59話 夜中の一幕
件の老人が誰なのかをタマモは知った。
老人の名前はラモン。
エリセの大叔父にあたる人物であり、かつてタマモがその耳を刎ねとばした老人のひとりだった。
似顔絵ではたしかに頭頂部の耳が見当たらず、髪がざんばらになっているせいで、通常のヒューマン種のように髪によって耳が隠れているようにも見えた。
似顔絵はあくまでも顔だけのものであり、全体像は見えないため、特徴的な尻尾は描かれていない。
しかし、盗賊ギルドであれば、この老人がただのヒューマン種ではなく、妖狐族であることはすぐにわかりそうなものだが、アオイの話で浮浪者の老人でしかないと断定されているようだった。
「アオイ。盗賊ギルドでは、この人は妖狐族だと思われていなかったの?」
「うむ。我が知る限りでは、妖狐族だと思われてはいなかったようじゃな。耳なしであることで見逃したのかもしれんが」
「でも、私や姉様みたく尻尾が見えていればすぐにわかることではないですか?」
アオイはラモン翁が頭頂部の耳がないことで見逃したと言うも、その顔色はあまり冴えない。
マドレーヌはアオイの言葉に、尻尾が見えていればすぐにわかると否定する。
そう、尻尾が、二又に分かれている尻尾が見えていれば、すぐにラモン翁が妖狐族であることはわかるはずなのだ。
なのに、盗賊ギルドがそれを見逃すことなどありえるのだろうか?
「……それは我も同感ではあるが、盗賊ギルドと言えど、人の子よ。見逃しもありえるのではないかな?」
アオイはマドレーヌの指摘を、自身も思っていたであろう指摘を受けて、苦々しく表情を歪めている。
マドレーヌの指摘に対して、アオイは唸りながらも「盗賊ギルドと言えど、完璧ではない」と言う理由を口にする。
アオイの言わんとすることはタマモにもマドレーヌにも理解できることではあるが、それだけを理由とするにはいささか弱い。
とはいえ、アオイの口にした理由以外で、盗賊ギルドがラモン翁の正体に気付かない可能性があるかと問われれば、タマモもマドレーヌも二の句を告げられない。
「……見落としと考える以外で、これと言った理由が我には思いつかぬ。ありえぬと思いたいところだが、それ以外の理由となると、な」
アオイ自身、単純な見落としと断定するのは無理があることはわかっていた。
それでも単純な見落としとする以外に、盗賊ギルドがラモン翁をただの老人と断定した理由がわからなかった。
もし他に可能性があるとすれば、それは──。
「盗賊ギルドさえも騙し仰せるなにかが、ラモン翁にはあった、ということは?」
──ラモン翁は盗賊ギルドの監視の目さえもくぐり抜けるなにかを所持していたということだった。
なにかがどんなものなのかはわからない。
だが、監視の目をくぐり抜けるなにかがあったのであれば、盗賊ギルドがラモン翁を妖狐族だと気づけなかったのも頷けなくもない。
だが、それは同時に──。
「……わかっていて言うか、タマモ? それはあってほしくないことであろう?」
──一番あってほしくないことでもあった。
「あってほしくないこと、と言いますと?」
マドレーヌはいまいちピンと来ていないようで、不思議そうに首を傾げている。
首を傾げるマドレーヌを見て、タマモとアオイはそれぞれにらしい反応を見せる。
タマモは苦笑い、アオイは溜め息を吐きながら、それぞれにマドレーヌにわかるように説明を始めた。
「このラモン翁が盗賊ギルドでさえも騙し仰せるなにかがあったとしようか。それがどういうことかわかる、円香?」
「妖狐族であることがわからなかった理由になります」
「そうだね。でも、それだけじゃないんだよ」
「それだけじゃない、というと、この人がエリセさんを攫った犯人とかですか?」
恐る恐ると言った様子でマドレーヌは言い切った。
マドレーヌの返事はタマモとアオイの共通した答えではある。
が、その間をすっ飛ばしすぎているものでもある。
「答えだけで言えば、正解じゃな。エリセ殿を攫ったという下手人に一番近いのはこの老人であろうが……ちと飛躍しすぎじゃな」
「飛躍しすぎ?」
はてと理解できないとマドレーヌは顔に書いていた。
その様子にアオイが再び溜め息を吐きながらも、道筋を整え始めた。
「よいか。たしかにそなたの言う通り、この老人がエリセ殿を攫った下手人の可能性は非常に高い。犯行動機はおそらく逆恨みのようなものであろう。そちらの聖風王殿がこの老人になにをなされたのかは、我にはわからぬが、極刑と言われるということは、死んで当然の重い罰を与えられたことは間違いない」
そうでしょうとアオイが聖風王を見やる。聖風王はただひとこと「相違ない」とだけ答えた。
