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67話 契約

 女神スカイディア。


 窮地を救ってくれた女性が名乗ったのは、神話の中で語られる主神エルドの娘の名前だった。


 創世の神話の最後に、主神エルドには別の世界の創造神との間に娘がいると語られていた。


 その娘の名は女神スカイディア。もしくは、本来の創造神に代わり、母神とも呼ばれる女神だった。

 

 が、創世の神話で語られるスカイディアに冠する記述はそれくらいだ。


 いや、創世の神話以外を含めても、エルド神の娘であるスカイディアに関する記述はほんのわずかなものだった。


 まるでエルド神が「娘」という存在を徹底的に歴史の表舞台から消すようにしているかのようにだ。


 表舞台からは消しても、エルド神にとっての娘がスカイディアであることには変わらない。


 だが、娘にしてはほぼ記述がないというのはどういうことなのか。


 神話学を専攻する学者たちの一部は、消された女神であるスカイディア神についての調査をいまもなお行っているという噂をラモン翁も聞いたことがあった。


 ラモン翁から言わせてみれば、そんなことを調べたがるなんて物好きな連中だとしか思っていなかった。


 神話の中で明らかに記述を避けられているからと言ってなんだというのか。


 そもそも神という存在を前提にして考えるから、わからなくなるだけの話でしかない。


 普通の親子として考えれば、娘という存在を徹底的に語らないということは、それだけ娘になにかしらの問題があるということに他ならない。


 問題児だからと言っても、ダメだと言うつもりはない。


 むしろ、ダメな子ほどかわいいとも言うのだ。


 ただ、かわいいと思うのはあくまでも親という目線であればだ。


 第三者視点で鑑みたら、人前に出せるような存在ではないということもありえる。


 むしろ、人前に出せる娘ではないからこそ、主神エルドは女神スカイディアに関する記述を制限させたと考える方が妥当だろう。


 もし、優秀な娘であれば、かえって自慢するはずだし、記述も創世の神話にわずかに残される程度なわけがない。


 ゆえに女神スカイディアは主神エルドにとって、他者の前には出せない娘だということだ。


 むしろ、それ以外で娘の名前を出さない理由が、ラモン翁には思いつかなかった。


 そう、それはまるで甥のクオンがあの化け物を隔離していたように。


 あの化け物は恐ろしい存在だった。


 よそから嫁入りした女が産んだ、クオンの娘であるエリセが生まれ落ちたとき、ラモン翁は恐怖を覚えた。


 エリセはあまりにもとんでもない魔力を誇っていたのだ。


 それこそラモン翁だけではなく、その場にいた一族全員と対峙してもなお、エリセが勝るほどの圧倒的な魔力を持って産まれてきたのだ。


 大叔父であるラモン翁はもちろんとして、父であるクオンもエリセには恐怖していた。


 その恐怖ゆえに、クオンはエリセをただちに殺すように命じたほどだ。


 が、母であるエリスが必死に嘆願したことで、エリセは娘として育てられることになった。


 クオンにはエリセに代わる子がいなかったのも、エリセを娘として育てることへの後押しになった。


 ラモン翁からしてみれば、理解のできないことではあった。


 見た目はたしかに一族の者であったとしても、それはあくまでもガワだけ。


 中身は得体の知れない化け物でしかない。


 そんな化け物を娘として育てようなんて、ラモン翁には信じられないことである。


 それこそ物好きとしか言えないことだった。


 だが、それも待望の男児であるシオンを授かったことで終わりを告げる。


 エリセは廃嫡となり、表舞台から消されたのだ。


 だが、ほぼ同時期にクオンが命を落としたのだ。


 クオンはあまり体が強くなかったから、エリセに代わる子を設けようとして無理をしすぎたのだろう。


 だが、クオンが死んだことで問題が発生したのだ。


 シオンがエリセに代わるのはいい。


 だが、そのシオンに誰が里長としての教育を施すのかという問題だ。


 一族において、里長としての役目を教えられるものはいなかった。


 基本的に「水の妖狐の里」においては、里長は長子がなるものとされている。


 ゆえに長子にのみ、里長としての教育が施される。


 他の子たちはその予備であるが、予備には長子が廃嫡されるか、なにかしらの事故で死亡するまで教育は施されない。


 通常のヒューマン種であればありえないことだろうが、妖狐族が長命の存在だからこそできた「しきたり」だった。


 里長の一族でいまだに生き残っていた者たちは、みな例外なく里長になれなかった予備たちだけ。


