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63話 もしもの日々を想いながら

 不思議だとエリセは思った。


 あれほど疎ましく思っていた種なしこと、父に声を懸けられた。


 たったそれだけで折れ掛かっていた心が持ち直していた。


 本当に父なのかもわからない。


 そもそも、言っていることがすべてデタラメなのかもしれない。


 それでも、エリセは持ち直すことができた。


 極限状態において、他者の声がこれほど支えとなるとは、いままで数百年生きて初めてわかった。


 わかったものの、いざ声を懸けられても問題が生じていた。


「……あの」


「ん?」


「……えっと」


「なんや?」


「……あ、その、はい」


 どう声を懸ければいいのかがわからなかった。


 というか、なにを話せばいいのかがわからなかった。


 いまのいままでエリセは父を父として見たことがなかった。


 父親という存在ではあるものの、そこらの家族のように「父親」と思ったことはない。


 まともな父娘関係であったこともなかった。


 エリセから見た父は、エリセが知る父親は、エリセを「化け物」としか呼ばない外道だった。


 ゆえにエリセにとって、父は外道でしかなかったのだ。


 その外道だった父が、あの日、高熱で苦しんでいたエリセを看病してくれたと言う。


 信じられないと思う。


 信じられないことだけど、もし、父の言う通りであれば、家人の誰もがあの夜エリセを看病したのが「知らない」と言うのも頷ける。


 雇い主である父が緘口令を敷けば、家人の誰もが口を噤むのも理解できるのだ。


 尤も、父が死んだ後もそれを守るのはどうかと思うのだが。


 とはいえ、それも父がなにかしらの言いつけをしていた可能性がある。


 それこそ、自分が死んだ後でも決して口外するなとか。


 そこまでする理由がエリセにはいまひとつ思いつかないものの、もし本当に父が看病をし、緘口令を敷いたとあれば、頷けることではあったのだ。


 ただ、なぜ緘口令を敷いたのかまではわからない。


 どうして事実を隠そうとしたのだろう。


 エリセにはよくわからなかった。


 わからないが、いまはそれを聞くチャンスではある。


 ただ、聞いても答えて貰えるかどうかはわからない。


 それでも、とエリセは意を結した。


「あの、父様」


「……父と呼んでくれるんか?」


 父から問いかけられてしまう。まさかの一言ではあった。


 が、自分と父の関係を考えれば、父の一言も当然と言えば当然だった。


「……正直なこと言うと、迷いはあるんや。まともな父と娘であれた時間なんてあらしまへんどしたさかい」


「そうやな。そやさかい父と呼んでもらえるとは思てへんかった」


 淡々と父は事実だけを告げていく。


 生前の頃とはまるで違うしおらしい、というか、やけに自己肯定感が低かった。


 エリセの知る父は、しおらしさとは無縁の人だった。


 自己肯定感は異様なほどに高く、自分以外のすべてが自分の下であると豪語しかねないような、「傲慢」という言葉が擬人化させたような人だった。


 だが、いま言葉を交わしてくれる父からは、「傲慢」さは欠片も感じられない。


 ただただ真摯にエリセを想ってくれている。子供の頃に願った父と、優しい父が欲しいと願った父親像そのものだった。


 そんな理想の父親像を、あの父が体現している。

 いったいなにがあったのか。


 それとも、やはりこれはエリセの都合のいい妄想でしかないのか。


 できれば、妄想と断じたくはない。


 できることならば、現実であってほしいことだ。


 しかし、極限状態だったエリセが、ありもしない幻聴を聞いているという可能性も否定しきれない。


 あの傲慢だった父がこんな優しい言葉を掛けてくれるという方がおかしい。


 それこそ、ラモン翁が仕掛けた罠のひとつではないかとさえ思えるほど。


 むしろ、罠と考える方が自然だった。


 だが、同時に思うのだ。現実であってほしい、と。


 悲しい妄想や、卑劣な罠であってほしくないと願わずにはいられなかった。


「……ひとつ聞かせとぉくれやす。こら現実なんどすなぁ? うちの妄想でもなかったら、あの爺の罠でもあらへんのどすなぁ?」


 声は自然と震えていた。声を震わせながらエリセは父に尋ねていた。


 どうか、頷いて欲しい、と。夢でも幻でも、妄想でも罠でもない、と。本当の父が語っているのだ、と言って欲しかった。


「……現実や」


 父は覚悟を決めたように言い切った。


