58話 その名を知って
「──ラモン?」
「うむ。そやつの名じゃよ。まだ生きておったとはなぁ」
はぁと溜め息を吐く聖風王。
好々爺然としている聖風王らしからぬ、忌々しそうに顔を歪めていた・
聖風王の視線の先にあったのは、一枚の似顔絵。
ちょうどタマモが見ていた一枚の似顔絵を、ずいぶんとくたびれたひとりの老人の似顔絵だった。
似顔絵に映る老人は頬が痩せこけており、髪もざんばらとなっていた。
服も見た目に合わせたようにボロ同然の薄汚れたもので、どう見ても浮浪者としか思えない姿をしている。
浮浪者にしか見えない老人だが、タマモはその老人に見覚えがあったのだ。
見覚えはあるのだが、いったいどこで会ったのかがタマモにはわからなかった。
すれ違っただけというわけではない。
かと言って、いままで会った人物の中に、似顔絵の老人はいなかったはずだ。
では、いったいどこで見かけたのかとタマモが考えていたら、まさかの聖風王が件の老人を知っていると言う。
正直、聖風王がこの老人を知っているとは思わなかった。
「四竜王」というこの世界における最強の一角であり、その「四竜王」の長である聖風王が、まさか似顔絵の老人を知っているなんて、想定外にもほどがある。
それも繰り返しになるが、好々爺然としている聖風王がその顔を忌々しそうに歪めているのだ。
タマモが知るかぎり、聖風王がここまで表情を歪めることなどほとんどなかった。
せいぜいが氷結王との喧嘩くらい。
その喧嘩にしたって、傍から見ればトムジェリっているようにしか見えないほど。喧嘩するほど仲がいいというところだ。
要は、聖風王と氷結王にとってみれば、普段の喧嘩はコミュニケーションのひとつなのだ。……あまりにも物騒すぎるコミュニケーションではあるが、ふたりらしいことではある。
が、件の老人を見やる聖風王は、氷結王に罵声を浴びせる際のときの顔とも違っていた。
氷結王に対しては、「ここで会ったが百年目」とか「今日こそ決着を着けてやる」というか、いわゆる好敵手に対して向ける不敵なもの。
が、件の老人に対しては顔も見たくないほどに忌々しく思っているのだろう。それこそ蛇蝎の如く嫌っているようだ。
「……聖風王様、お顔が怖いです」
聖風王の変化が怖かったようで、マドレーヌは二又の尻尾をピンと伸ばしながら、そそくさとタマモの背中に隠れてしまった。
アオイとエアリアルもマドレーヌほどではないが、驚いたように、いや、額に汗を浮かべていた。
「ふむ。おまえがここまで嫌うというのも珍しいのぅ」
この場で唯一聖風王と対等である氷結王はというと、物珍しそうに聖風王を見つめていた。
「……嫌い? はん、この愚か者など嫌うどころではないわ。いますぐに我が輩の手で処分してやりたいところじゃわい」
鼻白むように聖風王は吐き捨てる。その言い分に氷結王は驚いたのか、目を丸くしていた。
長年の喧嘩友達である氷結王から見ても、聖風王がそこまで他者を貶すところを見たのは初めてなのだろう。
いや、貶すどころか、はっきりと「処分」と言うくらいだ。
蛇蝎の如くという言葉さえも超えるほどに、聖風王にとっての件の老人は、存在さえも許せないほどなのだろう。
いったい、この老人は聖風王に対してなにをしたのか。
聖風王と知り合って、まだ数ヶ月程度のタマモではあるが、ここまで聖風王を苛立たせる人物がいるとは思っていなかった。
逆に言えば、似顔絵を見ただけで聖風王が怒りを示すほどのことを、この老人がしたということだ。
怖い物知らずと言うのか、それとも蛮勇と言えばいいのか。
タマモは反応に困りながらも、「いったいこの人はなにをしたんですか?」と恐る恐るとだが、ストレートに尋ねてみた。
背後のマドレーヌが「ね、姉様、すごいです」といつもとは異なる意味合いでタマモを讃えてくれる。
いや、讃えるよりも、どちらかと言えば、驚愕とあ然の色合いが強いように感じられたが、いまは置いておこうとタマモは思いながら、聖風王を見やると──。
「……婿殿よ、なにを他人事のように言うておるんじゃ?」
──聖風王はあ然としたように、若干惚けたような顔でタマモを見つめていたのだ。
いまのタマモの発言は聖風王にしてみれば、想定外のものだったようだ。
が、タマモにしてみれば、聖風王がなぜそこまであ然とするのかもわからない。
たしかに老人には見覚えはあるものの、それがいつなのかがさっぱりと理解できないのだ。
そもそも、見覚えがあるというのも、勘違いかもしれないとさえ思っているほどだ。
だが、聖風王の口振りでは、タマモがわからない方がおかしいと言わんばかりである。
聖風王がそこまで言い切るということは、この老人とタマモはどこかで会ったということになる。
それもやはり聖風王の口振りでは、タマモも当事者のひとりのようにさえ感じられるほどに。
いったいどういうことだろうとタマモが頭を悩ませていると──。
「そなた、我が輩が動かねば、こやつだけではなく、こやつら一党を血祭りにあげるところだったではないか。まぁ、そうなる前に我が輩が極刑同然の措置をしたが、我が輩と同じほどの怒りをそなたも向けていたではないか」
──聖風王は信じられないと言わんばかりに言い募った。
聖風王の言葉にマドレーヌとアオイ、そしてエアリアルが驚愕した。
「ね、姉様がそこまでお怒りに?」
「……我相手でもそこまでではなかったはずだが。あ、いや、近いところではあったか」
「……とはいえ、タマモ殿がそこまでお怒りに成られるなどと珍しいことがあるものですね」
三者三様の反応を示すマドレーヌたち。
アオイはアオイで大きなやらかしをしていたから当然とはいえ、そのときはアオイひとりだけに向けていた。
が、聖風王の話の、こやつら一党ということを省みると、この老人とその仲間たちを纏めて血祭りにあげそうなほどに当時のタマモは激高していたということになる。
そこまでタマモが激高したのは、「武闘大会」のときのアオイに対して以来。
だが、そのときのタマモが激高したのは、あくまでもアオイ単独に対して。
アオイが旗頭を務める「蒼天」に対してではなかった。
しかし、聖風王が言うには、タマモはこの老人とその仲間たちにさえもアオイに向けたの同等の怒りを向けていたという。
聖風王だけではなく、タマモをも激怒させた。
いったい、この老人は何者なのか、とマドレーヌたちがタマモの持つ似顔絵を再び見やった、そのとき。
「……まさか、この人、エリセの」
「うむ。「水の妖狐の里」における里長の一族のひとり。正確に言えば、エリセから見れば大叔父にあたる者のひとりじゃな。そして、エリセが言うには、そなたがみずから耳を刎ねた者のひとりじゃよ」
「……そうか、あのときの」
聖風王の言葉にタマモはようやく老人の正体に気付いた。
エリセに対して下劣な言葉を投げかけ、その言葉にタマモが激高し、耳を刎ねた老人たちがいた。
その老人と似顔絵の老人は人相はだいぶ変わってしまっている。
だが、その目つきは、他者を見下すような目つきは変わっていなかった。
道理で見覚えがあるはずだとタマモは内心で吐き捨てながら、似顔絵の老人を目を細めながら睨みつけたのだった。