 つまり、誰も里長の仕事を知らない者たちしかいなかったのだ。


 だが、唯一里長の教育を施された者がいた。


 それがエリセだった。


 廃嫡されたものの、物心が着いてから里長としての教育をずっと施されてきたエリセ。


 そのエリセであれば、シオンに里長としての教育を施せるだけではなく、シオンが適齢になるまで代理の里長を任すこともできる。


 まさに一石二鳥である。


 当のエリセは代理の里長になることも、シオンに里長の教育を施すことも断ることはなかった。


 一族はみな安堵したものだ。


 これで安泰だとも。


 ラモン翁も同じように思っていた。だが、その一方でエリセを見て言葉を失いもしたのだが。


 なにせ、ラモン翁が知るエリセは、最後に会ったときのエリセは、見目が整った子供だった。


 だが、そのとき久方ぶりにあったエリセは、あまりにも美しく成長していた。


 顔は母であるエリスによく似ていたが、エリセは母よりも美しく見えた。


 背丈はすでにラモン翁を超えていたし、その肉付きも相応のものがあった。特に上衣を大きく押し上げる胸や内臓があるのかと思えるほどにほっそりとした腰などに、ラモン翁以外の男の一族たちはみな目を奪われていた。


 それこそ、ラモン翁だけではなく、他の面々も男としての本能を擽られるほどにだ。


 もし、エリセが化け物のような力を持っていなければ、その力をどうにかできれば、即座に押し倒してその体を堪能したくなるほどだった。


 少なくとも老い衰えた妻とは比べようもないほどに、同じ女とは見えないほどにエリセは美しすぎた。


 だが、どれほどに美しくてもエリセが化け物であった。


 下心を抱いた者たちに痛烈な一言を告げてくれたものだ。


 その一言で、これはただの美女ではなく、美女のガワを持った化け物であることを誰も彼も痛感させられたのだ。


 そんなエリセとスカイディア神は、あまりにも美しいという点が共通している。


 そして、ラモン翁では計ることもできないほどの隔絶した実力を持っているということもまた共通点と言えることだろう。


「……ふぅん?」


 スカイディア神はラモン翁を見下ろしながら、楽しそうに顔を歪めている。


 その笑顔がとてつもなく恐ろしい反面、いつまでも見ていられるという矛盾した想いをラモン翁は抱いていた。


「おじいさん、気になる子がいるのねぇ?」


「……え?」


「だって、エリセって子を抱きたいんでしょう?」


「な、なぜ」


「だって、私は女神様だもの。おじいさんが心の底に押し込んでいる気持ちくらい、簡単にわかるの。ねぇ、おじいさん?」


「な、なんでしょうか?」


「手を貸してあげると言ったら、どうする?」


「……手を貸す」


「ええ。そのエリセって子を抱きたい。その想いを叶えさせてあげるわ。そのために必要なことはすべて私がどうにかしてあげる」


「……ですが、私にはお力を貸していただくための代償を払うことは」


「大丈夫よぉ。ちゃぁんと代償は払って貰うから。むしろ、あなたがそのエリセちゃんを抱くことが代償になるわ」


「ど、どういうことでしょうか?」


「ふふふ、私ねぇ。見てみたいのよ。掴んだはずの幸せが足元から崩れ落ちる様を、ねぇ? そのとき、どんな顔を浮かべるのか。その落差を見るのが途方もなく愉しいの。だぁかぁらぁ、おじいさんに手伝って欲しいの。私の愉しめる光景を看るためのお手伝いをしてくださらない?」


 くすくすとスカイディア神は笑っていた。


 その言動と笑顔を見て、「神話に記述されないはずだ」とラモン翁は思った。


 だが、それもどうでもいいことだった。


 スカイディア神が望む光景を見るための手伝い。


 そのために必要なものは、すべてスカイディア神が整えてくれるという。


 あとはラモン翁次第。


 突き付けられた選択肢に対して、ラモン翁が選んだのは──。


「ぜひ、お手伝いさせていただきたい」


 ──自身の欲望を満たすということであった。

 

 シオンが産まれた当初よりも、エリセは成長していた。


 そんなエリセを思う存分に抱ける。


 邪魔な妻はもういないし、羨望するであろう男たちもすでにいない。


 そのうえで抱くために必要な手立てはすべてスカイディア神がどうにかしてくれる。


 この状況で頷かないなどありえない。


 ラモン翁は笑っていた。


 これから待ち受ける心躍る光景を思い浮かべながら、襤褸同然となった服を身につけて、高らかに笑ったのだった。そんな自身を愉悦しながら見下ろすスカイディア神に気づくことなく、ただただ笑い続けたのだった。

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