聖風王がラモン翁や他の里長の一族に対して行ったのは、雷の魔竜の巣の近くにと転移したということ。それも魔物寄せの刻印を刻んでだ。
エリセやラモン翁たち「水の妖狐の一族」は、その名の通り水属性の魔法を得意とする者たち。
その水属性の使い手たちにとって、一番の天敵といえば、雷属性の魔物である。
中でも取り分け強力な竜、しかも、魔物にと堕ちた魔竜の巣の近くに転移などさせら、そのうえ魔物寄せの刻印までされてしまったら、生半可な使い手では生き抜くことはほぼ不可能だろう。
それこそエリセクラスでなければ、生存は見こめない。
そしてラモン翁たちは、どいつもこいつも権威や権力にしがみつくばかりの老害ばかり。
大した実力もないのに、「里長の一族」というだけで、自分の実力を誇大化させた老人ばかり。
その老人たちだけで、怒濤のように押し寄せる雷の魔竜とその合間に襲ってくるであろう他の魔物たちの二重の襲撃を五体満足で生き残れるかと問われれば、答えは否だ。
ラモン翁が生き残ったことは奇跡と言えることであり、全滅してもおかしくない。いや、全滅が当然の結果と言えることだった。
「その極刑から生き残ったことが、相応の奇跡が起きたとしよう。だが、もしそれが奇跡でなければ?」
「奇跡でなければ?」
意味がわからない、とマドレーヌは首を傾げる。アオイはじっとマドレーヌを見つめながら続けた。
「相応の手段があったということじゃ。その手段を今回も用いて、盗賊ギルドの目を騙し仰せた。そしてエリセ殿を拐かしたとは考えられぬか?」
「じゃあ、やっぱり、この人が……って、あれ? それだと」
マドレーヌが目を見開きながら、声を詰まらせていく。
その様子にアオイは「気付いたようじゃな」と息を吐いた。
「こちらがどれほど情報を集めようとも、躱される可能性が高い。なにせ、盗賊ギルドさえも騙し仰せるほどの相手じゃからな。だが、逆に言えば、それほど厄介な相手だということ。そしてその条件に合致するのが、この老人である可能性が高いということよ。実際、盗賊ギルドの目を二度も躱している。そんな者がこの老人以外にうようよといてたまるものかよ」
吐き捨てるように言い切るアオイ。その言葉にマドレーヌは表情を青ざめていく。
思った以上に大事であることに気付いたのだろう。
だが、それで尻込む様子はマドレーヌにはなかった。それどころか、より一層表情を引き締めたのだ。
「ほう?」と意外そうにアオイが目を見張る。その隣のエアリアルも関心したようにマドレーヌを見つめていた。
「……円香」
「はい」
「大変な相手になるかもしれない。それでも、手を貸して貰える?」
タマモは表情を引き締めたマドレーヌに、まだ手を貸して貰えるかと尋ねた。
すると、マドレーヌは無言で自身の相棒である「玉散」を納める鞘ごと手にしたのだ。
鞘ごと「玉散」を手にしたマドレーヌは、その場でタマモにと跪いた。
「私は姉様の御心のままに動くまでです。姉様が去れと仰られれば去ります。姉様が供にせよと仰られるのであればいつまでおそばにおります。それが私のあり方です。姉様の妹分として私がなすべきことです」
マドレーヌはタマモを見上げて言った。その視線にはタマモへの敬愛がこれでもかと込められていた。
敬愛をこれでもかと込めながら、マドレーヌは「玉散」を納めた鞘をタマモへと捧げた。
その様子は姉妹というよりかは、主従のように見える。
だが、マドレーヌは言った。「妹分として」と。
決して主従ではない。
マドレーヌにとって、これは姉妹として交わす契りなのだろう。
任侠映画にあるような「兄弟」、五分五分の「兄弟」ではなく、マドレーヌ側が劣る契り。しかし、当のマドレーヌが納得して行う契り。
その意を理解し、タマモは無言でマドレーヌが捧げる「玉散」を手にした。
所持者でないから抜くことはできない。それでもタマモはその鞘をゆっくりと振りかぶり、マドレーヌの左右の肩に当たらないようにして一度ずつ振り下ろした。
「……わかった。存分に力を振るってほしい」
「御心のままに」
「ありがとう、円香」
「お気になさらずに、姉様」
タマモとマドレーヌは笑い合う。月夜を背景にして行われるふたりのやりとりは、まるで一枚の絵画のようであった。
アオイは「大げさじゃな」と苦笑いしていたが、その目はどこか羨ましそうにふたりを見つめており、エアリアルはその隣で思案顔を浮かべていた。
そんな四人を聖風王と氷結王はただ黙って見守っていた。
進展と言える進展ではない。
だが、たしかな指標を得た夜。
その夜中の一幕はこうして幕を閉じたのだった。