 その瞬間、目尻から涙が零れた。


 涙は次々に零れ落ちていく。


 拭っても拭っても、涙は止まってくれない。どれほど拭っても次々に溢れてしまっていた。


「あまり長々と話をするのんもあじなさかい。話ができるんのは、あの妖怪爺が眠ったときだけや。すまへんな」


「……ということは、いまは」


「あぁ、気持ちよさそうに眠っとる」


 吐き捨てるように父は言う。


 妖怪爺がラモン翁なのは間違いないが、人のことを散々嬲っておいて、自分はさっさと眠っているのだからいい性格をしているものだ。


「でも、なら」


 ラモン翁が眠っているいまであれば、脱出の糸口を探すこともできなくはないのではないか。エリセはそう思ったが、父が「やめろ」とだけ言ったのだ。


「あの妖怪爺がなんの手立ても打たへんなんてことはありえん。用意周到におまえを閉じ込めたんや。脱出のために動こうとしたら、飛んでくるで」


「……じゃあ、なんもできへん」


 父の言うことは一理ある。


 むしろ、そう考えるのが妥当であろう。


 ラモン翁が来れば、エリセはまた毒牙に掛かることになる。


 いままでならともかく、父の前でそんな目に遭いたくなかった。


「……脱出の糸口はこちらでどないかしよう」


「え?」


「さしもの妖怪爺も、こっちからの手引きまではわからへんやろうさかい。できたら、シオンの中のわしと連絡ができたらええんやけど」


 父は口惜しそうに言う。その言葉にエリセは、九尾に言われたことを思いだした。


 曰く、シオンの中に眠る父は、いつしかシオンを食い尽くして、エリセに手を掛けようとするだろうと。


 虎視眈々とそのときを狙っていると言っていた。


 言われた当初は、「種なしであればやりかねない」と思っていた。


 だが、こうして触れた父はそんな非道をするような人には思えない。


 しかし、であれば九尾の言葉の真意がわからなくなってしまう。


「父様は」


「うん?」


「……うちを手籠めにしたいんどすか?」


 恐る恐ると尋ねると、父は一瞬言葉を飲み込むも、すぐに「アホなこと言いな」と呆れたように言い切った。


「そやけど、九尾様が」


「……そうやな。わしがあの肩にそう伝えてほしいと頼んだしな」


「父様が?」


 父はあぁと頷きながら続けた。その声色からは深い苦悩が窺えた。


「……おまえにとっての父親は鬼畜や外道そのものやろう。そうしか思えへんように生前のわしは振る舞うとった」


 まるで懺悔をするように父は言う。言葉の節々から父がどれほどの苦悩を抱えているのかがわかる。同時に──。


「……そんなわしがいまさらおまえを「愛してる」て伝えたところで、信じてもらえるわけもあらへん。そやさかいこそ、わしを糧にしてほしかった」


 ──父がどれほど愛してくれているのかがわかった。


 できることであれば、生前の頃に聞きたかった。生前の父に「愛している」と言ってほしかった。


 子供の頃は何度も思った。


 ひとりで眠れない夜をすごしながら、両親からの愛を欲していた。


 同年代の子が当たり前のように享受する愛情を、自分も注いでほしいと願わない日はなかった。


 その願いが数百年も経ってようやく叶い、涙が再び溢れていく。


「父様」


「……なんや?」


「ありがとう」


 愛してると言いたかった。うちも愛している、と。


 父親のあなたを愛していると言いたかった。


 あれほど散々な呼び方をしていたくせに、いまさらだろうとは思う。


 でも、いま思えば、あの呼び名はきっと反動だったんだろう。


 愛しているからこそ、愛して貰えない寂しさから、口汚い言葉を投げかけてしまった。


 でも、それが間違いだったといまようやくわかった。


 そんな自分がいまさら「愛している」などと言えるわけもない。


 言えるとすれば、それは支えてくれることへの感謝だけ。


 たった五文字の言葉に、秘めた想いを込めながら、エリセは父へと感謝を口にする。


 父は「気にしな」と言うと──。


「かいらしい娘のためだ。このくらいどうちゅうこともあらへんがな」


 ──なんとも恥ずかしいことを口にしてくれた。

 目には見えない父。


 だが、エリセには父が笑ってくれているように思えた。


 父の笑顔を思い浮かべながら、エリセは──。


「父様は親バカはんどしたか」


 ──笑いながら、そう言ったのだった。


 ありえたかもしれない現実を、父とともに笑い合う日々を夢想しながら、エリセは穏やかに笑ったのだった。

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