの声にハッとし、ラティシアは首を横に振る。


「殿下! マリウス皇子殿下! お寝坊ですか、殿下! 早く目をお覚ましなさい!」


「マリちゃん! 早く起きて! マリちゃん! マリちゃん!」


「ジェノウァ様、お願いします! マリちゃんに! マリちゃんに!」


 その声に魔神マリアは胸元を掻きむしったまま身体を震わせていた。

 その震えだけで、刺すような痛みが幾度となく魔神を襲っていることは明白だった。

 効果はある。

 だが、まだだ。あまり時間をかけては、魔神もこの状況を打開するための動きを見せるだろう。


「ラティシアさん、なにかない!? マリちゃんに響く言葉! ――えっと……ああっ、そうだ!」


 夢に見たマリウスの姿がエリナの脳裏にふと浮かびあがる。


「うずくまって泣いてるマリちゃんでも、びっくりして顔をあげちゃうような、そんな言葉!」


「堅物騎士と呼ばれた私にそんな――――いや」


「なにかあった!?」


 今度の逡巡は一瞬だった。


「殿下! 私は腹を決めました! 殿下も腹をお決めなさい!」


 その言葉にエリナは一瞬きょとんとしたが、本題はそこからだった。


「私は殿下のことが好きです! 心よりお慕い申しあげております! 殿下のお返事を頂戴したい! 殿下は私のことをどう想っておいででしょうか!?」


 エリナはさらにきょとんとした。

 フランは祈りの言葉を途切れさせてポカンとした。

 そして、魔神マリアはさらに苦しみを増し、今度は鎧の面貌を掻きむしりはじめた。


「目を逸らさずに、私の目を真っ直ぐ見て、お返事を戴きたい! 殿下!」


 その、告白というにはあまりにも無骨で、あまりにも直截的な言葉は然して、


「ぐあぁぁああああぁぁあああぁっ!」


 魔神マリアをさらに苦しめ、自ら面貌をはぎ取るまでに至った。

 面貌の中には期待したようなマリウスの顔はなく、どこまでも沈みこむような暗黒があった。

 だがすぐにマリウスの顔が現れ、そしてまた、その顔が暗闇と遠退いていく。


「戦ってる! マリちゃんが今、魔神マリアと戦ってるんだ! マリちゃん! マリちゃん!」


「マリちゃん、がんばって! ジェノウァ様! マリちゃんにご加護を!」


 エリナとフランが応援の声をあげた。


「殿下! これは誰かを傷つける戦いではありません! 殿下を――いえ、マリウス様をマリウス様たらしめるための戦いです! 遠慮は無用! さあ、勝って私の元においでなさい!」


 ラティシアもラティシアなりの応援の言葉を投げかける。


「せん……せぇ……――くっ、やめろっ……」


 マリウスと魔神マリアの声が入り混じる。

 だが、それも時間の問題だった。


「……せんせぇ……せんせい…………先生!」


「殿下!」


「僕は! 先生のことが大好きです! 大好きです! 大好きです!」


 いつもの大仰な台詞も忘れてしまったように、マリウスは単純で明快な言葉を繰り返す。

 そして――

 その白銀の鎧の節々から黒い瘴気が漏れ出し、マリウスの頭上に塊を作りはじめた。


「エリナ!」


 フランの声にエリナはうなずく。


「やってみる! 心配しないで、フラン」


 そしてフランも、すべてを理解してくれたエリナの返事にうなずいた。

 エリナは即座に最大限の魔力を搾り出すべく、精神を集中する。

 その顔に、腕に、脚に。

 エリナの白い素肌に妖しげな紋様が浮かび上がり、その周囲には大小様々な魔法陣が薄ぼんやりとした光となって現れる。

 これまでどこにいたのだろうか。

 キィッ、と一声鳴いてコルがエリナの頭の上にとまった。

 だが、エリナは気にも留めないどころか、さらに集中を深化し、研ぎ澄ませていく。

(現れて、わたしの『ジャニュアリー』……)

 想いに応える様に黒い衣を纏った美しい女性の姿がふわりと現れた。

 マナとアラヤの『ジャニュアリー』と雰囲気こそは似ているが、まったく似ていないようにも見える。

 今までは、エリナの頭上に現れていたため、エリナが目にしたことはなかったのだが、意識して出現させた今回、はじめてその姿を目の当たりにした。

 その美しさに一瞬だけ意識を奪われたが、すぐに気を取り直して、それを制御することに集中する。

 エリナの身体や周囲に現れる紋様や魔法陣は、『ジャニュアリー』とエリナをリンクさせるためのものらしい。

 そのリンクを意識して『ジャニュアリー』を操作しようと集中すれば、そう難しくなく制御できるはずだとマナとアラヤは言っていた。

 ……確かに動かせる。

 エリナはマリウスの上に浮かぶ黒い瘴気の塊に目を向けた。

 精霊界に送る。

『ジャニュアリー』は『界霊』とも呼ばれる現界と精霊界を繋ぐ『門』の役割をする存在なのだそうだ。

 精霊はこれを通って現界に現れる。

 だが、精霊界には精霊しか存在できない。

 故に、精霊界に送られた者は人間であろうと魔物であろうと、たとえ魔神であろうと、消滅するか精霊になるかのどちらか。

 そして、精霊ではないものが精霊になるということは存在の根底から作り直されるということ。

 結局どちらも、その存在としては消滅するということに他ならない。

 不死性の高い魔神を葬る方法としては、確実性の高いものと言える。


「エリナ! 大丈夫!?」


 エリナの逡巡が伝わったのか、フランが心配の声をあげた。

 魔神を葬ること。

 そしてその確実性の高さ故に、エリナは逡巡していた。

 ガビーロールはともかく、この魔神はそんなに悪い魔神ではないんじゃないか。

 マリウスを魔神化したことは許せないことだけど。

 ペトラとプルムを魔神化しようとしたことも許せないことだけど。

 魔神を際限なく作り出させちゃうわけにはいかないけど。

 だけど、でも。

 エリナは一つ息を吸いこんで、大きく吐き出した。


「大丈夫。やるよ」


『ジャニュアリー』の両腕が開かれ、黒い瘴気の塊がかき抱かれる。

 その塊は一瞬逃げだそうとした様子だったが、黒く美しいその手に触れられただけで吸いこまれていくように消えていった。


「……ふぅ。できたみたい」


 エリナは少し寂しげに微笑む。

 すると『ジャニュアリー』の姿も、紋様も魔法陣もスッと消え去り、いつものエリナに戻った。

 キィッ、とエリナの頭の上でコルが鳴く。


「にゃはは、コルもお手伝いしてくれてありがとう」


「エリナ! エリナ! 大丈夫なの!?」


 フランが駆けよってきてエリナの抱きしめてきた。


「わわっ、な、なに? 大丈夫だよ?」


「疲れてない? あの双子の子たちは、しばらく立ちあがれないくらい疲れてたみたいに見えたから……」


「あれ? そう言えばそうだね。――っていうかマリちゃんの方は!? ラティシアさん!」


 マリウスの方は気を失っているようで、ラティシアがその介抱をしていた。

 その様子を見て、エリナとフランがギョッと驚く。


「マリちゃん、それ!?」


「ひゃああっ、マリちゃん裸!?」


「む? 殿下はお休みになっている。静かにしないか」


 全裸のマリウスをラティシアが愛おしげに抱きかかえ、そして時折身体の各部を撫でまわした。


「で、で、でも、その、いくら好き同士だからって…………ねぇ、エリナ?」


「うん……。マリちゃん結構お胸ある……」


「どこを見てるのよ、エリナは!」


「だって普段はぺったんこに見えたよ!?」


「静かにしろと言っているんだ。エリナ・ランドバルド。フランソワーズ・フラヴィニー」


 ラティシアはやれやれとため息をつく。


「なにか勘違いしているようだが、殿下は先ほどまで魔神と化していたんだ。身体に異常がないか確かめるのは当たり前のことだろう? それに裸なのについては私が脱がしたわけではない。お召しになっていた鎧は自然に消えていった。あれも魔神の一部だったということだろう」


「お胸については!?」


「殿下は表向きは皇子なんだぞ? 普段はさらしできつく巻いている」


 エリナの質問にも律儀に答え、ラティシアは確認は終わったとばかりにその裸体を自らのマントで優しく包みこんだ。


「……殿下、お帰りなさいませ」


 その時、ホールの出入り口からロミリアとリエーヌ、そして、カナーンの姿が現れる。

 各々が手を取りあい喜びを分かち合う。


「殿下を取り戻せたのは本当によかったわ。なにがあったのか、詳しい話を後で聞かせてちょうだいね」


 そうロミリアが言うと、ラティシアが今までに見たことのない表情のない表情になって、エリナとフランの方に目を向けてきた。


「あ、あとで、ね。おうち帰ってから!」


「そ、そうね、エリナ。お腹も空いたし、お風呂も入りたいかもっ」


「帰宅次第、すぐにご用意いたします」


「ありがとう、リエーヌ!」


「あ、私も報告したいことがあります。それまでにはちゃんと話せるよう、頭の中で整理しておきます」


「ええ、カナーンもお願いするわね」


 こうして無事にマリウスを取り戻し、ランドバルド邸に帰ることになった。


来月はエピローグを若干書く予定です。

それで二巻分は終了となりますが、お話自体はまだ続きますのでお楽しみに。

間に合えば一巻二巻とも冬コミで紙の本を売りたいなぁと思っております。

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